星空紀行 ~銀河鉄道の夜汽車に乗って~

2017年10月05日

そして賢治は宇宙へ(12)

アルビレオの観測所を通り過ぎて、やってくる登場人物がいる。車掌である。赤い帽子をかぶった背の高い人物として描かれている。検札にきたのだ。

『切符を拝見いたします。』

という言葉に促され、話をしていた鳥捕りは、小さな紙きれを差し出す。と、車掌はジョバンニたちにも切符を出すように促す。すると、カムパネルラは小さな鼠色の切符を差し出した。さて、困ったのはジョバンニである。切符を買った記憶など無い。すっかりあわてたふうに、上着のポケットに手を入れると、何か大きなたたんだ紙きれに行き当たる。

「こんなもの入っていたろうかと思って、急いで出してみましたら、それは四つに折ったはがきぐらいの大きさの緑いろの紙でした。車掌が手を出しているもんですから何でも構わない、やっちまえと思って渡しましたら、車掌はまっすぐに立ち直なおって叮嚀(ていねい)にそれを開いて見ていました。そして読みながら上着のぼたんやなんかしきりに直したりしていましたし燈台看守も下からそれを熱心にのぞいていましたから、ジョバンニはたしかにあれは証明書か何かだったと考えて少し胸が熱くなるような気がしました。」

そして車掌は、ジョバンニは尋ねる。

『これは三次空間の方からお持ちになったのですか』

と尋ねられる。どぎまぎしながら、ジョバンニは 「何だかわかりません。」というと、車掌は納得したように

『よろしゅうございます。南十字(サウザンクロス)へ着きますのは、次の第三時ころになります。』

と言って、行ってしまうのだ。

それを見ていた鳥捕りも、カムパネルラも、その紙切れが気になって仕方がない。ところが、それはいちめん黒い唐草のような模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したものだった。ジョバンニには理解できなかったものの、鳥捕りは凄いものを見たと、次のように述べるのである。

『おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈でさあ、あなた方大したもんですね。』

このあたりの表現こそ、賢治がいかに最新の科学に造詣が深かったかを示す部分である。三次空間は三次元空間ということで、我々の日常生活をしている世界を指している。そして、銀河鉄道が走るのは、それとは異なる次元、「幻想第四次」、いわば四次元空間を想定しているのである。賢治は当時、話題になりつつあった相対性理論を理解していたと考えて良い。四次元というフレーズは、1926年に書かれた「農民芸術概論綱要」の序文にも記されている。

アインシュタインの相対性理論の発表は20世紀初頭で、証明されるきっかけは1919年の皆既日食である。その後、世界的に名声が高まり、この理論について解説する書籍が登場し始める。そして賢治が勤めていた学校の図書館にも相対性理論についての原書が所蔵されていた。1922年、アインシュタインは来日し、各地で講演を行ったのだが、賢治は直接講演を聴く機会は無かったと言われている。それでも、アインシュタインの来日は、賢治を含め、多くの日本の知識人に刺激を与えた。賢治がその一人であったことは間違いない。

いずれにしろ、ジョバンニが三次空間から持ち込んだ、きわめて特殊な切符を持っていることは、その後、三次空間に戻ることをも示唆しているといえるだろう。

(続く)


渡部 潤一(わたなべ じゅんいち)

渡部 潤一(わたなべ じゅんいち)

最新・難解な天文学の成果を誰にでも判るように伝えてくれる人は、渡部教授をおいて他にはいない。流星や彗星など太陽系天体の研究の傍ら、国立天文台の副台長も兼任され、テレビ、講演、執筆などで大活躍中。
東京大学大学院、東京大学東京天文台を経て、1990年代のハワイ大学滞在中は、すばる望遠鏡建設推進の一翼を担い、2000年代には国際天文学連合の惑星定義委員として準惑星という新しいカテゴリーを誕生させ、冥王星をその座に据えた。活躍の場はワールドワイドだ。現在、自然科学研究機構国立天文台天文情報センター教授・副台長、総合研究大学院大学教授。理学博士。
1960年福島県生まれ。宮沢賢治に魅かれ、賢治の文学に現れる宇宙・天文について関心をもって調べてきた。当サイトでのコラム執筆には、賢治が星々をどのように表現して、どんな思いを込めたかについて、時代や風土も踏まえて見つめ直し、日本文藝家協会会員としての筆力を発揮して、東北の人々にエールを送りたいと意欲満々である。
主な著書、「新しい太陽系」、「ガリレオがひらいた宇宙のとびら」、「星空からはじまる天文学入門」、「天体写真でひもとく 宇宙のふしぎ」、「太陽系の果てを探る」)など一般向きの書物も多数。

2017年08月28日

そして賢治は宇宙へ(11)

途中で乗り込んできた奇妙な人物、鳥補りとやりとりをしているうち、汽車は、はくちょう座を想定した「白鳥区」を出ようとしている。そこに登場するのがアルビレオの観測所である。

アルビレオは、はくちょう座の最も南側、白鳥のくちばしにあたる3等星である。賢治は、ここに観測所を置いている。これは現在の国立天文台水沢VLBI観測所(旧、水沢緯度観測所)である。賢治は文中で測候所とも称しているが、確かに当時の緯度観測所では気象観測も行っていた。そして前にも触れたように、賢治は当時の水沢にあった緯度観測所を、実際に訪れている。

「もうここらは白鳥区のおしまいです。ごらんなさい。あれが名高いアルビレオの観測所です。」

黒い大きな建物が四棟あり、そのひとつの平屋根の上に、アルビレオを登場させる。

「眼もさめるような、青宝玉(サファイア)と黄玉(トパーズ)の大きな二つのすきとおった球が、輪になってしずかにくるくるとまわっていました。」

肉眼では何の変哲も無い恒星に見えるが、天体望遠鏡を向けると、ふたつの星が接近して輝く二重星である。みかけで約34.5秒角ほど離れており、明るい方の星(A)が黄色から金色に、暗い方の星(B)が青い色に見える。色の対比がまるで宝石のように見事なため、全天一美しい二重星として昔から有名である。
以前にも紹介したように(*)、文中の表現は吉田源治郎著『肉眼に見える星の研究』(1922年、警醒社)から得た知識とされている。同書では、「連星中の大きな方の星は、三等星で、色はトパーヅのような黄色に輝き、小さい方は、サフワイアのような碧色をしてゐます」と表現しており、同時代にアルビレオについて解説した書籍は他に無い。

