おやすみ王子

第三話「青い花」柴崎友香

   あれ? こんなところに、お店なんてあったかな。
   水色のドアに、大きなガラス窓。金色のドアノブには「喫茶室」とだけ書かれた小さな看板がぶら下がっている。
   よく通る住宅街の散歩道。先週も歩いたのに、全然気づかなかった。ちょうど一休みしたいところだったので、中に入ってみた。からん、とドアについているベルが鳴る。軽やかで、澄んだ音だった。
   人の気配はない。ちょっと迷ったけど、わたしは吸い込まれるように足を踏み入れた。
   こぢんまりした部屋に、丸いテーブルが二つだけ。手前に大きな棚が一つ。テーブルも棚も、よく使い込まれた木の肌触りが感じられるものだった。
   棚に並ぶのは、ミルク色のマグカップ、真鍮の笠のランプ、革の表紙のノート……。
   一見ばらばらだけど、棚のやわらかい雰囲気のせいか、すとんと収まっている。それに、そこにあるのはどれも、いつかどこかで、わたしが、いいな、ほしいな、と思ったものばかりだった。いいな、と思ったけど、部屋を片付けてから、とか、わたしには似合わないかも、とか、思ってしまって、結局買わなかったものたち。
   きっとこのお店の人は、わたしと趣味が似てるんだな。わたしは、ひとつひとつをそっと手に取って確かめた。
   棚の真ん中にも、二つのテーブルにも、青い小さな花束が飾られていた。ひらひらしたのや重なり合ったのや、何種類かの、どれも青い花が集められたブーケ。
   触れようとして、ためらった。子供のころ、青いお花を真っ先に選んだら、それはほんものの色じゃないんだよ、と誰かに言われたことがあった。それを急に思い出した。
   わたしは宝石みたいな透き通ったその青色がいちばんきれいだと思って選んだのだけど、なんとなく、間違えてると言われたような気持ちになってしまったのだった。
「あら」
   ドアベルが鳴って振り返ると、店主らしき女性が荷物を抱えて立っていた。
「開店、明日なんです」
「そうなんですか。すみません、勝手に・・」
   わたしは少々慌てたが、同年代に見える彼女は、どうぞご自由に見てください、とにっこり笑った。長い間の念願が叶ってやっとお店を持つことができたのだと、彼女は話した。
「この青いお花って、本物ですか?」
   わたしが聞くと、彼女はきょとんとしていた。
「青いお花って、人工的に色をつけているのもあるでしょう」
   彼女は、頷くと、棚のブーケを手渡してくれた。
「わからないけど、とてもいい色でしょう。夜の空みたいな青と、夏の海みたいな青まで入っていて。青が好きだから、絶対青いお花を飾ろうと思って」
   わたしは、青い花を、じっと見つめた。
「はい、すごくきれいですね。とても好きな色です」
   この青いお花が美しいことも、わたしがこの青色を好きな気持ちも、ほんとうだからそれでいい。わたしはやっとそう思えた。
   最初のお客さんに、と彼女は、おすすめの紅茶を入れてくれた。白くてまあるいポットにお湯を注いだ瞬間から、すっきりと甘い香りがただよった。ポットを覗いてみると、散りばめられた青い花びらが、夜空のかけらのように光っていた。

 

番組へのメッセージ

佐藤寛太

佐藤寛太

僕は最近、ふとした時に気がつけば、いつの間にか携帯を手にしていた。
なんていう事があります。
交差点の信号待ち・駅のホーム・エレベーターの中でさえ、数分前にチェックしたばかりのSNSを開いている。
なんていう経験、皆さんはありませんか?
「おやすみ王子」
僕らの声で紡ぐ物語。
少しのドラマとともに主に耳で味わって欲しいなと思います。


プロフィール
1996年6月16日生まれ、福岡県出身。劇団EXILEメンバー。
主な出演作にNHK「荒神」、「HiGH&LOW」シリーズ、「恋と嘘」、「わたしに××しなさい!」、「走れ!T校バスケット部」などがある。
またBS NHK「チョイ住みinプラハ」にも出演。
今後の出演作に映画「今日も嫌がらせ弁当」、中国ネット配信ドラマ「お嬢様飄々拳」を控えている。


柴崎友香

柴崎友香

自分が好きなこと、感じたことを伝えたいだけなのに、つい「正解」や反応を先回りして気にしてしまうことがあります。気にしすぎて飲み込み、言えばよかったなー、と引っかかったままになることも。

好きな色、美しいと思うものを、なんでそう感じるかはわからないけれど、日々の暮らしの中で、心をぱっと広げてくれるようななにかに出会えることは、とても幸運なのことなのだと思います。


プロフィール
1973年大阪府生まれ。
99年、短編「レッド、イエロー、オレンジ、オレンジ、ブルー」が「文藝別冊」に掲載されデビュー。
2003年、『きょうのできごと』が映画化。
07年、『その街の今は』で第57回芸術選奨文部科学大臣新人賞、第23回織田作之助賞、第24回咲くやこの花賞受賞。
10年、『寝ても覚めても』で第32回野間文芸新人賞受賞。
14年、『春の庭』で第151回芥川賞受賞。
18年、『寝ても覚めても』が映画化。
近著に『千の扉』『公園へ行かないか? 火曜日に』がある。

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