星空紀行 ~銀河鉄道の夜汽車に乗って~

2019年10月20日

そして賢治は宇宙へ(22)


銀河鉄道の夜の後半のストーリーで、天文学者としてひとつ不思議に思うことがある。それは銀河鉄道がさそりの火を後方に見送りながら、ケンタウルス座へと入る場面にさしかかるのに、ケンタウルス座に関する記述がそれほど多くはないことだ。ケンタウルス座は天の川にかかっている上、一等星が2つもある明るく派手な星座にもかかわらずである。本来なら、もう少し詳しい記述があってもよいように思うのだが、このあたりは原稿が喪失されているのではないか、という説もある。

ただ、銀河鉄道に乗ってからの記述は乏しくても、ケンタウルス座は銀河鉄道の夜では、きわめて重要なモチーフとして使われているのは言うまでも無い。冒頭、まだ幻想空間の鉄道に乗る前の場面、すなわちジョバンニが家から牛乳をもらいにいくために町に出かけたところの「ケンタウル祭の夜」である。以前にも紹介したように、ジョバンニがザネリたちにからかわれる場面があるのだが、このケンタウル祭の名前がケンタウルス座に由来しているのは明らかだ。また、この祭りそのものが旧来の日本のお盆に行われている灯籠流しが想定されていることも、「ザネリ、烏瓜ながしに行くの」と声をかけたジョバンニの言葉からもわかる。実際、賢治の住んでいた地方でも「四十八灯籠」などといった灯籠流しが行われていたという(例えば、「「銀河鉄道の夜」のケンタウル祭」、家井美千子、2004、岩手大学人文社会科学部紀要)。灯篭流しはお盆の頃の行事である。死んだ人の魂が子孫のもとへ帰ってくるお盆の時期、その魂を送迎する迎え火や送り火などと共に日本各地で行われていた。賢治は銀河鉄道の夜の中で、死んで天上へ向かうカンパネルラとともにジョバンニに旅させているわけだが、川と祭りという両者の要素を、どちらも物語の骨格にしているともいえる。ここでいう川は、ひとつは鉄道がそのほとりを走る天の川であり、またもうひとつはジョバンニの住む町の灯籠流しをする川、つまりカンパネルラが流されてしまった川である。両方の川を重ね合わせているわけである。祭りの方は、賢治が実際に体験したお盆や盂蘭盆の行事から発想した部分が大きいのだろう。

ケンタウルス座のふたつの一等星は、天の川のど真ん中で仲良く並んでいる。東側(左)の星がアルファ星でほぼ0等星、西側(右)が、0.6等とやや暗いベータ星である。両星は4度半、つまり満月9個分ほどと、ほどよく離れている。アルファ星とベータ星を結んで、そのまま西側に伸ばすと、そこにあるのが南十字星である。そのため、このケンタウルス座のふたつの一等星は、南十字星を指しているという意味で、サザンクロスのポインター(指し示すという意味)とも呼ばれている。その位置関係は賢治も認識していたはずだ。その意味では、冒頭部分にケンタウル祭を持ってくることで、最終的に物語の終着点が南十字星であることを意識していた可能性も少なくないだろう。もし、銀河鉄道が南十字へ近づく前の原稿が失われていなかったら、どんな展開になっていたのか、興味が尽きないところではある。

いずれにしろ、銀河鉄道は終点に向かって、ケンタウルス座を通過していく。乗っていた青年が連れていた姉弟にむかっていう言葉が印象的だ。

「もうじきサウザンクロスです。おりるしたくをしてください」

(続く)


渡部 潤一(わたなべ じゅんいち)

渡部 潤一(わたなべ じゅんいち)