アルビレオは実際にはもっと複雑な事情がある。トパーズ色の主星A自身が接近した連星なのである。主星Aをよくよく調べると、0.40秒角ほど離れた位置に主星より約3.4等ほど暗い星が存在しており、周期約200年程度でまわっている。
一方のサファイア色のアルビレオBは、現代天文学でも、主星Aと回り合う連星系をなしているのか、あるいはたまたま同じような方向、距離にあるだけの見かけ上の二重星なのか、実はよくわかっていない。アルビレオAとBとの現在の距離は約6千億km、0.1光年弱であり、もし連星系なら、その軌道周期は約10万年程度になる。少なくとも1万年程度、この両星を観測していれば、連星かどうかがわかるだろう。

いずれにしろ、当時は、アルビレオはAとBの連星と思われていた。2つの星がお互いに回り合う様子を、測候所の風速計に喩え、賢治は次のように記している。

「黄いろのがだんだん向こうへまわって行って、青い小さいのがこっちへ進んで来、まもなく二つのはじは、重なり合って、きれいな緑いろの両面凸レンズのかたちをつくり、それもだんだん、まん中がふくらみだして、とうとう青いのは、すっかりトパーズの正面に来ましたので、緑の中心と黄いろな明るい環とができました。それがまただんだん横へ外れて、前のレンズの形を逆にくり返かえし、とうとうすっとはなれて、サファイアは向こうへめぐり、黄いろのはこっちへ進み、また丁度さっきのような風になりました。」

いわゆる食現象を表す、美しい表現である。鳥捕りは、鉄道に乗り慣れているらしく、それを眺めると、「水の速さをはかる器械です」とジョバンニたちに説明するのである。

(続く)

(*)星空紀行「賢治が触れた星の情報源(5)」


2017年07月27日

そして賢治は宇宙へ(10)

天の川のほとりで行われていた発掘作業を見た後、再び銀河鉄道に乗り込んだ二人を待っていたのは、不思議な人物「鳥捕り」との出会いである。

「『ここへかけてもようございますか。』
がさがさした、けれども親切そうな、大人の声が、二人のうしろで聞こえました。」

茶いろの古ぼけた外套を着て、白い巾(きれ)でつつんだ二つの荷物を持った赤ひげの人物だ。自分は鳥を捕る商売だという、この人物と不思議な会話が続く。どんな鳥を捕るのか、と聞くと、四種類の鳥の名を挙げる。鶴、雁(がん)、鷺(さぎ)、白鳥である。このうち、星座として実在するのは、つる座とはくちょう座だけである。雁と鷺は星座にはないのだが、実は鷺は天の川とは深い関係にある。

七夕伝説では織り姫と彦星の間を分かつ天の川に橋を架けるのが鵲(かささぎ)である。ところが、鵲は日本には飛来することが少なく、鷺の一種と考えられていた節がある。実際、京都の八坂神社の祇園祭で披露される鷺舞は、もともとは七夕伝説の鵲だったが、その姿がよくわからなかったために、笠をかぶった白い鷺を「カササギ」に見立てて奉納されたようだ。その意味では、賢治が天の川に沿った鉄道に鷺を登場させたのは、もしかすると七夕伝説の一部を織り込む意図があった可能性もある。

さて、鳥捕りは、それらの鳥を食べるために捕獲すると説明する。おいしいかどうかと聞くと、包みを解いて、雁の一部を差し出して、食べるのを勧めてきた。それを食べたジョバンニは、

「(なんだ、やっぱりこいつはお菓子だ。チョコレートよりも、もっとおいしいけれども、こんな雁が飛んでいるもんか。(後略)」

と、少しばかり不信感を募らせる。カンパネルラも同じで、

「『こいつは鳥じゃない。ただのお菓子でしょう。』(後略)」

と尋ねると、鳥捕りは、何かたいへんあわてて、急に姿を消してしまう。と、窓の外で

「黄いろと青じろの、うつくしい燐光を出す、いちめんのかわらははこぐさの上に立って、まじめな顔をして両手をひろげて、じっとそらを見ていたのです。
(中略)がらんとした桔梗いろの空から、さっき見たような鷺が、まるで雪の降るように、ぎゃあぎゃあ叫びながら、いっぱいに舞いおりて来ました。するとあの鳥捕りは、すっかり注文通りだというようにほくほくして、両足をかっきり六十度に開いて立って、鷺のちぢめて降りて来る黒い脚を両手で片っ端から押えて、布の袋の中に入れるのでした。すると鷺は、蛍のように、袋の中でしばらく、青くぺかぺか光ったり消えたりしていましたが、おしまいとうとう、みんなぼんやり白くなって、眼をつぶるのでした。」
と、実際に鳥を捕る様子が描かれる。一方、鳥捕りに捕まえられずに、無事に天の川の砂の上に降りた鷺の様子も面白い。

「それは見ていると、足が砂へつくや否や、まるで雪の融けるように、縮まって扁(ひら)べったくなって、まもなく溶鉱炉から出た銅の汁のように、砂や砂利の上にひろがり、しばらくは鳥の形が、砂についているのでしたが、それも二三度明るくなったり暗くなったりしているうちに、もうすっかりまわりと同じいろになってしまうのでした。」

これは前の節と深く関係する。プリシオン海岸で発掘していたのは化石である。生物が一定の条件の下で石と化し、化石となったものだ。賢治はここでも鷺などの鳥も同じように大地に一体化することを暗示しようとしたのではないだろうか。少なくとも私にはそう思える。

鳥捕りはまたたくまに銀河鉄道の車内に移動して戻ってくる。いわば瞬間移動である。この瞬間移動は三次元空間では不思議なことだが、賢治の描く幻想第四次では、何の不思議でもないようである。

「『どうしてあすこから、いっぺんにここへ来たんですか。』ジョバンニが、なんだかあたりまえのような、あたりまえでないような、おかしな気がして問いました。
『どうしてって、来ようとしたから来たんです。』」

