旅日記

「佐賀 唐津くんち」

リポーター:カイル・カード
今回、私は西日本にある、佐賀県の唐津に旅をしました。唐津は紙や石炭などの産業の中心地として、昔から栄えてきた美しい港町です。

旅の目的は、伝説の「唐津くんち」に参加することでした。くんちは年に一度行われる神道の儀式で、この土地の神が神輿にのって唐津神社から浜(現在は、かつて浜だった場所)まで運ばれます。神は海から来たと信じられているので、これには里帰りの意味があります。

くんちは去年、ユネスコ無形文化遺産として認められました。そのため、今年は観光客でいっぱいでした。曳山と呼ばれる1~2トンの山車の巡行を目当てにした熱心な見物客が、道路の際まであふれていました。曳山は神の守護として、通りを練り歩く神輿に付き従います。

唐津から出ていった人たちも、この祭りに参加するため、毎年必ず日本中から帰ってきます。正月や盆といった日本人ならではの行事には戻らなくとも、くんちだけは絶対に外せないのです。

実際、くんちは単なる“祭り”の域を超えています。より儀式としての意味が強く、各人の暮らしと深く関わっており、集団でまとまろうという意識があります。それぞれの曳山のメンバーを結びつける共同体意識は大きな家族のそれに等しく、彼らは互いの喜ばしいことも悲しいことも共有しながら、ともに成長し、ともに齢を重ねていきます。巡行では、若者から年配の者までひとりひとりに役割があります。そして全員が、将来自分の後任となる者たちへ、各持ち場の詳細を引き継ぐ責任を負っています。

くんちを経験することで私は、伝統を生かしつつ未来の世代へ受け継いでいくことの大切さに気付かされました。消えゆく伝統や文化のルーツが私たちの記憶から薄れていく前に、いかに次世代へつないでいくのか。ユネスコに認められたことで、唐津くんちはその成功例として注目されることでしょう。


「十和田 時をこえて」

リポーター:キット・パンコースト・長村

私が東北行きの新幹線に乗った時、東京の木々の葉はまだほとんど色づいていませんでした。が、青森県と秋田県の境にある十和田八幡平国立公園に到着すると、そこでは秋の紅葉がすでに最終ステージを迎え、とりどりの金色に揺らめいていました。 その金色の中に、青い宝石のような十和田湖がありました。

チャーミングな地元のガイド、吉崎明子さんといっしょに、十和田湖の水が注ぎこむ美しい奥入瀬渓流へと向かいました。奥入瀬渓流にはドラマチックな滝や、水で削られた島々の間を縫って流れる長く透明な急流があります。舞い落ちる紅葉のふぶきの下、そこはまさに別世界でした。山あいの生態系や、岩・苔・木々と清水とが織りなす繊細な関係について学びながら、私は吉崎さんと詩的な数時間を過ごしました。

次に私は、十和田湖近くの尾去沢鉱山の坑道へ入りました。1300年以上前にひらかれたこの鉱山は、長い間貴重な鉱物、おもに銅を産出してきました。この坑道のレプリカが尾去沢鉱山博物館に展示されていますが、その複雑さといったら開いた口がふさがらないほどで、東京の入り組んだ地下鉄システムのノウハウがどこから来たのかが分かる気がしました。

絶対的な安全が確認された上で、尾去沢の坑道の一部は現在観光客に開放されています。ガイドの関村秀穂さんが、孔雀石の光を見つけることで銅の鉱脈を当てる方法を教えてくれたり、作業員がかつて掘り進んだ不気味な深い裂け目を示してくれたりしました。彼らに対する私の尊敬の念が、改めて高まりました。
  
湖畔に戻ると、銀に光るピンク色のマスを勢いよく水揚げしていた小林義美さんという漁師さんに出会いました。彼によればこの美しい魚は湖育ちのヒメマスで、地元の英雄・和井内貞之(1858~1922)が鉱山労働者たちに食べさせるために湖で養殖できる魚を何年も探した結果、行きついた魚だそうです。湖畔の、廃校になった学校の机や椅子を使った学校カフェには、ヒメマスを使ったメニューがありました。ヒメマスは、私が今まで食べた魚の中で最も身がやわらかく味にクセのない魚です。もし私が学校カフェの校長先生だったら、そのおいしさに「A+」の成績をあげることでしょう。