最新・難解な天文学の成果を誰にでも判るように伝えてくれる人は、渡部教授をおいて他にはいない。流星や彗星など太陽系天体の研究の傍ら、国立天文台の副台長も兼任され、テレビ、講演、執筆などで大活躍中。
東京大学大学院、東京大学東京天文台を経て、1990年代のハワイ大学滞在中は、すばる望遠鏡建設推進の一翼を担い、2000年代には国際天文学連合の惑星定義委員として準惑星という新しいカテゴリーを誕生させ、冥王星をその座に据えた。活躍の場はワールドワイドだ。現在、自然科学研究機構国立天文台天文情報センター教授・副台長、総合研究大学院大学教授。理学博士。
1960年福島県生まれ。宮沢賢治に魅かれ、賢治の文学に現れる宇宙・天文について関心をもって調べてきた。当サイトでのコラム執筆には、賢治が星々をどのように表現して、どんな思いを込めたかについて、時代や風土も踏まえて見つめ直し、日本文藝家協会会員としての筆力を発揮して、東北の人々にエールを送りたいと意欲満々である。
主な著書、「新しい太陽系」、「ガリレオがひらいた宇宙のとびら」、「星空からはじまる天文学入門」、「天体写真でひもとく 宇宙のふしぎ」、「太陽系の果てを探る」)など一般向きの書物も多数。

2019年7月1日

そして賢治は宇宙へ(21)


銀河鉄道は、天の川のほとりを走りながら、夏の夜空の名所である、さそり座へ近づいていく。

「川の向こう岸が俄かに赤くなりました。楊(やなぎ)の木や何かもまっ黒にすかし出され、見えない天の川の波も、ときどきちらちら針のように赤く光りました。まったく向こう岸の野原に大きなまっ赤な火が燃やされ、その黒いけむりは高く桔梗いろのつめたそうな天をも焦がしそうでした。ルビーよりも赤くすきとおり、リチウムよりもうつくしく酔ったようになって、その火は燃えているのでした。」

そして、ジョバンニの疑問にカンパネルラが答える。

「『あれはなんの火だろう。あんな赤く光る火は何を燃やせばできるんだろう。』ジョバンニが言いました。
『蠍(さそり)の火だな。』カムパネルラがまた地図と首っぴきして答えました。」

天文ファンなら誰でも知っている、さそり座の1等星アンタレスの登場である。夏の夜、南の空に輝くアンタレスは、実に真っ赤に輝いている。アンタレスは、さそりの心臓にあり、その名前ももともと火星の敵という意味である。火星が夏の頃に地球に近づく場合は、火星の距離が地球に近く、大接近となることも多い。そのため火星が目立つだけでなく、このアンタレスと並んで輝き、共に赤さを競っているように見えるからだ。
天文学的にいうと、アンタレスは赤色超巨星という種類に属し、その大きさは太陽の300倍以上もあるとされる。比較的質量の大きな星が老齢になり、その外層がどんどん膨れていき、巨大な星になっていくと、表面がずいぶん星の芯から遠くなって温度が低くなってしまうので、赤い色になるのである。
日本ではアンタレスは「赤星」、「豊年星」、さらには酒に酔った顔色との連想から「酒酔い星」などと呼ばれていた。日本のように湿度の高いところでは、空の低いところに輝くアンタレスは、より赤く見える。

賢治は、このアンタレスを燃えている火としている。その赤さを「ルビーよりも透き通り、リチウムよりもうつくしく」と表現している。ルビーは宝石なので、良く連想できるのだが、一般の読者にリチウムはなかなか連想できないかもしれない。リチウムを含む化合物は燃やすと深い紅色に輝く。いわゆる炎色反応というもので、その色の波長は670.8nmである。これはストロンチウムの赤よりも深い。理科少年だった賢治は、このあたりも良く心得ていて、さらに言えば「リチウム」という言葉にも、遠い世界のエキゾチックな響きを込めているのだろう。

そして、このさそりの火には、賢治の自己犠牲の姿勢への強い思いが込められている。その思いは、ジョバンニたちに説明する少女の言葉に集約されているので、その会話をそのまま辿ってみよう。

