旅日記

「北秋田 自然への祈り」

リポーター:キダ・マイケル

今回、私は、秋田県北部の山深くへと旅をしました。長い冬の間、ここの風景は雪の下に埋もれますが、春が来ると、山々や谷が生命と新たな息吹に満ちたみずみずしい緑に変わります。地元の人たちは、何世紀もの間この土地の中に豊かさを見出し、人と自然との深いかかわりを示す伝統を受け継いできました。

歴史的に、秋田はその位置と地形のため、日本の政治や文化の中心から遠く離れ、狩りや採集を行う人々が暮らしていました。山々と豊かな谷のはざまで、人は自然と常に強いつながりを保ち、今も多くの人が農業や漁業、林業で生計をたてています。

今回、私はマタギと呼ばれる伝統の狩人と一緒に山を歩くことができました。この旅の前、私はいくつかの理由で少しナーバスになっていました。まず秋田では、食料を求めるツキノワグマと出くわす可能性があります。どこへ行っても大概、クマへの注意を喚起する看板がかかっています。さらに私は動物愛好家で、狩猟に対して複雑な感情を持っています。

しかしマタギの、クマに対する大きな心遣いと敬意を学んでからは、心が楽になり、受け継ぐ人が減りつつある伝統の大切さもわかりました。獲物となる動物の霊のために捧げる祈りや、その死を無駄にしないようあますところなく利用するやり方には、動物たちへのマタギの敬意が表れています。それは以前読んだ、アメリカ先住民の文化についての事柄によく似ていました。それに加えて、秋田の猟師たちは未来の世代の繁栄のため、森の保全にも積極的に取り組んでいます。

水は、秋田の人々にとって活力の源であり、秋田県が日本有数の米どころである大きな理由です。山々から流れる澄み切った水が、たくさんの田畑を潤します。秋田の人たちは昔からこの命の源に頼っており、豊作をもたらす雨を求める夏祭りが、毎年行われます。祭りの間は、遠くからでも音が聞こえる巨大な太鼓が打ち鳴らさます。祭りが始まった時には太陽が照りつけ、空には雲ひとつありませんでした。しかし驚いたことに、演奏や踊りが終わるころには空が暗くなり、雨が降り出してきたのです。

秋田県を訪れて以来、自然に対する私の見方は変わりました。秋田の人たちは、人間と自然、動物、そして人間どうしがいかに緊密につながっているかを教えてくれました。生きる上で、私たちはこの世界から受け取るだけでなく、未来の世代に思いをはせながら感謝をこめてお返ししていなければなりません。環境との調和を通してこそ、平和と真の幸せを感じる暮らしができるのです。


「富士山 聖なる頂へ」

リポーター:ピーター・スコーヴ

富士山は、日本の最高峰かつ最も有名な山であるだけでなく、日本三霊山の1つです。
かつて、その頂の火口縁周辺は神仏のいる場所と信じられ、巡礼者たちは聖なる世界を目指し、自らの魂を浄化させるため、何週間、あるいは何か月にもわたって修行を行いました。山伏と呼ばれる修行者たちは,水垢離(冷たい水で身を清めること)で旅を始め、道中では、樹も生えないような場所の洞窟や岩場に身を置きました。彼らにとって、それは究極のスピリチュアルな旅でした。

私がかつて初めて富士山に登った時は、多くの人たちと同じように登りました。五合目までバスで行き、比較的楽なルートを歩いて頂上へのぼり、同じルートで下山しました。その登頂で真の達成感を得られなかった私は、もっと本格的に登るためにいつか必ず戻ってこようと誓ったのでした。その機会が、ようやく来たのです!

ガイドの上村絵美さんと一緒に、私は現代の巡礼に出ました。まずは海辺での簡単な水垢離です。山伏のための村山登山道の山開きの儀式を見学し、それから、緑の木々、やわらかな緑の苔むす霧深い森、そして複雑な形の黒い溶岩の間を登っていきました。
ようやく頂上が近づいてくると、絵美さんが、山伏は「1…2…1…2…」と数えながら歩を進めることで、心の中を無にし、自らの欲求や願望を捨て去ったのだと教えてくれました。

