おやすみ王子

第二話「静かな夜」彩瀬まる

   色々あって、子供が独り立ちするタイミングで夫と別れ、一人暮らしを始めることにした。
   人生の大半を誰かしらと一緒に過ごしてきたので、一人、という響きだけでもちょっとときめいてしまう。
   いくつもの喧嘩と和解を乗り越え、いらない家具は処分して、思い出もさらりと片づけて、ようやく私だけの城を手に入れた。六畳の和室に台所がついたシンプルな部屋だ。近くに使い勝手のいい商店街がある。通勤はドアツードアで四十五分。なかなか良い物件だと思う。
   状況を伝えると、友人たちの誰もが「ひえー」と驚いた様子で語尾を伸ばした。
   なんでまた、大丈夫なの、そんな風には見えなかったのに、思い切ったねえ。押し寄せる疑問符に、私はふへへと笑って「色々あったんだ」と答える。一つ、二つ、説明を足すこともある。すると友人たちは少し考え、「色々あったならしょうがないねー」と同じような苦笑いを浮かべて頷いた。私も彼女らも、もう大抵のことには動じない年頃だ。色々、とくれば、しょうがないねー、と受け入れてしまう。
   一人暮らしは快適だ。自分の世話だけすればいい。朝も夜も、好きなものを好きなタイミングで食べられる。休みの日には久しぶりに頭を空っぽにして、鏡の前で自分の裸をしげしげと眺めた。そりゃ理想通りの体型ではないけど、あちこちぽてっと柔らかそうで、けっこうかわいい。クリームや油をすり込んで、優しく手入れをした。
   一つ困ったのは、夜になかなか寝つけないことだった。
   周囲が静かすぎるのだろうか。日中はそんなこと思わないのに、暗くなると町の気配がどんどんふくらみ、逆に私の部屋はどんどん小さくなって、四角い箱にきゅっと押し込められた気分になる。
   音楽でもかけたら? それか空気清浄機とか加湿器とか、稼働音のする家電を使ってみるの。そんな友人たちのアドバイスも、あまり効果を発揮しない。
   その夜も電気を消す踏ん切りがつかず、布団に寝っ転がって天井を眺めていた。
   ぼうっとしていると、たくさん悩んで、準備をして、やっと辿り着いた場所なのに「これで本当によかったのかな?」なんて、きりのないことを考えてしまう。
   唐突に、かさ、と紙の端っこを弾いたような、かすかな音が耳に入った。
   ちゃぶ台の上の花瓶には、友人からもらったユリとカーネーションの花束が生けてある。長く楽しめるようにと、ユリはまだつぼみで、カーネーションも五分咲きくらいの花が多い。
   ユリのつぼみの一つが、付け根の部分をたっぷりとふくらませて、一回り大きくなっていた。
   ああ、もうすぐ咲くのだ。始めはじっと息をつめて、途中からはお酒片手で雑誌に目を落としつつ、私は開花を見守った。
   一番外側の花びらが浮き上がり、つぼみ全体を少し引っ張る感じがして、まもなく。ぱかん、と弾けるようにつぼみが左右に割れ、鮮やかに黄色いおしべをあらわにした。そこからさらにじわり、じわりと、六枚の花びらをそれぞれの方向に伸ばしていく。
   四時間ほどで、つぼみは七分咲きに辿り着いた。
   部屋はひんやりとした甘い香りでいっぱいだ。
   一人になった。私の人生の選択を、誰もが分かってくれるわけじゃない。
   でも、私のそばで相変わらず花は咲くし、生きていくことは楽しい。明日はどんな一日にしよう。深呼吸をして、布団に入った。

番組へのメッセージ

金子大地

金子大地

すごくバランスのいい3人が集まったと思います。
変わった世界観を寝る前に見てほしいです!!
眠れなくなるかもしれませんが笑

朗読も聞いてください!
無事、完走できました!


プロフィール
1996年9月26日 北海道生まれ。
「崖っぷちの淵子!」「フェイクニュース」(NHK)に出演。
今後の出演予定は、「腐女子、うっかりゲイに告る。」(NHKよるドラ4月期)、「ひよっこ2」(3月放送)。映画「劇場版 おっさんずラブ」(2019年夏公開予定)など。


彩瀬まる

彩瀬まる

誰かと過ごす幸せな夜や、笑いの絶えないにぎやかな夜はすばらしいものですが、ひとり、過去と未来に思いをはせる静かな夜も同じくらい良いものです。
花や音楽、お菓子に本、かっこいいお兄さんたちの朗読など、あなたの味方になるものがその傍らにありますように。


プロフィール
1986年千葉県生まれ。2010年「花に眩む」で「女による女のためのR-18文学賞読者賞」を受賞しデビュー。著書に『珠玉』『不在』『くちなし』『眠れない夜は体を脱いで』『朝が来るまでそばにいる』など。『やがて海へと届く』で第38回野間文芸新人賞候補、『くちなし』で第158回直木三十五賞候補。
ノンフィクション作品に東日本大震災に遭遇した時のことを描いた『暗い夜、星を数えて 3・11被災鉄道からの脱出』もある。

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