賢治は、この鳥捕りに、もうひとつ大事な役割を持たせている。ジョバンニとカンパネルラが、どこからきてどこへ行くのかを聞きだす役割だ。そのシーンはこの節「鳥を捕る人」の冒頭の部分と最後の部分に挿入されている。並べてみると、その役割がよくわかるだろう。

「『あなた方は、どちらへいらっしゃるんですか。』
『どこまでも行くんです。』ジョバンニは、少しきまり悪わるそうに答えました。
『それはいいね。この汽車は、じっさい、どこまででも行きますぜ。』」

そして最後の部分である。

「『ぜんたいあなた方は、どちらからおいでですか。』
ジョバンニは、すぐ返事をしようと思いましたけれども、さあ、ぜんたいどこから来たのか、もうどうしても考えつきませんでした。カムパネルラも、顔をまっ赤にして何か思い出そうとしているのでした。
『ああ、遠くからですね。』鳥捕りは、わかったというように雑作なくうなずきました。」

この会話が示す深い意味は、次の節で明かされることになる。

(続く)


2017年06月20日

そして賢治は宇宙へ(9)

銀河鉄道の白鳥の停車場で、降りたジョバンニとカンパネルラは、そのまま天の川のほとりまで行き、その水面に手を浸した後、不思議な光景を目にする。

「川上の方を見ると、すすきのいっぱいにはえている崖の下に、白い岩が、まるで運動場のように平らに川に沿そって出ているのでした。そこに小さな五、六人の人かげが、何か掘り出すか埋めるかしているらしく、立ったりかがんだり、時々なにかの道具が、ピカッと光ったりしました。」

興味を引かれた二人は、そちらへ向かう。白い岩がはじまるあたりに「プリオシン海岸」という、瀬戸物のつるつるした標札が立っていて、「細い鉄の欄干」や「木製のきれいなベンチ」もある、整備された風景が出現する。ここでカンパネルラが、クルミの実を拾う。それも化石になったものだ。

「『おや、変へんなものがあるよ』
カムパネルラが、不思議そうに立ちどまって、岩から黒い細長いさきのとがったくるみの実のようなものをひろいました。
『くるみの実だよ。そら、たくさんある。流れて来たんじゃない。岩の中にはいってるんだ』
『大きいね、このくるみ、倍あるね。こいつはすこしもいたんでない』」

賢治が北上川で見つけたクルミの化石については、以前にも紹介した。(*1)現在、日本に自生しているクルミではなく、約100万年前に絶滅したオオバタグルミの実である。全く現在のクルミとは違った大型のもので、これをきっかけに1925年、東北帝国大学の早坂一郎博士が現地に来られて、その化石を採集した賢治自身が案内したという。こうして、賢治の見つけた化石は、現在の小型のオニグルミへ進化していく前段階の種であることが明確となり、地質学の学術雑誌『地学雑誌』に「岩手縣花巻産化石胡桃に就いて」(大正15年2月発行 地学雑誌444号、55p)という論文として出版されるに至ったのだ。

こうした経験をもとに、賢治はジョバンニとカンパネルラに、クルミの実を拾わせ、そして早坂博士と思われる先生が、プリシオン海岸で発掘する様子を物語に組み込んだのだ。

「だんだん近づいて見ると、一人のせいの高い、ひどい近眼鏡をかけ、長靴をはいた学者らしい人が、手帳に何かせわしそうに書きつけながら、つるはしをふりあげたり、スコップをつかったりしている、三人の助手らしい人たちに夢中でいろいろ指図をしていました。『そこのその突起をこわさないように、スコップを使いたまえ、スコップを。おっと、も少し遠くから掘って。いけない、いけない、なぜそんな乱暴をするんだ』

そこから掘り出されているのは、大きな青じろい獣の骨であった。骨に番号が振られているのも実際の発掘現場を再現している。ジョバンニとカンパネルラは、学者先生とわずかに会話を交わす。特に、標本にするのかと聞いたところ、学者先生は、次のように答えた。

「『いや、証明するに要るんだ。ぼくらからみると、ここは厚い立派な地層で、百二十万年ぐらい前にできたという証拠もいろいろあがるけれども、ぼくらとちがったやつからみてもやっぱりこんな地層に見えるかどうか、あるいは風か水や、がらんとした空かに見えやしないかということなのだ。わかったかい。』(後略)」

賢治は、自分の経験をもとに、ジョバンニとカンパネルラをわざわざ銀河鉄道から下ろし、天の川に手を浸すだけでなく、クルミの実を拾わせ、100万年前の地層を発掘する現場の話を挿入している。このクルミの一件は、賢治が文壇で認められることもなく、作品が売れず、順調だった教師生活にもいささか疑問を持ちつつあった頃のことだ。その頃、賢治は草野心平にあてて、

「私は詩人としては自信がありませんが、一個のサイエンティストとしては認めていただきたいと思います」
と書いている。賢治自身の心情が大きく揺らぎ、早坂博士のように科学研究での貢献をしたいという思いがあったであろうことは想像に難くない。少なくとも私には、そう思える。賢治の思いが、この挿話につながった可能性が強い。(*2)

その一方、この部分には、別の考察も可能である。ある研究者によれば、これら一連の話はすべて銀河、つまり天の川=ミルキーウェイに通じているという。
オオバタグルミは、バタグルミの一種であり、バタグルミはもともとバターの味がする。つまり、乳の道にふさわしい。さらには発掘されていた獣は、博士の話では牛の先祖である。その意味でも乳の道とすべて通じているとも考えられるのだ(「宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場するクルミの実の化石(後編)」、人植関係学誌15(1):35p、2015)。博識な賢治のことだ。実は、そこまで考えていたのかもしれない。

しかし、銀河鉄道の発車時刻は迫っている。カムパネルラが地図と腕時計をくらべながら、「もう時間だよ」といって、再び銀河鉄道に戻るのである。

(続く)

*1:本稿「賢治、大地へ(4)」
*2:本稿「賢治、大地へ(2)(3)」


2017年05月16日

そして賢治は宇宙へ(8)

銀河鉄道は、飛び降りて、りんどうをもぎ取って、ふたたび飛び乗れるくらいのゆったりしたスピードで進んでいく。実際には飛び降りることはないのだが、全体を通じて唯一、二人が汽車を降りるシーンが描かれている部分がある。カンパネルラが突然、自身の心情を吐露する場面から始まる、前回紹介した「北十字とプリオシン海岸」の章である。

