旅日記

「神岡 時をさかのぼる」

リポーター:ディーン・ニューコム

神岡は、あまり有名な町ではないかもしれません。実際、地図で見つけるのも少し時間がかかるでしょう。神岡は岐阜県の北部に位置します。私は車で長野県の山々を抜け、5時間がかりで到着しました。

しかしその遠さこそが、神岡を特別な場所のままに保っています。東京や他の大都市がどう変わろうと独自の暮らしを守り続けている日本の一地域であるように思います。ここでは時の流れが緩やかに感じられ、20世紀に町の経済の中心だった鉱業の影響が、今も町のたたずまいに残っています。

私が神岡を訪れたのは11月の初めでした。すでに紅葉が始まり、赤や黄色の葉が地面に散り敷いていました。四方にそびえる山々の間に、色とりどりのトタン屋根が無作為な取り合わせで軒を並べ、その中央を高原川が貫いている。そういう風情の町でした。

私にとってこの旅のハイライトのひとつは、レールマウンテンバイク「ガッタンゴー」でした。廃線となった鉄道の線路の上を自転車で走れるというユニークな体験は、町と自然のベストビューを楽しめることも含めて、神岡で絶対お勧めのアクティビティーです。

旅の最後は山之村でした。ここでは、すでに厳しい冬にむけた準備をしていました。最後の収穫を終え、その後の5か月間の保存食にするのです。本当に美しい村でした。山の中にぽつんと残った本物の日本です。人々は今もかやぶき屋根の家に住み、自給自足の生活をしています。私はいつか再びこの村に来て、山の新鮮な空気をもう一度吸いたいと心から願っています。


「西表島 祈りの天地」

リポーター:カイル・カード

ついに、沖縄へ旅ができることになりました!この機会を長いこと待っていた私にとって、今回の西表島への旅は期待を裏切らないものでした。ここは沖縄諸島のほぼ西端で、台湾のほど近くに位置します。西表島までのアクセスは船のみで、いちばん近い空港は隣の石垣島にあります。

台風が来ていたため、この熱帯の楽園のすばらしさを垣間見ることができるかどうかわかりませんでした。しかし我々撮影チームは最終的に数日の好天に恵まれ、西表島を存分に堪能することができました。マングローブとジャングルに覆われ、山々が海岸ぞいにそびえるさまは、息をのむような風景です。轟く滝が山々に点在し、今回の旅の目的である節祭(しち)の舞台となる神聖な雰囲気を作りだしています。

節祭は、前年の豊作を地元の神「ミルクさま」に感謝する儀式です。地元の、毎年違う男性がミルクさまに扮します。踊り、音楽、船の競争などが立て続けに催され、それら全てを見ているうちに、地元の人の心に根差す、自然の恵みや島の生活に対する感謝の意が伝わってきました。共同体意識、楽しさ、そして祭りの厳粛さまでが、私には何か魔法のように魅力的なものに見えました。500年間受け継がれ、細部までこだわって行われてきた奇跡です。

旅の間、ユニークで驚くべき人たちにたくさん出会いました。誰もが、島と、島での生活を深く愛していました。私は人々がいかに自然と調和した暮らしを営んでいるか、彼らがいかにその大切さを自覚しているかを知り、本当に感動しました。西表島の自然の中にある数多のつながりや循環を目の当たりにし、世界観が変わる感じがしました。多くの人々が、自然と調和して生きていくすべを再び思い出せる日が来るよう、私は心から願っています。


「金沢 色彩をたずねて」

リポーター:玲奈バンビーノ

今回の旅で、私は石川県金沢市を訪れる機会を得ました。この街では、「色」が重要な役割を果たしていることを知りました。世代を超え受け継がれる意匠や色彩を大切に慈しむ人々に、私は大きな畏敬の念を感じました。あちらこちらで、伝統の存続に尽くしておられる方々に出会いました。また、元藩主の前田家が美意識を維持したことに対し地元の人々が今も尊敬の念を抱いていることに、心から感銘を受けました。