最後に、小坂を訪れました。ここは銅に沸いた時代の壮大な面影が、1世紀前の西洋建築に残されている町です。見どころには小坂鉱山事務所や、鉱山労働者の娯楽を目的に建てられた木造の芝居小屋・康楽館などがあります。
私も大衆演劇を鑑賞するため、康楽館の畳の席に座りました。開演前、観客に対してこんなお知らせがありました。劇中は笑いあり涙ありだと…そして、念のためにティッシュを販売していると。率直に言ってそこまでの感動は期待していなかった私ですが、幕が開いてみると文字通り笑えて泣けて、役者さんのひとりに一目ぼれまでしてしまったほどでした。

十和田湖の貴重な美しさを保ちながらも生活する場としての活力を保つため、周辺の人々がいかに奮闘してきたか。私の思いは、最終的にそこに至りました。過去の遺産(自然のものと人工のもの、どちらも)を基盤にして、様々なことにこまかく配慮しながら展開する観光業。その新旧のバランスが、この地域では絶妙に保たれているのです。


「今治菊間 受け継ぐこころ」

リポーター:シリル・コピーニ

日本で長く暮らしている私は、国内のあらゆる場所を旅してきました。日本の地方の多様性は、驚くべきものです。各都道府県に、独自の文化、食べ物、方言があります。日本の美しさは、ある特定の場所にとどまるわけではありません。エネルギーが躍動する都会の街並みから、荘厳な山頂の神社、そして田園地方に広がる水田まで、広範囲に及びます。人それぞれに、楽しめる日本があるのです。

四国の愛媛県今治市菊間町との出あいは、特別なものでした。東京から飛行機でたった1時間20分の所に、伝統的な日本を探し求める旅行者が望むすべて(食べ物、文化、地元の人々)がありました。
旅の中で、祭りに対する菊間町の人々の愛がよくわかりました。祭りは日本全国にありますが、「お供馬の走り込み」は、少年と馬が登場する非常にユニークなものです。馬たちのエネルギーも印象的でした。
私はまた、「瓦」についても多くを学びました。瓦は実用的なだけでなく、まさに芸術品です!フランス語で、“職人”を“アルティザン”、“芸術家”を“アルティスト”と言います。どちらの単語も語源は“アート(芸術)”であり、私はその意味を、菊間瓦によって深く理解しました。

素晴らしい人たちとの出会いもありました。温かくて優しい方々です。この地で知り合った新しい友人たちをいつか再訪できる日を、私は楽しみにしています。


「北海道 鵡川」

リポーター:ディーン・ニューコム

私は冒険中毒です!ですから「北海道を流れる135キロの川を下る旅の話がある」と聞いたとき、迷いはありませんでした!

北海道は、日本の大自然の中に身をゆだねたい人にとって格好の遊び場です。そこではまるで体が意思を持っているかのように、朝起きたらスニーカーの紐を結び、走り出してしまいます。あの自然の中に、身を置きたくなるのです!

しかし、川から自然を見たり感じたりすることは、そうそう簡単にはできません。私は日本や他の国で何度かラフティングをした経験があり、カヤックにもかなり慣れてはいますが、ここでは幸運にも、6日間の旅をすばらしいチームにガイドしてもらえることになりました。寝泊りする場所や食べるものの心配をしなくて済みました。実際、キャンプで食べる食事は、レストランでの食事よりもワクワクするものです!

川のカーブを曲がるたびに、物語がありました。近代史の話もあれば、そこがアイヌの土地だった時代の話もありました。私は一人のアイヌの方とともに座り、その歴史を聞き、古くから伝わる儀式に参加させていただきました。それは一生に一度しかない経験だと思うし、アイヌの方々の話を聞いたあとでは、自分の人生への疑問などどうでもよくなってしまいます!

今回の旅が特別だったのは上に書いた理由のためでもありますが、撮影チームと一緒に頑張ったからでもありました。ただ私が何かを体験して、テレビ向けに動いているところを撮影される、というような旅ではありませんでした。スタッフも含め全員が、困難ながらも得るものの大きい挑戦をしたのです。それは私たちが北海道で共に体験した本物の冒険であり、私は…いえ私たちは、しばらくはこの旅を忘れることはないことでしょう!