実際、私の旅はそれほど苛酷ではなかったし、大自然や眺望に気を取られることもたびたびでした。しかし私は、自分が数多くの山伏たちの足跡をたどっているのだということを常に心に留めるようつとめました。そして今回の登山によって、富士山の歴史的かつ聖なる一面に、少し近づけたような気がしました。


「山形・飛島 恵みとともに」

リポーター:ジョン・ムーア

島への旅は、いつもワクワクします。まるで初対面同士のデートのようです。行先の様子は未知で、船から降りるまで分かりません。酒田港から素晴らしい波の上を進むと、ほどなく、平べったい美しい島が見えてきました。

飛島は、「北」と「南」が出合うことで、動植物、文化、そして地域性が見事に交差している奇跡の島です。沖縄から毎年繁殖のために飛来する1万羽以上のウミネコの巨大な集団が、巨大な岩山の上に騒がしく体を寄せ合っています。私たちは、早朝の漁の獲物の残りを与えてみました。ワオ!ヒッチコックの映画の通り。腹をすかせた鳥の群れは、恐ろしくもあります。

今も自分で取った種を植えて野菜を育てているおばあさんの自家菜園に、私は腰をかけました。彼女はそれまでの人生を語り、笑い、それからふたりで一緒に種を植えました。岩場の海岸を歩きながら漁師さんから聞いた、ロシア人船員との海上での物々交換の話は、ほほえましいものでした。潮が引いた海岸に現れる、古代の色をした驚くべき彫刻のような岩々。つねに表情を変える海――それでも今も数限りない種類のおいしい海藻や、味わい深く食べられるマグロなどの魚を抱いてうねる海――は、昼夜を通して、踊り、きらめいていました。

私が泊まった旅館の食事は、今まで日本の旅で味わった中で最高のものでした。この旅館は飛島にUターン・Iターンした若者グループの取り組みによって経営が引き継がれており、彼らは島の郷土料理を継承し、日常の食卓に乗せ続けたいと願っています。トビシマカンゾウの花びらの塩漬けが彩る、島固有の海藻。これは、飛島でしか食べられません。

何と素晴らしい体験でしょう。ひとりの老漁師さんが船で、海上に露出する小さな岩の島々まで連れていってくれました。環太平洋火山帯の只中にある海は、天国のように静かで美しいものでした。中に秘密をもつ島の神の洞窟も、また同様でした。島の内陸部にある古代の森をそぞろ歩いたり、海岸にある船乗りのための神社に驚いたり。そしてそこにはいつも、日暮れのカフェタイムをゆっくりと楽しめる時間がありました。

飛島は、特別な美しさを持った、穏やかな土地です。自然の奇跡の宝庫であり、一度訪れたら決して心から離れないふるさとです。


「津軽 相撲にかける」

リポーター:B.T

青森は、私の大好きな日本の1つです。この国に来て最初の5年半、私は青森のすぐ南にある岩手県に住んでいました。青森は新鮮な魚介類と、世界的に有名な祭りと、厳しい冬で知られ、訪れるたびに心ひかれる新たな発見があります。
今回の青森への旅では、津軽半島の相撲を知ることができました。この北の地の相撲の伝統を垣間見られて、本当によかったです。かつて相撲が祭りの儀式の一部だったことも、地元で人気の娯楽だったことも初めて知りました。

それまで私がテレビで見ていたのは、少年たちが家を出て相撲部屋に入り、体重を増やすため大量に食べ続ける、という物語でした。力士の生活とは強くなって成功するか、強くなれずにやめるかのどちらかであり、その中間という妥協は許されない、という印象でした。
だから、相撲には別の側面もあると知り、本当にうれしく思いました。相撲とは、テレビで放送される大相撲のような世界だけではなく、学校の生徒にとっては究極の課外活動であり、土俵を持たない家族たちにとっては日常生活に欠かせない一部となっているのです。そして体験してみた私にとっては、この1年で最も効いた運動となりました。

焼きイカ通りも、楽しい場所でした。地元の漁師さんたちが、収穫物を天日干しして売っています。食の冒険家を自負する私は、干した魚やイカを、ビーフジャーキーのお手頃な代用品として喜んでムシャムシャ食べました。周囲のハエの群れにはちょっと辟易しましたが、味見をあきらめるには及びません。ハエがいてもいなくても生干しは美味だし、店主さんたちは親切で愉快な人たちでした。