金沢城は、日本の歴史における美の一例であり、私にとっては初めて訪れた日本の要塞でした。想像していたのとは違うその城を見て、私は、当時の人々が限られた道具でこのような建物を造りあげた(ただ造っただけでなく高度な美的感覚をもって創りあげた)ことに心を動かされました。この場所はとても静かで、観光スポットであるにも関わらず、私はサムライの伝統を感じながら自分のペースで見て回ることができました。

ひがし茶屋街の散策は、言葉ではとても言い尽くせない体験でした。建物のほとんどが今は店舗やレストランになっていますが、その保存状態のよさは驚きに値します。歴史的な雰囲気とゆったりとした時の流れに、心からくつろぎを感じました。
それから、私はあるお茶屋さんに足を踏み入れました。伝統的なしつらえや本物の芸者さんと女将さんに、まるで別世界に入ったような気がしました。私は彼女たちの美しさに心から魅了され、その謎めいた生活様式に好奇心をそそられました。

そうそう、加賀料理がすばらしかったことも言い忘れるわけにいきません。お店の心のこもったおもてなしと芸術的な器が相まって、完璧な食体験となりました。まさに、驚くほど品質の高い日本料理でした。

世代を超えて受け継がれ、リスペクトされているこの街の伝統を見て、金沢の人々がその維持に心を尽くしていることが分かりました。

金沢は私のバケツリスト(一生のうちにやってみたいことリスト)には入っていませんが、必ず再び訪れたい場所です。


「鳥取・伯耆 伝説とともに」

リポーター:ジョン・ドーブ

日本海に近い鳥取県の米子・大山エリアを訪ねるのは、私にとって今回が5回目でした。この地と恋に落ちるのはたやすく、第二の故郷にもなりうる魅力的な場所です。伯耆町には東京や大阪のような華やかさや娯楽はないかもしれませんが、もっといいものがあります。きれいな空気、地元産の食べ物、澄んだ水、ハッピーな人々。さらに、深い歴史も!

私たちは皆、東京をこの国の経済の中心地と考えています。しかし鳥取県のような場所は、この国の魂です。伝統や文化が、今も生活の基盤だからです。それが、この地の最大の魅力です。

蛸舞式神事は、数え切れないほどの世代を超え、今も変わらずに受け継がれています。参加者たちは、彼らの父親世代の先例にならいます。福岡神社の前に立って感じたのは、畏怖そのものでした。奇妙に見える儀式ですが、人々はそれに参加します。それが、彼ら自身よりも大きな伝統の一部だからです。

この地の人々を突き動かすのは、献身と精神です。ここには本当に地元愛があふれています。私はそれを、人々の温かなもてなしの中に感じました。私は、ここでできた友人たちに会うために、間違いなく6度目の訪問をするでしょう。そして…もしかしたらいつの日か、伯耆町の友人たちと一緒に、蛸舞式神事に参加しているかもしれません。


「芸予諸島 海賊の海へ」

リポーター:村雨辰剛(むらさめ・たつまさ)

日本史のなかで、英雄物語やドラマの多い戦国時代は、私にとって常に興味の対象です。ほぼ網羅したと思っても、知らなかった話が常に次々と出てくるところがおもしろいのです。私の母国スウェーデンは、ヴァイキングの国。彼らは船で世界を旅し、歴史に深い足跡を残しました。驚いたことに、日本の戦国時代にも同じような生き方をした戦士たちがいると聞きました。時に海賊とも呼ばれる、村上一族です。

船上のサムライについてもっと知りたいと思った私は、鞄に荷物をつめて、瀬戸内海の美しい島々へと旅立ちました。目的地の砂浜に足を下ろした時には、この旅がどれほど私の世界を広げてくれることになるか思いもよりません。そして振り返ってみれば、この旅は驚くほど、スウェーデン人としてのルーツを私に思い出させてくれました。
広島と愛媛は、芸予諸島と、それらを結ぶ橋でつながっています。瀬戸内海に浮かぶこの魅力的な島々に、私の中でスウェーデンの列島の風景が懐かしくフラッシュバックしました。このような景色の中で、スウェーデンのヴァイキングと村上一族の双方が島々に拠点を置いて生きることを選択したのは、偶然ではないでしょう。