「徳島 熱狂・阿波踊り」

リポーター:B.T.

阿波踊りのことは、英語教師をしていた9年前、勤め先の学校が使っていた教科書で初めて知りました。同僚の教師も生徒たちもその祭りについてあまり詳しくなかったので、日本を去る前にいつか見てみたいものとして、常に私の頭の中にありました。

今回の旅を振り返って、徳島はすばらしい場所でした。人々は本当に楽しくて温かく、風景は美しかったです。吉野川を見て、それが徳島の産業にきわめて大きな影響を与えた歴史を学びました。脇町も訪れ、日本の近代以前の建築や防火技術を学びました。藍染めや、地元の料理にも出あいました。藍染め体験は、においは強かったけれどとても楽しく、私はすでにもう一度体験に行きたいと考えているほどです。

それから、祭りです。私は、日本の地方の町が年に一度の祭りで盛り上がる様子を見るのが大好きです。昼間から太鼓や笛の音が聞こえ、町全体が休暇に入っているように感じます。女踊りには、どこか威厳が感じられました。それは編み笠のせいなのか、あるいは彼女たちの手の動きのせいなのかはわかりません。でも、その踊りを一日中見ていられる気がしました。男踊りもクールでした。踊りにおいても、国においても、人生においても、多様性というのが私の好きな要素のひとつなので、「連」と呼ばれるグループの多くが阿波踊りに個性を加えているのを見て、心からワクワクしました。天狗や河童など有名な妖怪に扮した“日本妖怪連”というのがあったら、面白いだろうと思います。おそらく来年の祭りに間に合うように、誰かが結成することでしょう…。


「与那国島 はるかなる西へ」

リポーター:ビル・サリバン

ある時、ディレクターが私に言いました。「ビルさん、遠い亜熱帯の島へ、スキューバダイビングとカジキ釣りに行きませんか?」

「え… いいけど… 本当に!?」

私は長年「ジャーニーズ・イン・ジャパン」のナレーターとして、他の人たちの冒険を文字通り何百も見てきました。そして今回は、私の番でした!

ワクワクは、到着してすぐに始まりました。与那国の海底に広がる神秘的な地形を発見したその人に出迎えてもらった時の、私の驚きを想像してみてください!それは単なる自然の岩なのか、あるいは古代人の手で作られた壮大な建造物なのか、論争がいまだに続いているものです。

その場所に行くには残念ながら条件に恵まれなかったので、私たちは島の北西の4か所で潜りました。信じられないほどの透明度。美しいサンゴ。そして速い潮の流れ!

次は海上で、まるまる2日間のクロカジキ釣りです。船長の松川さんが、歌がちりばめられた昔話で私たちを楽しませてくれました。かつてクロカジキはたくさんいて、船の上にまで飛び込んできたこともありました。近年では、島周辺の海水温の上昇によって魚が深いところに生息するようになったため、漁獲量は減る一方だそうです。

エキゾチックな冒険と言えば、恋がつきもの。実は私自身にもそれが訪れました!「与那国馬」は、絶滅が危惧されている小型の在来種の馬です。2歳の太郎くんは、150頭ほどしかいないこの穏やかな馬の1頭。私たちは、すぐに心が通じ合いました。一緒に走って逃げようと試みたのですが、私の足どりがおぼつかなくてあきらめました。与那国の道は、サンダルばきでは長くは歩けなかったのです。

しかし私が何よりも気に入ったのは、島の人達は何かにつけ、すぐに歌を歌い出すということです。カジキの釣り大会が終わり、宿にもどるバスの中で歌う人々。豊かで悲しい島の歴史を歌うガイドの與那覇有羽さん。空や海に向かってささやくように優しく歌う松川船長…などなど!多くの町や村で失われてしまった、ふるさとへの愛着や共同体意識を、私はこの島に見いだしました。

言うまでもなく、丘や牧草地は青々としており、青い海や空は魅力的です。それから…暑くて湿度が高いことは、もうお伝えしましたっけ?

それ以上のたくさんのことが、与那国島で待っています。あなたの旅は、あなたが作るもの。さあ、エキサイティングな旅に出ましょう!


※過去6回放送分を掲載しています。
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