りんどうがあふれる思いを代弁する中、白鳥の島が見えてくる。島には「金剛石のように」輝く十字架がたっており、どこからともなくハレルヤの声が聞こえてくる。ちなみに、この十字架こそ、はくちょう座そのものである。実際、はくちょう座を眺めると、その基本は明るい星で構成される十字架と見て取れる。実際、日本では十文字星という言い方があるほどで、羽の方向に伸びた星と、頭部から尾部まで伸びた星々が、とても均整がとれた配列になっている。

以前も述べたように、「銀河鉄道の夜」は、はくちょう座からみなみじゅうじ座への旅なのだ。この北十字を通り過ぎ、キリスト教の祈りの場面が過ぎると、やがて白鳥の停車場に到着する。この銀河鉄道の最初の停車場、白鳥の停車場で、20分間ほど停車時間があることになっている。賢治は、この20分を使って、ジョバンニとカンパネルラを汽車からおろして、不思議な体験をさせている。

「さわやかな秋の時計の盤面(ダイアル)には、青く灼かれたはがねの二本の針が、くっきり十一時を指しました。みんなは、一ぺんにおりて、車室の中はがらんとなってしまいました。
〔二十分停車〕と時計の下に書いてありました。
『ぼくたちも降りて見ようか』ジョバンニが言いました。
『降りよう』」

こうして二人は汽車のドアを飛び出して、誰も居ない改札口を通り抜け、水晶細工のように見える銀杏の木に囲まれた小さな広場に出た。そして、そこからまっすぐに「銀河の青光の中へ」続く道を辿って、汽車から見えたきれいな河原にやってくる。
なにしろ、ここは天の川の河原だ。手ですくい取る砂は「水晶で、中で小さな火が燃もえている」のだ。それは天の川に埋もれて一つ一つは天体望遠鏡でしか見えないような暗い恒星たちを意識しているのだろう。また、大きめの河原の石も変わっていた。「みんなすきとおって、たしかに水晶や黄玉(トパーズ)や、またくしゃくしゃの皺曲(しゅうきょく)をあらわしたのや、また稜(かど)から霧のような青白い光を出す鋼玉(コランダム)やら」だった。
天の川に散らばる明るめの恒星は色とりどりである。水晶のように白い星から、青白い星、そして後に現れるさそり座のアンタレスのように赤い星まで、実にバラエティに飛んでいる。それらの色の美しさを地上の鉱物や宝石に喩えていて、いわば「石っこ賢さん」の知識が総動員されている。もともと「銀河鉄道の夜」に限らず、賢治作品には鉱物の名称が頻繁に登場しているのは言うまでもない。

そして、河原でジョバンニは、走って渚に行き、天の川の水に手をひたす。

「けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとおっていたのです。それでもたしかに流れていたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮いたように見え、その手首にぶっつかってできた波は、うつくしい燐光をあげて、ちらちらと燃えるように見えたのでもわかりました。」

旅をしていると、ときどき海辺や大きな川に出会う。そんな時、海岸や河原に降りて、そこに手を浸してみたい思いに駆られることがある。そんな思いから、賢治はジョバンニとカンパネルラを河原に向かわせ、天の川に手を浸す場面として表現したのだろう。また、賢治自身も、北上川を何度も歩き、その水の流れに手を浸したことは間違いない。

この場面の次にはさらに不思議なシーンが待ち受けている。

(続く)


2017年04月14日

そして賢治は宇宙へ(7)

三角標とともに、ジョバンニとカンパネルラを乗せて走り出した銀河鉄道の車窓を彩るもうひとつのアイテムが、りんどうである。車窓を眺めていたカンパネルラが窓の外を指さしてつぶやく。

『ああ、りんどうの花が咲いている。もうすっかり秋だねえ』

線路脇の芝草の中に、「月長石ででも刻まれたような、すばらしい紫のりんどうの花が咲いて」いた。ジョバンニは、その言葉に応じるように、飛び降りて取ってこよう、と申し出る。カンパネルラは、しかし、その申し出を断る。

『もうだめだ。あんなにうしろへ行ってしまったから』

だが、りんどうは最初の一輪だけではなかった。

「カムパネルラが、そう言ってしまうかしまわないうち、次のりんどうの花が、いっぱいに光って過ぎて行きました。と思ったら、もう次から次から、たくさんのきいろな底をもったりんどうの花のコップが、湧くように、雨のように、眼の前を通り、三角標の列は、けむるように燃えるように、いよいよ光って立ったのです。」

りんどうは釣り鐘のような形をした青紫色の花をつける植物である。底の方には、白色から黄色のおしべめしべがある。もともと群生することは少なく、ススキなどの原っぱとか、田んぼのあぜ道などにぽつんと咲いていたりすることが多い。開花時期が秋ということもあり、どちらかといえば寂しげな花という印象が強い。賢治は、天の川という幻想空間の野原に、輝く三角標と、「次から次から」と、まるで群生しているような、りんどうの様子を描き出すことで、車窓を効果的に彩らせているのである。また、りんどうの花の色を月長石という鉱物で喩えているところも賢治らしい。月長石はムーンストーンとも呼ばれ、青白く輝く美しい鉱物で、宝石として扱われることも多い。幻想空間を彩る花という意味では、りんどうはぴったりだったかもしれない。

ただ、このりんどうにはもっと深い賢治の思いがあった可能性もある。寂しげなりんどうの花が群れて車窓を通り過ぎる描写の後、突如として章が「北十字とプリオシン海岸」へと変わり、カンパネルラが突然、自身の心情を吐露するからだ。

「『おっかさんは、ぼくをゆるしてくださるだろうか』
いきなり、カムパネルラが、思い切ったというように、少しどもりながら、せきこんで言いました。」

カンパネルラの思いは切ない。友人を助けようと川に入って、天国へ旅立とうとしている途中である。その思いをジョバンニは受け取りきれない、というよりも、彼の状況を理解しているわけではない。ジョバンニは自分なりに思う。

「(ああ、そうだ、ぼくのおっかさんは、あの遠い一つのちりのように見える橙いろの三角標のあたりにいらっしゃって、いまぼくのことを考えているんだった)と思いながら、ぼんやりしてだまっていました。」