旅の始めに、この海賊戦士たちのことをもっとよく知ろうと、私は大島に最近オープンした資料館へ足を運び、また村上一族が彼らの領土や海を守るために強固な城を築いた地をあちこち訪れました。これらの“海城”は、それが立つ島とほぼ同じ大きさの要塞です。こんなに荒々しい海の中でどうやってこのような城を築いたのかと、私は驚嘆しました。

今回の旅で得たさまざまな経験の中で、最も思い出深いことのひとつは、戦国時代の船――敵も気づかぬほど素早く進路を妨げ、攻撃を仕掛けた「小早船」のレプリカを漕いだことです。櫂は大きくて重く、実際にこの船が使われていた時代の男性の平均よりも大柄な私でさえ、操船に苦労しました。しだいにペースがつかめてくると、実戦においてこの船がいかに効率と敏捷性に優れていたかが想像できました。

これは、幸運にも参加させていただいた今回の旅において、私が得た数多い貴重な経験のひとつにすぎません。何よりも地元の人々と知り合い、仲良くなって、彼らの豊かな文化遺産を共有できたのが、私にとって本当の喜びでした。何といっても彼らは、瀬戸内海のあの勇猛な村上水軍の末裔なのですから。


「北秋田 自然への祈り」

リポーター:キダ・マイケル

今回、私は、秋田県北部の山深くへと旅をしました。長い冬の間、ここの風景は雪の下に埋もれますが、春が来ると、山々や谷が生命と新たな息吹に満ちたみずみずしい緑に変わります。地元の人たちは、何世紀もの間この土地の中に豊かさを見出し、人と自然との深いかかわりを示す伝統を受け継いできました。

歴史的に、秋田はその位置と地形のため、日本の政治や文化の中心から遠く離れ、狩りや採集を行う人々が暮らしていました。山々と豊かな谷のはざまで、人は自然と常に強いつながりを保ち、今も多くの人が農業や漁業、林業で生計をたてています。

今回、私はマタギと呼ばれる伝統の狩人と一緒に山を歩くことができました。この旅の前、私はいくつかの理由で少しナーバスになっていました。まず秋田では、食料を求めるツキノワグマと出くわす可能性があります。どこへ行っても大概、クマへの注意を喚起する看板がかかっています。さらに私は動物愛好家で、狩猟に対して複雑な感情を持っています。

しかしマタギの、クマに対する大きな心遣いと敬意を学んでからは、心が楽になり、受け継ぐ人が減りつつある伝統の大切さもわかりました。獲物となる動物の霊のために捧げる祈りや、その死を無駄にしないようあますところなく利用するやり方には、動物たちへのマタギの敬意が表れています。それは以前読んだ、アメリカ先住民の文化についての事柄によく似ていました。それに加えて、秋田の猟師たちは未来の世代の繁栄のため、森の保全にも積極的に取り組んでいます。

水は、秋田の人々にとって活力の源であり、秋田県が日本有数の米どころである大きな理由です。山々から流れる澄み切った水が、たくさんの田畑を潤します。秋田の人たちは昔からこの命の源に頼っており、豊作をもたらす雨を求める夏祭りが、毎年行われます。祭りの間は、遠くからでも音が聞こえる巨大な太鼓が打ち鳴らさます。祭りが始まった時には太陽が照りつけ、空には雲ひとつありませんでした。しかし驚いたことに、演奏や踊りが終わるころには空が暗くなり、雨が降り出してきたのです。

秋田県を訪れて以来、自然に対する私の見方は変わりました。秋田の人たちは、人間と自然、動物、そして人間どうしがいかに緊密につながっているかを教えてくれました。生きる上で、私たちはこの世界から受け取るだけでなく、未来の世代に思いをはせながら感謝をこめてお返ししていなければなりません。環境との調和を通してこそ、平和と真の幸せを感じる暮らしができるのです。


※過去6回放送分を掲載しています。
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