「『蠍(さそり)の火ってなんだい。』ジョバンニがききました。
『蠍がやけて死んだのよ。その火がいまでも燃えてるって、あたし何べんもお父さんから聴いたわ。』
(中略)
『むかしのバルドラの野原に一ぴきの蠍がいて小さな虫やなんか殺してたべて生きていたんですって。するとある日いたちに見つかって食べられそうになったんですって。さそりは一生けん命遁(に)げて遁げたけど、とうとういたちに押さえられそうになったわ、そのときいきなり前に井戸があって、その中に落ちてしまったわ、もうどうしてもあがられないで、さそりは溺(おぼ)れはじめたのよ。そのときさそりはこう言ってお祈りしたというの。
ああ、わたしはいままで、いくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだを、だまっていたちに呉(く)れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらんください。こんなにむなしく命をすてず、どうかこの次には、まことのみんなの幸いのために私のからだをおつかい下さい。って言ったというの。そしたらいつか蠍はじぶんのからだが、まっ赤なうつくしい火になって燃えて、よるのやみを照らしているのを見たって。いまでも燃えてるってお父さん仰ったわ。ほんとうにあの火、それだわ。』」

賢治はアンタレスの火に、いわば自らが農業指導や肥料指導で実践したような自己犠牲の精神を埋め込んだといえるだろう。この場面は多くの研究者によって言及されている有名な部分だ。
その後、銀河鉄道はさそりの火を後方に見送りながら、ケンタウルス座へと入っていく。

(続く)


2019年6月3日

そして賢治は宇宙へ(20)

トウモロコシ畑を過ぎ、銀河鉄道は高い崖から、川面へ向かって急速に降りていくことになる。

『この傾斜があるもんですから汽車は決して向こうからこっちへは来ないんです。そら、もうだんだん早くなったでしょう。』

と、乗客の老人に言わせている。そう、一度降りたら戻れない、といういわば三途の川をイメージさせている下りである。賢治は、この場面でかなりの傾斜を想定していたらしい。乗客たちの描写も次のごとくだ。

「どんどんどんどん汽車は走って行きました。室中のひとたちは半分うしろの方へ倒れるようになりながら腰掛けにしっかりしがみついていました。ジョバンニは思わずカムパネルラとわらいました。」

これだけの傾斜となると、通常はまっすぐに降りずにループを描きながら工夫した敷設をするはずで、モデルになった初期の岩手軽便鉄道にも、これほどの傾斜地は無かったはずである。花巻から土沢駅まではかなり平坦で、高低差はせいぜい数十m程度しかない。ただ、その先、釜石までは相当な高低差になり、標高887mとなる仙人峠を超えて鉄道で繋ぐことができなかったという歴史がある。いずれにしろ、一歩通行で、一度川面へ降りたら戻れない、ということを強調したかったのだろう。

ところで、天の川の川面が近づくと、ジョバンニは会話にとけ込めなかったことなど忘れて、「だんだんこころもちが明るくなって」、気分が良くなっていく。天の川の両岸に、「星のかたちとつるはしを書いた旗」を登場させ、ジョバンニに『あれなんの旗だろうね。』と言わせている。それが架橋練習をしている工兵たちの旗であるらしいことを女の子に言わせた後、「下流の方で、見えない天の川の水がぎらっと光って、柱のように高くはねあがり、どおとはげしい音が」する。これにカンパネルラは『発破だよ、発破だよ。』といって小躍りして喜ぶ。跳ね上がった大きな鮭や鱒が丸い輪を描いて水に落ちるところで、ジョバンニももうはねあがりたいくらい気持が軽くなるのだ。

発破でこれだけ喜ぶ様子は、現代では余り理解できないかもしれない。確かに当時の子どもたちにとっては、発破は派手な爆発現象ということもあるが、水の中で魚がショックで仮死状態になり、それを捕まえられるという楽しみもある。そんなに経験できないことゆえ、楽しいのだろう。『僕こんな愉快な旅はしたことない。いいねえ。』とさえ言わせているほどだ。賢治も少年時代に発破で楽しい思いをしたのだろうか。

ところで、ここで魚が丸い輪を描くところは、もしかしたら賢治はフィッシュマウス星雲を意識している可能性もある。フィッシュマウス星雲は、こと座にあるリング星雲のことと賢治は思っており、岩手毎日新聞に連載した童話「シグナルとシグナレス」でも結婚指環として、環状星雲(フィッシュマウスネビュラ)として登場させている。天文ファンなら誰でも知っていること座のM57環状星雲なのだが、魚と丸い形とを意識していたと言えなくもない。さて、その真偽はどうあれ、この発破のシーンの後、賢治は天の川沿いに有名な星座を登場させる。