りんどうは花言葉としては「悲しむあなたを思う、愛する」だといわれている。その花の凜とした姿からは、正義や誠実といった意味でも用いられる。まさに、母を思う場面としては最適な花である。そういう思いを賢治はりんどうに込めた可能性は大きい。平成帝京大学の石井竹夫氏は万葉集、源氏物語、そして「野菊の墓」などに取り上げられたりんどうの用例を引きながら、「カンパネルラが悲しく思う母への「思い」の暗喩であり、母への「思い」を友人のジョバンニに伝える手段として使われている」と指摘している。「湧くように、雨のように」あふれる母への思いを、群生したりんどうに託したのだ。(人植関係学誌、13 巻1号、 19-22,2013)。

いまでは見かけることも少なくなったりんどうだが、賢治は実際に野山を歩き回って、花の姿を目にしていたに違いない。そのりんどうを幻想鉄道の沿線の重要なアイテムに仕立て上げたことは間違いないだろう。

(続く)


2017年03月21日

そして賢治は宇宙へ(6)

明るい銀河の光に包まれ、鉄道は高次の幻想空間を走っていく。そして、車窓を流れる景色の説明が次のように挿入されている。

「けれどもだんだん気をつけて見ると、そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとおって、ときどき眼のかげんか、ちらちら紫いろのこまかな波をたてたり、虹のようにぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどん流れて行き、野原にはあっちにもこっちにも、燐光の三角標が、うつくしく立っていたのです。遠いものは小さく、近いものは大きく、遠いものは橙や黄いろではっきりし、近いものは青白く少しかすんで、あるいは三角形、あるいは四辺形、あるいは電や鎖の形、さまざまにならんで、野原いっぱいに光っているのでした。」

ここで、宇宙に浮かぶ星が光る三角標に見立てられていることに注意して欲しい。三角標という言葉は、ジョバンニが幻想空間に入り込む、天気輪の丘の場面でも登場している。天気輪の柱がいつかぼんやりした三角標の形になって光り出すのだ。

この三角標とは、測量で使われる三角点に由来する用語で、馴染みがない方が多いかもしれない。実は賢治が生きていた時代、正確な地図を作成するために日本全国でさかんに三角測量が行われており、その基準となる三角点が決められていった。そして、三角点同士の方角を定めるため、おのおのの三角点の上に四角錐型の櫓を建て、その上に鏡をおいて太陽光を反射させ、測量を進めていったのである。賢治の時代には、ちょうど岩手県のあたりの測量がなされており、賢治は、その櫓を実際に目撃していると推察される。その証拠に、盛岡中学時代の賢治の短歌にも登場している。

「雲くらく 東に畳み 岩山の 三角標も 見えわかぬなり」

この岩山は盛岡市に実在する山で、二等三角点が実在する。私が勤める国立天文台の三鷹構内にも一等三角点が存在し、その上に櫓が組まれている写真も残されている。この櫓は正式には「三角覘(てん)標」と呼ばれていたが、明治中期には陸軍参謀本部測量局の文献には一時期「三角標」と記され、その後、公式には使われなくなったものの、登山家やなどの間では使われ続けていた(「銀河鉄道の夜の用語「三角標」の謎」、米地文夫著、総合政策 第13巻第2号(2012))。
賢治は、登山にも親しんでいたことから、三角測量や三角点などに関しても見識は深かったはずで、三角標という言葉も中学時代には触れていたのだろう。

作品の中で、これを星に見立てたところも賢治らしい。三角覘標に設置された太陽光反射装置(回照器)が光るところは、まさに星の光そのものといえる。また、同じ三角覘標でも櫓の大きさは大小様々で、しかも三角点の測量上の重要度によって一等から五等までランク付けされているところも、星の等級と同じである。さらに、賢治は天文学でも三角測量の応用で恒星までの距離が測定されていることも知っていたはずだ。賢治の時代には、すでに数多くの恒星の距離が推定されていた。何よりも理科好きとして鉄道や天文学をよく理解していた賢治である。地上の測量観測網の要となる三角覘標を、宇宙の距離測定の要である星に結びつける発想は、自然に沸いてきたに違いない。色とりどりの燐光を発する大小様々の三角標がちりばめられた車窓の景色に見とれて、ジョバンニはつぶやく。

「ぼくはもう、すっかり天の野原に来た」

そして天の野原には、もうひとつ重要な景色を彩るアイテムも登場する。

(続く)


2017年02月13日

そして賢治は宇宙へ(5)

いつのまにか高次の幻想空間を走る鉄道にのったジョバンニは、金剛石のかけらがばらまかれたようなまばゆい景色に目をこすりながら、ふと気づくのが、親友カンパネルラの姿だった。

「すぐ前の席に、ぬれたようにまっ黒な上着を着た、せいの高い子供が、窓から頭を出して外を見ているのに気がつきました。そしてそのこどもの肩のあたりが、どうも見たことのあるような気がして、そう思うと、もうどうしても誰だかわかりたくて、たまらなくなりました。いきなりこっちも窓から顔を出そうとしたとき、にわかにその子供が頭を引っ込こめて、こっちを見ました。それはカムパネルラだったのです。」

驚いたジョバンニは、前からここに居たのかを聞こうとすると、先にカムパネルラがつぶやく。

『みんなはね、ずいぶん走ったけれども遅れてしまったよ。ザネリもね、ずいぶん走ったけれども追いつかなかった』

高次の幻想世界から、背景となる幻想世界へ戻る物語の終わりで、この言葉の意味がわかる仕組みになっている。もちろん、カンパネルラは友人を助けようと川に入り、そのまま流され天に昇っていったという設定である。賢治はさまざまな場面で、このような仕掛けを盛り込んでいる。

「カムパネルラは、なぜかそう言いながら、少し顔いろが青ざめて、どこか苦しいというふうでした。するとジョバンニも、なんだかどこかに、何か忘れたものがあるというような、おかしな気持がしてだまってしまいました。」