五所川原にある立佞武多の館も訪れました。私は、言葉で表せないほど立佞武多祭りが大好きなのです。数年前に地元の友達と一緒に参加して、すっかりハートを射抜かれてしまいました。
あの山車に、えもいわれぬ何かがあるのです…高さ、光、色彩、筆で書かれた墨の質感…どれとは決められません、とにかく私は山車の全てに夢中です。お囃子の音に囲まれながら佞武多の顔を見上げていると、ハッピーなおとぎの世界で巨人と踊っているような気分になります。いつか世界中の人たちがここを訪れ、ご自分の目で間近に見上げられるといいなと思います。


「日光 建築探訪」

リポーター:ジェームズ・ランビアーシ

日光で訪ねた数多くの素晴らしい建物や名所について思いを巡らすと、建築の役割の重要性をますます強く確信します。建築物は、単に雨風をしのぐだけのものではありません。
文化や時代の結晶であり、祖先の願いを我々に伝えてくれるものです。

たとえば東照宮は、ただ徳川将軍家の初代・家康の墓所にとどまりません。それは平和と繁栄の世で人間が建築や技術を通じてなし得る自己表現の、輝かしい成果を我々に見せてくれるものです。建築物そのものが、平和を守ることの大切さを、遠い過去から未来の人類へと伝えているのです。

つい100年前も、日光は平和の象徴でした。20世紀初頭、外国の大使らがその美しい自然に魅了されました。金谷ホテルは、国際色豊かな顧客に向けて日光を開いた先駆けで、夏のあいだ中禅寺湖畔に避暑に来る上流階級の外国人らを歓迎しました。第二次世界大戦の惨禍の数年前という想像を絶する時代、日光にはベル・エポックがあり、英国人・アメリカ人・イタリア人・ドイツ人、そして日本人がともに湖畔につどい、ヨットレースに興じていました。

日光は我々に歴史を見せてくれるだけでなく、自然の美しさを愛でる人の心は不変であることを明かしてくれます。皆さんが次に日光を訪れるとき、皆さんは過去を知るだけでなく、その自然と文化の遺産への敬意を未来の世代へつなぐ架け橋となることでしょう。


「熱海 復活のリゾート」

リポーター:チャールズ・グラバー

子どもの頃、夏になるとよく旅に連れていってもらいました。
家族でステーションワゴンに荷物を積み込み、見知らぬ場所へ探索の旅に出発するのです。新しい土地を目にするときのワクワク感を、私は人生の早い時期に経験したと思います。
番組の企画で熱海に行くと聞いた時には、胸が躍りました。そのリゾート地のことを、自分があまり知らないと気づいたからです。新幹線の窓から見かけていただけでした。熱海には、今でも私の脳裏によぎる、他にはないものがあります。

熱海は、かつては賑わう行楽地でしたが、その後厳しい時代を経験しました。地元の人々には、明らかに底力があります。かえりみられなくなった場所にクリエイティブなアイデアを発揮し、廃墟のビルを映画のセットに活用したり、パチンコ店を居心地のよい今風のゲストハウスに変身させたりしています。

熱海を見回していて、私は、フランスのリヴィエラや、さらに言うとモナコ公国を連想していました。切り立った山々が美しい海に迫り、そのはざまの貴重な土地に根をはって高く伸びるビル。現代的で最先端の、シックなホテルもあります。地上12階の“ビーチエリア・バー”を、想像してみてください。デッキチェアや、ふかふかの白い砂もあるのです。至福です。

申し分のない日本的なサービスと、何もかも忘れさせてくれる癒しの温泉を備えた、伝統的な日本旅館もあります。

私がもっとも感動したのは、現代文明と自然の融合でした。南へ延びる岩がちの海岸線は、圧巻です…まるで重力に逆らうように、海から垂直に数百メートルの高さで切り立つ崖。その下には、本土有数の澄んだ海があります。もちろん、私の大好きなおいしい魚介類の宝庫です。

熱海は、間違いなく特別です。熱海は苦難を耐えて新たな時代に適応し、再び活気を取り戻しつつあります。それを楽しむのは私たちです。驚くほど利便性がよく、東京から新幹線でたった50分。豊かな自然、伝統的でシックなリゾート、温泉、そして…おっと、忘れるところでした、1年中花火が打ち上げられます!2018年は18回の予定で、雨天でも決行されます。これ以上を望む人がいるでしょうか?
皆さんにとって、新たに探索すべき、素晴らしい場所です!