「『あれきっと双子のお星さまのお宮だよ。』男の子がいきなり窓の外をさして叫びました。右手の低い丘の上に小さな水晶ででもこさえたような二つのお宮がならんで立っていました。」

まちがいなくふたご座である。そして、「ふたごの星」という賢治作品そのものだ。「ふたごの星」でも、チュンセ童子とポウセ童子というふたごが小さな水精(すいしょう)のお宮に住んでいることになっている。ただ、はくちょう座から南十字への天の川沿いの旅路でいうと残念ながら実際のふたご座は通らない。ふたご座は冬の星座だからである。とはいえ、ふたご座のふたりの兄弟は、どちらも天の川に足を浸している形だ。

『双子のお星さまのお宮ってなんだい。』
『あたし前になんべんもお母さんから聞いたわ。ちゃんと小さな水晶のお宮で二つならんでいるからきっとそうだわ。』
『はなしてごらん。双子のお星さまが何をしたっての。』
『ぼくも知ってらい。双子のお星さまが野原へ遊びにでて、からすと喧嘩したんだろう。』

以前も登場した春の星座、からす座を喧嘩相手として登場させるだけでなく、宇宙の放浪者も登場させている。

『それから彗星(ほうきぼし)がギーギーフーギーギーフーて言って来たねえ。』
『いやだわ、たあちゃん、そうじゃないわよ。それはべつの方だわ。』

こうして、いささか錯綜気味の話題を遮るかのごとく、天の川の向こう岸がにわかに赤く染まり出す。いよいよ、夏の天の川の名所、さそりの火の登場である。

(続く)


2019年3月12日

そして賢治は宇宙へ(19)

銀河鉄道もいよいよ終点にさしかかろうとしている。なかなか思い通りにならないことで、胸の内に悲しみや苦しみをかかえたカンパネルラを乗せた銀河鉄道は、やがて新世界交響楽がはっきり聞こえるところまでやってくる。もちろん、音楽好きで、農民芸術を目指し、羅須地人協会でもレコードコンサートをやったほどの賢治のことゆえ、ドボルザークの交響曲「新世界」は当然ながら知っていたはずである。この世から、あの世へ、黄泉の国という未知の世界へ踏み出す時に、この新世界が最適だと思ったのだろうか。さらにいえば、もともとこの交響曲は北米に住むアフリカ系の人々やネィティブ・アメリカンの音楽から、それらの旋律を取り入れたという説があった。そのつながりであろう、ここで登場するのが「インデアン」である。

「そのまっ黒な野原のなかを一人のインデアンが白い鳥の羽根を頭につけ、たくさんの石を腕と胸にかざり、小さな弓に矢をつがえていちもくさんに汽車を追って来るのでした。

『あら、インデアンですよ。インデアンですよ。おねえさまごらんなさい』

黒服の青年も眼をさましました。

ジョバンニもカムパネルラも立ちあがりました。

『走って来るわ、あら、走って来るわ。追いかけているんでしょう』

『いいえ、汽車を追ってるんじゃないんですよ。猟をするか踊るかしてるんですよ』」

さて、天文ファンならピンとくるにちがいない。このキャラクターも実在の星座「インディアン座」に由来しているのだ。とはいえ、なかなか馴染みのない星座である。というのも、いて座の南に少し顔を出している程度で、基本的には南天にあるために日本などからは大部分が見えないし、また新しい星座であるため付随した神話や伝説がなく、さらには明るい星や著名な天体が無いことなどから、非常に知名度が低いのである。それでも天文に造詣の深かった賢治は、この星座を取り上げた。かつて、日本では「インド人座」という名称も使われたことがあるが、実際にはインドや東南アジアの原住民を想定して作られたとも言われている。しかし、賢治はまちがいなく北アメリカの「インデアン」と認識していたようだ。鳥の羽根飾りや、石などによる飾り物に、弓矢というのは典型的なパターンだろう。そしてなにより、「インデアン」は賢治の他の作品にも登場するからである。伊豆大島に農業指導に向かったときに書かれた詩「三原 第二部」には、