そして、場面は銀河、つまり天の野原を旅する雰囲気へと切り替わる。一挙に、当時の旅の風景と幻想の旅の車窓とが混じり合う物語へ突入する。

「ところがカムパネルラは、窓から外をのぞきながら、もうすっかり元気が直って、勢いよく言いました。
『ああしまった。ぼく、水筒を忘れてきた。スケッチ帳も忘れてきた。けれどかまわない。もうじき白鳥の停車場だから。ぼく、白鳥を見るなら、ほんとうにすきだ。川の遠くを飛んでいたって、ぼくはきっと見える』
そして、カムパネルラは、まるい板のようになった地図を、しきりにぐるぐるまわして見ていました。まったく、その中に、白くあらわされた天の川の左の岸に沿って一条の鉄道線路が、南へ南へとたどって行くのでした。そしてその地図の立派なことは、夜のようにまっ黒な盤の上に、一々の停車場や三角標、泉水や森が、青や橙や緑や、うつくしい光でちりばめられてありました。ジョバンニはなんだかその地図をどこかで見たようにおもいました。」

当時はカメラは高級品である。とてもではないが、一般の人が手にできるものではなく、旅の記録と言えばスケッチ帳だ。さらに自販機がどこにでもあるような時代ではない。のどを潤すお茶や水を入れる水筒も旅の必需品だった。それでも、カンパネルラは構わない、と言う。大事なのは銀河鉄道の道筋を示す地図だった。それもまるい板を、ぐるぐるまわして見ること、背景が黒曜石のように真っ黒なこと、それをジョバンニがどこかで見たように思うこと、などから、天文ファンならピンとくるはずである。星座早見盤である。実際、銀河鉄道に乗る前、ケンタウルス祭りで賑やかな町の時計屋の店で、ジョバンニが見入った黒い星座早見盤を、ここでイメージさせている。

そして幻想的な天の車窓の描写へと続く。

「『そうだ。おや、あの河原は月夜だろうか』
そっちを見ますと、青白く光る銀河の岸に、銀の空のすすきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした。
『月夜でないよ。銀河だから 光るんだよ』」

読者の皆さんは天の川がいかに明るいか、実感されたことがないかもしれない。私はオーストラリアのアウトバックと呼ばれる砂漠地帯で、人工光の影響のまったくない夜を体験したことがある。天の川の中心部、銀河中心と呼ばれる領域がオーストラリアでは天頂にやってくるが、月の光のない夜空では、その天の川の明るさで、自分の影ができているのがわかるほどなのだ。賢治が生きていた時代の花巻郊外も、おそらくそんな夜空が残っていたに違いない。ジョバンニの「銀河だから光る」という言葉は、決して誇張ではないのである。

(続く)


2017年01月10日

そして賢治は宇宙へ(4)

級友たちにからかわれたジョバンニは、走って黒い丘に向かい、天の川の見える頂きにやってきて、「天気輪の柱」の下で、どかどかするからだを、つめたい草に投げ出す。ここからが、賢治の幻想世界への飛躍が始まるのだが、その前に現実世界での汽車の描写がある。

「野原から汽車の音が聞こえてきました。その小さな列車の窓は一列小さく赤く見え、その中にはたくさんの旅人が、苹果(へいか、リンゴのこと)をむいたり、わらったり、いろいろなふうにしていると考えますと、ジョバンニは、もうなんとも言えずかなしくなって、また眼をそらに挙げました。」

都会の中の電車ではない。田舎を走る汽車である。しかも現代よりも街灯も少ない真っ暗な中であれば、その窓から漏れる光はさぞかし目立ったことだろう。寒い夜、明るい室内から漏れる光を眺め、なんだかその中にいる人たちが幸福に見え、蚊帳の外にいる自分が惨めに思える、などという経験は誰でもあるに違いない。

賢治はまず、現実として汽車に乗っていないジョバンニの思いを明確にさせた上で、幻想世界への飛躍を仕掛けている。寝転びながら、天の川を眺めているうち、次第に幻想世界へ入り込んでいくのだ。

「そしてジョバンニは青い琴の星が、三つにも四つにもなって、ちらちらまたたき、脚が何べんも出たり引っ込こんだりして、とうとう蕈(きのこ)のように長く延びるのを見ました。(中略)」

天気輪の柱は、輝く三角標になると同時に、銀河ステーションという声が聞こえてくる。

「億万の蛍烏賊(ほたるいか)の火を一ぺんに化石させて、そらじゅうに沈めたというぐあい、またダイアモンド会社で、ねだんがやすくならないために、わざと穫れないふりをして、かくしておいた金剛石を、誰かがいきなりひっくりかえして、ばらまいたというふうに、眼の前がさあっと明るくなって、ジョバンニは、思わず何べんも眼をこすってしまいました。気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごと、ジョバンニの乗っている小さな列車が走りつづけていたのでした。」

こうしてジョバンニとカンパネルラを乗せた銀河鉄道は走り出す。そして、その会話の中で、「白鳥と書いてある停車場」であることを明らかにする。天の川の中を飛んでいる姿に描かれる、はくちょう座である。

賢治が銀河鉄道の始発駅にはくちょう座を、そして終着駅にみなみじゅうじ座を選んだのは、きわめて深い意味がある。単純に目立つ星座と言うことだけではない。はくちょう座は、その均整のとれた形から「北十字」と呼ばれているからだ。

カンパネルラも、途中から乗車してくる沈没したタイタニック号の乗客だった少女もいわば死出の旅路の設定である。仏教で言えば、三途の川を渡る旅、キリスト教で言えば神に召される旅だ。宗教に造詣が深かった賢治ならではの構成である。終着点だけでなく、出発点も、まさにキリスト教の象徴とも言える「十字架」においた。賢治は銀河鉄道を北十字から南十字と設定したのである。

「にわかに、車のなかが、ぱっと白く明るくなりました。見ると、もうじつに、金剛石や草の露やあらゆる立派をあつめたような、きらびやかな銀河の河床の上を、水は声もなくかたちもなく流れ、その流れのまん中に、ぼうっと青白く後光の射した一つの島が見えるのでした。その島の平たいらないただきに、立派な眼もさめるような、白い十字架がたって、それはもう、凍った北極の雲で鋳たといったらいいか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しずかに永久に立っているのでした。「ハレルヤ、ハレルヤ」前からもうしろからも声が起こりました。」

賢治は、実に見事に、この始発駅に深い意味を持たせているのである。

(続く)


2016年12月12日

そして賢治は宇宙へ(3)