「足利・栃木 思い受け継いで」

リポーター:キット・レイナ・バンビーノ

テレビのパーソナリティーと英語教師の仕事をしている私は、自分の視野を広げるべく、常に世界を探求しようと努力しています。日本に暮らしてまだ3年、毎日が発見の連続です。

今回の旅で、栃木県を訪れる機会をいただきました。到着した途端に温かな雰囲気を感じ、なぜここが日本人の住みたい場所ランキングの上位にあげられるのかがはっきりわかりました。地元の人たちは、仕事中の人も通りすがりの人も、まるで私が同じ栃木県民であるかのように本物の笑顔で挨拶してくれました。

私が最も感動したのは、どの場所も、伝統を守るためによく保護され維持されながら、一方で若い世代をひきつけるための新鮮味が加味されていることでした。あしかがフラワーパークでは、壮麗で印象的な春の花々を観光客や県民が楽しめるよう、スタッフが一年中こつこつと努力している姿に驚きました。足利市と栃木市以外でも、伝統の価値を守りつつ新しい時代のテイストを追い求めることの大切さを、地元の人たちが教えてくださいました。

自分だけの和菓子を作る体験もできました。職人さんの卓越した技と素晴らしいユーモアのセンスのおかげで、彼に教えてもらいたがる人が多い理由がわかりました。舞台裏を見学することで、和菓子の作り方だけでなく、なつかしさやワクワクする気持ちなど、職人さんが客に何を感じてほしいと思っているのかも伺うことができ、貴重な体験となりました。

日本で最も古い学校である足利学校への訪問は、とても刺激になりました。孔子の教えと、それが現代生活にどう反映されているかを学びました。歴史を知り、書写体験をしたことで、自分の行動や考えにもっと自覚を持たなければと改めて思いました。

旅の間、日本のおもてなし文化を大いに感じました。しかしこの旅は何よりも、全ての背後にストーリーがあることを私に思い起こさせてくれました。自分のバックグラウンドをより深く知らねば、という、新たな視点を得ることができました。

足利市と栃木市の人たちは、驚きと感動を感じる心を決して失わず、情熱と感謝をもって精一杯生きることを教えてくれました。皆さんがあまりにも愛情深く優しいので、この土地への愛着が私の中に生まれました。それに、地元の味「ポテト入り焼きそば」も、たまらないおいしさでした。

必ず、また行きます!


「阿賀野川 春」

リポーター:キット・パンコースト・ナガムラ

この春、私は、阿賀野川の流域を旅する機会を得ました。新潟の山々の間を流れる、アクアマリンのような青緑色の水が渦巻く大河です。阿賀野川が、いかに食(おいしいサクラマスが生息)や楽しみ(静かな流れの上を学生たちがボートで疾走)を生み出しているかを発見しました。そして川面から立ちのぼる霧が、地元のあらゆる伝説の発想の源ではないかと気づきました。その中にはキツネの伝説もあります。日本では、賢くて他のものに化ける動物と言われています。

キツネの一種と同じ「キット」という名を持つ私は、超自然的存在であるキツネの結婚を祝う年に一度の夜のページェント、“つがわ狐の嫁入り行列”の見物に胸が躍りました。
提灯に照らされて、キツネの乙女らや、護衛、サムライ、そしてキツネのメーキャップを施した多くの町民が随行する、霧につつまれたこの婚礼は、最も魅力的な日本の春の儀式のひとつです。

この旅では、創意と才能にあふれる鬼瓦職人との出会いや、珍しくておいしい山菜のありかを教えてくれた姉妹との出会い、そして夜明けの漁も体験しました。あの朝、私たちの網には何もかかりませんでしたが、ただ川の力強い流れに身をおいて、水辺の鳥のさえずりや近くの田んぼで鳴くカエルの声を聞けたこと、それだけで十分な収穫でした。阿賀野川では、昔ながらの物語と季節の循環が密接につながり、日常に伝説が潜む、そんな素顔の日本を感じることができます。私は、その思いを俳句に表現しました。

雪解川(ゆきげがわ)昔話をもう一度


※過去6回放送分を掲載しています。
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