「(前略)
非常な干魃続きの時に
巨きな粒の種子を蒔きつけしますには
アメリカインデアンの式をとります
棒で三寸或いは五寸も穴をあけ
中に二つぶぐらゐもまいて
(後略)」

とある。以前にも紹介したように、賢治は農業、特に土壌改良の知識は豊富であり、また洋書も良く読んでいたため、アメリカの地で「アメリカインデアン」が、このような方法でトウモロコシを栽培していたことを知っていたと思われる。実際、詩中に彼らが登場した後の一節にも

「電しんばしらの碍子がきらっきらっと続いて二つばかり光って、またとうもろこしの林になってしまいました。」

とある。なぜ、トウモロコシが登場するのか。地元の冷害・不作に悩んでいた賢治には、もしかすると稲、小麦に次ぐ、トウモロコシの可能性を見ていたのではないか、という論考もある(「宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する農業(前編)」、石井竹夫、2012,人植関係学誌、12(1)、15)。そういった意味では、アメリカの大地に東北の新世界を思い描いていたのかもしれない。

ところで、登場した「インデアン」は、矢をつがえて狩りをするのだが、賢治はここで「踊るかしている」と黒服の青年に語らせていることにも、深い意味がありそうだ。この後に、猟に成功し、満足して彼らが笑うシーンが続くのだが、ここには狩猟や農業と、それを楽しみながら芸術へ繋ごうとする賢治独特の世界観、いわゆる農民芸術への思いが秘められていると言っても過言では無いだろう。トウモロコシ畑を過ぎ、銀河鉄道は非常に高い崖の上を走っている。その崖下に川が覗ける。その川に向かって降りていくことになる。

(続く)


2018年11月2日

そして賢治は宇宙へ(18)

よく言われることだが、「銀河鉄道の夜」のジョバンニが賢治自身を彷彿とさせる記述はしばしば見受けられる。前回紹介した、いるかとくじらに関する会話の部分もそうである。カンパネルラは、どちらかというと社交的で、途中から乗ってきた姉弟とも気さくに話をしているが、ジョバンニはそれを聞いて不快な思いをしている。くじらを見た経験が無く、カンパネルラのように語れないことをはじめ、いろいろなことが積み重なって会話に入れないのだ。そうこうしているうちに、姉は細い銀いろの指輪をいじりながら、「おもしろそうに」カンパネルラとの会話を続けるのだ。のけ者にされた雰囲気にジョバンニはたまらなくなり、心の中で叫ぶ。

(カムパネルラ、僕もう行っちまうぞ。僕なんか鯨だって見たことないや)

そして、ジョバンニは「たまらないほどいらいらしながら、それでも堅く、唇を噛んでこらえて窓の外を見て」いる。渡り鳥の交通整理を眺めていると、姉が語りかける。

「まあ、この鳥、たくさんですわねえ、あらまあそらのきれいなこと」

ところが、ジョバンニは生意気な、いやだいと思いながら、だまって口をむすんでそらを見あげたままだった。すでに頑なに自らの殻に閉じこもってしまっている。女の子は小さくほっと息をして、だまって席へ戻るしかない。そして、ジョバンニはさらに思うのだ。

(どうして僕はこんなにかなしいのだろう。僕はもっとこころもちをきれいに大きくもたなければいけない。あすこの岸のずうっと向うにまるでけむりのような小さな青い火が見える。あれはほんとうにしずかでつめたい。僕はあれをよく見てこころもちをしずめるんだ)

ジョバンニは、熱(ほて)って痛いあたまを両手で押さえるようにしてその青い火を見ながら、さらに思うのだ。

(ああほんとうにどこまでもどこまでも僕といっしょに行くひとはないだろうか。カムパネルラだってあんな女の子とおもしろそうに話しているし僕はほんとうにつらいなあ)

「ジョバンニの眼はまた泪でいっぱいになり、天の川もまるで遠くへ行ったようにぼんやり白く見えるだけでした。」

銀河鉄道の車窓には、とうもろこし畑が通り過ぎ、やがて青白い時計が第二時を示す頃に、小さな停車場に到着する。そして遠くから、かすかに新世界交響楽が流れてくる。音楽好きの賢治にはお気に入りの曲だったのだろう。そんな優しい時間の中で、ジョバンニはさらに落ち込む。