実際の銀河鉄道が走り出すシーンを紹介する前に、もうひとつ触れておいた方がよいことがある。いつも研究者の間で議論になる、「銀河鉄道の夜」にモデルはあるかという点だ。もちろん、銀河鉄道そのものは、賢治が見慣れていた岩手軽便鉄道であることは衆目の一致するところだろう。そして登場する様々なエピソードにも、それぞれ何らかのモデルが存在することは明白である。

ところが、ことジョバンニの親友のカンパネルラに関して言えば、誰を思い描いて書き進めたのか、確固たる定説はない。おそらく賢治がそれまで生きてきた人生で交わってきた複数の人物像が重なっているのだろう。

その一人は、賢治が国柱会をやめ、帰郷するきっかけになった妹トシである。トシは病気で亡くなり、その後、賢治は樺太を目指して、いわば傷心旅行ともいえる旅に出る。もちろん、これはすでにご紹介したように表向きは稗貫農学校の生徒に、就職を斡旋するためのものだったが、この旅で賢治は壮大な詩を残している。その翌年に「銀河鉄道の夜」が書き始められていることを考えると、亡くなった妹トシへの思いをカンパネルラに重ねたことは十分に考えられるだろう。

一方で、カンパネルラのモデルとして、もうひとりの人物が存在するのも確かだろう。以前にも紹介した保阪嘉内である。青春時代、密な時間を共に過ごし、将来は世の中のために尽くそうと誓い合った二人である。ところが、賢治は宗教でそれを実現しようと国柱会の門をたたき、共に同じ道を歩もうと嘉内を誘ったときには、すでに嘉内は別の道を歩み始めていた。その事実が賢治の精神に与えた衝撃は、計り知れなかった。

序盤のシーンで、親友と思っていたカンパネルラがザネリのグループと行動を共にしていた状況が語られる。そして冷たい言葉をかけられたジョバンニはショックを受けて、黒い丘へ向けて走り出す。このシーンは、異なる道を歩み始めた嘉内を知って、ショックを受けた賢治自身の心情と重なるところがあるといえるだろう。その意味では、このシーンに限れば、カンパネルラのモデルは嘉内の方が自然である。

一足飛びになるが、銀河鉄道の最終シーンも同じ構成だ。

「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」
「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。
「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。
「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。

という会話の後、カンパネルラは消えてしまうのだ。突然の別れが、ここに象徴されているように思える。

いずれにしろ、賢治の人生を彩った複数の人物像が重なって物語はできあがっている。

登場する様々なエピソードにしてもそうである。たとえば、銀河鉄道が走り出す起点になった「天気輪の柱」も、もともと五輪峠で賢治が見た五輪塔から発想されたものだが、それだけではなさそうで、われわれ天文学で用いていた天頂儀の影響もありそうだ(「[銀河鉄道の夜]フィールドノート」寺門和夫著、青土社)。賢治は1924年に緯度観測所(現在、国立天文台水沢VLBI観測所)を訪問しており、そのときに緯度観測の主力装置だった天頂儀を見学している。また、そのときの印象を書き残した『晴天恣意(水沢緯度観測所にて)』では、そこから眺めた風景に

「つめたくうららかな蒼穹のはて
種山ヶ原の右肩のあたりに
白く巨きな仏頂体が立ちますと
数字につかれたわたくしの眼は
(後略)」

とある。これは水沢から東へ五輪峠のあたりに発生した積乱雲が五輪塔のように見えることをイメージしている、とされている。

(続く)

※保阪嘉内、宮沢トシについては、
星からの視線を感じた賢治の心(4)
賢治、故郷へ帰る(1)
もお読みください。


2016年11月14日

そして賢治は宇宙へ(2)

冒頭の授業の部分の後、「銀河鉄道の夜」は物語の前提となる部分、すなわち主人公をとりまく状況を読者に伝えるストーリーへと入っていく。

ジョバンニは学校から帰る途中で、祭りの支度をする町の中を通り抜けて、活版所に向かう。ここで、活字を拾う仕事をするのだ。そして小さな銀貨を一つもらうと、活版所を飛び出してパンと角砂糖を買って家に向かう。家には病気がちの母がいるという設定だ。母との会話の中で、父が漁に出ているのか、監獄に入っているのか、微妙な会話が披露される。また、カンパネルラだけは悪口を言わない親友だということも明かされる。ジョバンニは牛乳が来ていないことに気づいて、

「そうだ。今晩は銀河のお祭りだねえ」
「うん。ぼく牛乳をとりながら見てくるよ」
「ああ行っておいで。川へははいらないでね」

と、物語の最後をにおわせるフレーズが挿入されている。こうして、自分が機関車になったような気分で歩くジョバンニは、いじめっ子のザネリとすれ違い、冷たい言葉をかけられる。悲しい気分になりながらも歩き続け、明るくネオン燈が灯った時計屋の店で立ち止まることになる。今日の授業を思い出しながら、「アスパラガスの葉で飾った黒い星座早見」を夢中でしばらく眺めるのだ。そして、星座早見の説明が入る。

「それはひる学校で見たあの図よりはずうっと小さかったのですが、その日と時間に合わせて盤をまわすと、そのとき出ているそらがそのまま楕円形のなかにめぐってあらわれるようになっており、やはりそのまん中には上から下へかけて銀河がぼうとけむったような帯になって、その下の方ではかすかに爆発して湯でもあげているように見えるのでした。」

賢治の時代、星座早見そのものが珍しかった。なにしろ、当時は日本天文学会編の三省堂から出されていた一種類しか日本にはなかった。それだけ状況説明が必要だったのだろう。その星座早見は、ひとつだけ現在の国立天文台にも残されているのだが、確かに黒色の台紙に星が書かれている回転盤が、青色の台紙に挟まれたデザインである。まさに「黒い星座早見」なのである。

さらに時計屋には星座早見だけでなく、

「三本の脚のついた小さな望遠鏡が黄いろに光って立っていましたし、いちばんうしろの壁には空じゅうの星座をふしぎな獣や蛇や魚や瓶の形に書いた大きな図がかかっていました。」

