おやすみ王子

第2話 最後の登頂  津村記久子


 

その細く黄色く曲がりくねった自然の螺旋回廊に足を踏み入れた時、この登頂はこれまででもっとも厳しいものになるだろう、と私は本能的に察知した。
遠目に見ても、その山の頂きへと続く道は複雑で厳しいものだろうということは予想できたのだが、実際に歩いてみると、その細さと複雑さ、そして山をきわめて緩やかな螺旋状で隙間なく取り巻いているがゆえの終わりのなさに、私はかつてない静かな絶望を感じた。歩いても歩いても、細く黄色くまがりくねった道には終わりがない。クライミングで一つ上の層の回廊に登っても、ほんの少し景色が変わるだけで、支点を作ろうにも山の材質はきわめて柔らかく、よじのぼるには不向きと思われた。実際、私がロープを使って登った場所は、私が登り切ると同時に崩れ去った。私は、呆然と崩れた黄色い足場を覗き込みながら、その脆い断面を構築しているクリームをつかんで口に入れた。栗の味がした。
私はこれまで、さまざまなタイプの山を攻略してきたのだが、モンブランはそのどれとも違っていた。私が初めて登頂に成功した山であるショートケーキは、スポンジの壁に支点を作りながらよじのぼり、平坦な場所にたどり着いた後はイチゴを目指して、生クリームのやわらかい岩場を注意深く乗り越えたのち、イチゴの天辺に旗を立てた。ザッハトルテは、ひたすらなめらかですべりやすいチョコレートの岩盤に足場を作りながら少しずつよじのぼり、崖を登り切った後は、テーブルのようにひたすら平坦な風景が広がっていた。プリンアラモードは、非常に起伏に富んでおり、メロンや桃やさくらんぼといった岩場はどれもちょうど良い難易度でやりがいがあった。真ん中に鎮座しているプリンの中央から360度見渡せる果物の眺めも、とても楽しかった。あの時引退しておけばよかったと今は悔やまれる。
しかしモンブランである。細く複雑で入り組んだ道が際限なく続く。頂上の黄色い大きな栗は、私の意欲にのしかかるようにそびえている。この道はまるで人生のようだ、と思いながら、私は残った力を振り絞って、モンブランの道を歩き続けた。
少しずつ、回廊の円周が狭くなり始めた。私は、大きな栗の存在を頭上に感じながらなおも歩いた。黄色い道が二重に見えるほどに意識が朦朧としてきた頃合いに、ふと頂上の大きな栗のふところに自分が辿り着いたことを知った。大きな達成感はなかった。ただ安堵した。
旗を取り出そうとリュックサックを下ろした時、私は栗の下にやわらかそうな生クリームの地層を見つけた。ふれてみると、どこか懐かしい感触がして、私の腕はそのままゆっくりと栗の下に埋まっていった。もう片方の腕も差し出し、やがて私は栗の下へと入っていった。
モンブランの中は少しひんやりとしていて、とても心地よかった。私は、栗の香ばしい香りに包まれながら、最後の登山の成功に満足した。

番組へのメッセージ

ご視聴ありがとうございました。
映像付きの朗読に挑戦するのは初めてで慣れないこともありましたが、楽しんでいただけたでしょうか?
短いですがドラマパートもあり楽しかったです!
パンケーキを作ったり、VRでの朗読もあったりと盛りだくさんのコンテンツですので、余すことなく楽しんでください!
 
増田俊樹

本来わたしは王子が読み上げてくださるような文章を書く人間ではないのですが、このたびは目をかけてくださいましてどうもありがとうございました。
なんと王子がわたしの文章を読んでくれたよ! と周囲に言いふらそうと思います。
そのわりにはどうかと思うような偏った内容ですみません。
幼い頃はモンブランの形の複雑さに心を奪われたものでした。
おいしくて入り組んだモンブランの興味深さを少しでも表現できていれば幸いです。
 
津村記久子


津村記久子

津村記久子(つむら・きくこ)

1978年、大阪府生まれ。2005年、「マンイーター」(刊行時に「君は永遠にそいつらより若い」に改題)で第21回太宰治賞を受賞しデビュー。08年『ミュージック・ブレス・ユー!!』で第30回野間文芸新人賞、09年「ポトスライムの舟」で第140回芥川賞、11年『ワーカーズ・ダイジェスト』で第28回織田作之助賞、17年『浮遊霊ブラジル』で第27回紫式部文学賞を受賞。作品に『カソウスキの行方』『とにかくうちに帰ります』『ウエストウイング』『エヴリシング・フロウズ』ほか。

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