(こんなしずかないいとこで僕はどうしてもっと愉快になれないだろう。どうしてこんなにひとりさびしいのだろう。けれどもカムパネルラなんかあんまりひどい、僕といっしょに汽車に乗っていながら、まるであんな女の子とばかり話しているんだもの。僕はほんとうにつらい)

これまでも紹介してきたが、賢治は生涯、女性とは恋人と呼ぶに足るほどのレベルで、おつきあいをしたことはなかった。変人と思われていたことも一因とは思うが、やはり賢治は基本的に他人との距離の取り方が不器用だったといえるだろう。困っている人を助ける時には、常軌を逸するほど積極的だった。子供の頃、友人をかばうための賢治の極端な行動のエピソードには事欠かない。稗貫農学校の頃、同じ教師であった奥寺五郎が肺病を患い亡くなるまで、賢治は毎月30円もの援助をしたという。いくら賢治の給与が比較的良かったとは言っても、1921年末に賢治が教諭となった当時の80円から始まり、1923年には100円ほどになったに過ぎない。そのうち30円を毎月、同僚とはいえ、他人に施すのは考えにくい。当の奥寺も

「宮澤さん、あなたが善行をしているという自己満足のために私を助けるのだったらやめてください」

と断ろうとしたほどだ(「年譜 宮澤賢治伝」堀尾青史著)。羅須地人協会時代の農家への献身は、言うまでも無い。こうと思ったら、相手がどう思おうが、社会の常識がどうであろうが突き進む側面があった。志を同じくする男性の友人(保阪嘉内)と、人生を共に歩いて行こうと思ったこともあったが、やはり一方的な思い込みが強かった。賢治の思い込みの強さは、逆にそれが実現しないとわかった時の落胆の大きさにつながってきたこともあるからか、プライベートな側面では、かなり臆病な一面が見え隠れする。女性との会話に入り込めず、悲しい気持ちになるジョバンニはまさに賢治そのものなのである。

いずれにしろ、ジョバンニの悲しい気持ちを抱えたまま、銀河鉄道は走り続ける。そして、新世界交響楽がはっきり聞こえるようになると、いよいよインディアンの登場となる。

(続く)


2018年8月23日

そして賢治は宇宙へ(17)

からす、かささぎ、くじゃくと銀河鉄道の車窓を横切る鳥たちを話題にした物語は、さらに生き物の登場が続く。しかも今度は天の川の中に、である。

「ところがそのときジョバンニは川下の遠くの方に不思議なものを見ました。それはたしかになにか黒いつるつるした細長いもので、あの見えない天の川の水の上に飛び出してちょっと弓のようなかたちに進んで、また水の中にかくれたようでした。」

それに気づいた姉弟は、なんだろうと注目し、おかしな魚だ、と言う。しかし、カンパネルラは、その正体を見破るのである。

「海豚(いるか)です」

姉の方が、疑問を呈す。

「海豚だなんてあたしはじめてだわ。けどここ海じゃないんでしょう」

そして、天の川の中を泳ぐイルカの描写が続く。

「二つのひれをちょうど両手をさげて不動の姿勢をとったようなふうにして水の中から飛び出して来て、うやうやしく頭を下にして不動の姿勢のまままた水の中へくぐって行くのでした。見えない天の川の水もそのときはゆらゆらと青い焔のように波をあげるのでした。」

天文ファンなら、よく知っていると思うが、ここで登場する海豚も実在の星座、いるか座である。夏の天の川を南へ下る際、はくちょう座からわし座へ向かう途中の東岸にある、こじんまりとした星座だ。4つの星がこじんまりと菱形を作っていて、残りの一つが菱形の下に輝いている。それらを結ぶと、確かに海の上に飛び跳ねるいるかの形に見えてくるから不思議である。一度、見れば忘れることのできない実にかわいらしい、そして夏の夜空にふさわしい星座といえる。
ただ、このいるか座を形作る星は、みな4等星クラスで、夜空が暗い場所でないと見えない。賢治は、この実在のいるか座にヒントを得て、天の川の中に泳がせて、ストーリーを紡いでいるのだ。