とある。前者はいうまでもなく三脚に乗った典型的な天体望遠鏡であり、後者は恒星だけでなく、神話に登場する星座の由来になった神々などを絵にした、いわゆる星座図絵である。これらも、今でこそ科学館やプラネタリウムなどの売店に普通に売っているが、当時、それほど普及していたとは思えない。おそらく賢治は東京に上京した折などに、そうしたものをおいてある時計店を覗いたことがあるのではないだろうか。いずれにしろ、このあたりの記述も賢治らしく正確きわまりない。

その後、ジョバンニは牛乳屋に向かったが、牛乳は受け取れず、帰りがけに再びザネリらのグループと出会い、からかわれる。そして、その中にカンパネルラの姿を見て、ショックを受け、黒い丘へ向けて走り出す。

こうして銀河鉄道が走り出す準備ができるのである。賢治の作品によく見られるパターン、すなわち現実から幻想世界へと飛翔し、再び現実へと戻ってくるパターンの、前半の現実パートといえるだろう。

(続く)

※宮沢賢治が入手した星座早見や天文知識を得た経緯については、「星空紀行」の中の「青春期の賢治と“星”(2)」や「賢治が触れた星の情報源(1)~(5)」に詳述
青春期の賢治と“星”(2)
賢治が触れた星の情報源(1)~賢治が触れた星の情報源(5)


2016年10月09日

そして賢治は宇宙へ(1)

賢治は、病床にあった時でも、意欲はまだ旺盛な面もあったといえる。前回紹介した「グスコーブドリの伝記」は、まさに死を実感しつつ過ごしていた時代に出版されたものだった。「雨ニモマケズ」も、その現れのひとつだろう。皆の幸せを願い、自分をある程度犠牲にしてもやれることをやろうという賢治の思想は、死を目前にした床にあっても衰えることはなかった。

その思いは賢治の様々な作品に貫かれている。そして、その思いの結晶が、改稿を繰り返しながらも、ついに完成を見ることなく、草稿の形で残された「銀河鉄道の夜」であろう。賢治といえば「銀河鉄道の夜」が真っ先に連想されるように、いまや彼の代表作となっているが、彼がこの最終稿で満足していたとは思えない。この作品については、多くの詳細な研究があり、もともとの第一次稿は1924年(大正13年)頃に書かれたとされている。つまり、まだ教師時代の元気な頃だ。そして大きな改訂がしばしば行われ、最終稿と呼ばれる第四次稿は1931年(昭和6年)頃とされている。賢治が再び石に向かう前である。そのため、1933年(昭和8年)に亡くなるまで、出版するチャンスは幾度もあったはずだ。ところが、「グスコーブドリの伝記」のように、原稿を出版社に送った形跡はない。
この作品が世に出たのは、賢治の死後、高村光太郎らによって1934年に刊行された宮澤賢治全集(文圃堂)がはじめてだ。現在の形になったのは、この作品の原稿の推敲の過程を詳細に検討した研究者・編集者の多大な努力のおかげで、1974年の『校本宮澤賢治全集』(筑摩書房)によってである。したがって、彼自身はまだ第四次稿で満足してはいなかった、と考えて良いだろう。晩年の2年間の病床で改稿した証拠はないが、まだ何かが足りないと思っていたのかもしれない。

しかし、少なくとも「銀河鉄道の夜」が「グスコーブドリの伝記」よりも強く賢治の思想と科学的知識、それも天文学に関する知識とが昇華された代表作となっていることは疑う余地はない。
たとえば、その冒頭、主人公のジョバンニが教室で授業を受けるところがある。

『「ではみなさんは、そういうふうに川だと言われたり、乳の流れたあとだと言われたりしていた、このぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか」先生は、黒板につるした大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯のようなところを指さしながら、みんなに問をかけました。』

その後、主人公のジョバンニや友人のカムパネルラが先生に指名され、答えられないのだが、実際にはジョバンニがカムパネルラの家で、書斎にあった本を一緒に眺めて知っていたことになっている。そして先生は続ける。
『先生は中にたくさん光る砂のつぶのはいった大きな両面の凸レンズを指さしました。「天の川の形はちょうどこんななのです。。。。』

こうして天の川の正体の説明をするのである。現在でこそ、多くの人にとって、天の川がわれわれの住む銀河系を内側から見た星の集まりであることは常識である。ところが、賢治の時代、それほど知られていた知識ではなかった。賢治が読んだであろうとされている「肉眼に見える星の研究」(吉田源治郎著、警醒社、大正11年)においてさえ、見え方の解説はあっても、その構造に関する記述はほとんど見当たらない。それをレンズを持ち出して説明するところは現代の天文学入門書の記述そのものである。
 

これから旅に出る天の川の天文学的な正体を、ここで読者に知ってもらう必要があったのだろうか。天文学者としては正しい知識を持ってもらうのはありがたいとは思うが、これから始まる空想上の鉄道の旅にそぐわないのではないか。そんな風に思っていたのだが、実際、この冒頭部分は、第三次稿までは存在していなかった。もしかすると、賢治自身もある時点で天の川の正体を知って驚き、これから旅することになる天の川そのものについて、正しい知識を持ってもらうべく、最終稿で挿入したのかもしれない。科学者になりたいとも思っていた賢治の思いが込められた冒頭部分とは言えないだろうか。

(続く)


<過去の記事>

◆2012年2月10日    旅に出ようと思う
◆2012年3月9日    賢治の生きた時代へ
◆2012年4月7日    石っこ賢さん
◆2012年4月20日    理科少年と星空
◆2012年5月1日    中学生の賢治は"星"に何を思ったのか?
◆2012年6月8日、29日    青春期の賢治と"星"(1)~(2)
◆2012年7月24日~9月28日    賢治が触れた星の情報源(1)~(5)
◆2012年11月2日~2013年1月25日    星からの視線を感じた賢治の心(1)~(5)
◆2013年3月8日~6月1日    賢治、故郷へ帰る(1)~(4)
◆2013年7月18日~2014年4月25日    教師時代の作品群(1)~(6)
◆2014年5月2日~11月22日    教師時代の作品群(7)~(11)
◆2014年12月27日~2015年7月1日    賢治、大地へ(1)~(7)
◆2015年8月3日~2016年1月14日    大地と向き合う(1)~(6)
◆2016年2月2日~9月6日    賢治、再び石へ向かう(1)~(8)
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