おやすみ王子

第4話 ケーキの夢  角田光代


 

夢のなかで私はショートケーキだった。自分がショートケーキだとわかったとたん、うれしくなった。ずらり並ぶほかのケーキを見まわして私は誇らしかった。だれよりも真っ白。だれよりも可憐。だれよりも有名。だれよりも人気者。
最初に足が見えて、お客さんだとわかる。顔がぐっと近づく。きれいな女の人。大きな目をせわしなく動かして私たちをチェックしている。私は得意げに彼女を見つめた。けれど彼女が口にしたのは「ミルフィーユとモンブランください」だった。
それからもたくさんの顔が私をのぞいた。若い女の人たち、母と娘、カップル、グループ連れ。でもだれも私を呼ばない。タルト・オ・シトロン? ブラマンジェ? オランジェリー? 何それ?
一度だけ、ちいさな女の子を連れたおかあさんが私を指した。これがいいんじゃない? そうしたらその子は言ったのだ。いやよ、私、このきれいなのがいい、この、宝石みたいなの。あら、そう? じゃ、タルト・ショコラ・フランボワーズを二つください。
舌を噛みそうな名前のケーキはどれもこれも、誇らしげにぴかぴかと光ってショーケースを出ていった。何よ何よ、なんなのよ。ごてごてしちゃって。気取った名前つけちゃって。薄っぺらいったら。あんたたちなんか、あと五年か十年したらいなくなってるに決まってる。残るのは私みたいな本物よ、本物なのよ! と、最後はわめきながら私は目を覚ました。
ぞっとした。選ばれなかったことにじゃない、選ばれたものたちに、悔し紛れの負け惜しみを言ったことに。何よ、薄っぺらいわよ。残るのはあんたたちじゃなく私みたいな、――それは現実の私がずっと胸の内でつぶやき続けてきたこと。うまくいかないとき、ほかのだれかがうらやましいとき、ほしいものが手に入らなかったとき、何かに負けたと思ったとき。そんなもの、最初から私はほしくなかったんだって顔をし続けてきた。
その日、会社からの帰り道、ケーキ屋さんに足を踏み入れた。ひとり暮らしをはじめてからケーキ屋さんにきたことはない。ケーキをひとつ買うのは気が引けるから。でも今日は、勇気を出してひとつ、ケーキを買おうと朝決めた。洒落た名前のケーキをひとつ。
ショーケースにはまだ何種類かのケーキが残っていた。フランボワーズ、ピスタチオ、カシスショコラ……本当にいろいろあるんだなあ。
なんになさいますか? と訊かれ、気がつくと、「ショートケーキをひとつ、ください」と言っている。言ったそばから、久しぶりにショートケーキが食べたかったことに気づく。
ほしいものはほしいと言おう。負けたら負けたと思いきり泣こう。今度ショートケーキになった夢を見たら、「私を選んで」って叫んでみよう。手渡されたちいさな箱を、私はだいじに抱えて帰る。箱のなかでケーキが「It's a piece of cake――そんなのかんたんだよ」とささやいた気がした。

番組へのメッセージ

王子に就任すると決まってから、視聴者の皆様にどのように朗読の世界に入り込んで頂けるかを考えていました。
いかがでしたでしょうか?
主観と客観の入れ替わりが難しく、またそれが奥ゆかしくも感じました。
VRも公開中ですので、是非ご覧ください。
 
杉野遙亮

ケーキを食べることがめったにないのですが、ショートケーキを食べる機会はごくたまにあります。
友だちの誕生会とか、結婚パーティとか。
その都度、なんだかなつかしい幼なじみに会ったような気持ちになります。
幼なじみのようなのに、でも、味はずっと進化し続けていて、私が子どものころよりずっとおいしくなったなあと思います。
私もあなたもおいしい夢を見られますように。
 
角田光代


角田光代

角田光代(かくた・みつよ)

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。90年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞、96年『まどろむ夜のUFO』で野間文芸新人賞、05年『対岸の彼女』で直木賞、12年『かなたの子』で泉鏡花文学賞、同年『紙の月』で柴田錬三郎賞を受賞。『森に眠る魚』『くまちゃん』『よなかの散歩』『おまえじゃなきゃだめなんだ』など著書多数。『源氏物語』の現代語訳も手がける。

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