姉とカンパネルラとの間で、ひとしきり海豚が魚かどうかの話が続く。カンパネルラは、いるかが魚ではないこと、くじらと同じけだものであると説く。

「あなたくじら見たことあって」
「僕あります。くじら、頭と黒いしっぽだけ見えます。潮を吹くとちょうど本にあるようになります」

カンパネルラとの会話を聞きながら、ジョバンニはいささか不快な思いをしている。まず、自分はくじらを見た経験が無いこと、そして会話そのものに入れないことが背景にある。このあたりは賢治自身の性格そのものが現れていると言っても良いかもしれない。その不快さは、やがて悲しさにつながっていく。

ところで、過ぎゆく車窓の風景の描写は、再度、天の川から空へと転じていくのだが、ここでの表現にもきわめて注目すべきものがある。

「その窓の外には海豚のかたちももう見えなくなって川は二つにわかれました。そのまっくらな島のまん中に高い高いやぐらが一つ組まれて、その上に一人の寛い服を着て赤い帽子をかぶった男が立っていました。そして両手に赤と青の旗をもってそらを見上げて信号しているのでした。」

実際に、暗い星空で夏の天の川を観察すると、南に下がっていくにつれて太く明るくなると同時に、その川中に暗黒帯が現れ、まるで天の川が二つに分かれていくように見えるのである。そして、その分かれはじめるところが、まさしくわし座のあたり、つまりいるか座の高さあたりに相当している。賢治は実際に天の川を見ていたので、これは決して偶然ではなく、創作上で現実の天の川を忠実に再現した部分になっているといってよい。
そして、天の川の中州の島で賢治は渡り鳥の交通整理をさせている。

「ジョバンニが見ている間その人はしきりに赤い旗をふっていましたが、にわかに赤旗をおろしてうしろにかくすようにし、青い旗を高く高くあげてまるでオーケストラの指揮者のようにはげしく振りました。すると空中にざあっと雨のような音がして、何かまっくらなものが、いくかたまりもいくかたまりも鉄砲丸のように川の向こうの方へ飛とんで行くのでした。」

これももしかすると賢治の経験に基づいているかもしれない。実は渡り鳥は夜間も飛ぶ。天体観測をしていると、天の川の切れ端が飛ぶように見えたり、月明かりや人工灯火に照らされてV字形に編隊を組んだ渡り鳥の群れがUFOに見間違えられたりすることがある。私もかつて東京の夜空で観察していた時に、編隊飛行の渡り鳥を目撃したことがある。賢治の著作の中に、そういった目撃談は筆者の知る限りは登場しないが、学生時代から長い時間、夜空を観察していた賢治のことである。その目撃体験が元になっていないとは断言できない。

(続く)


2018年6月27日

そして賢治は宇宙へ(16)

りんごをやりとりするシーンの後、銀河鉄道が走る天の川のほとりの景色と、それを話題にした登場人物たちの会話の描写が続く。車窓から見えた鳥に気づき、途中から乗り込んだ女の子が叫ぶ。
「まあ、あの烏(からす)」
隣に座っていたカムパネルラは、その間違いを訂正する。
「からすでない。みんなかささぎだ」
女の子に伴って乗車してきた青年が同意する。
「かささぎですねえ、頭のうしろのとこに毛がぴんと延びてますから」
天の川の青じろいあかりの上に、黒い鳥が列になっているようだ。賢治は、その様子を「たくさんたくさんいっぱいに列になってとまってじっと川の微光を受けている」と表現している。

すでに天文ファンにはおわかりだろう。からすは実在の春の星座「からす座」。おとめ座の南にある小さな星座で、明るくはないが、4つの星が台形をつくっていて、いちど覚えてしまうと忘れられない端正な星座だ。4つの星からからすの形は想像できない。それもそのはず、ギリシア神話では飼い主である神様の怒りにふれ、天にはりつけにされた姿で、その4つの鋲が光って見えているといわれている。一方のかささぎは、七夕伝説で7月7日の夜にどこからともなくやってきて天の川に並んで、橋となる鳥である。まさに「たくさんたくさんいっぱい列になってとまって」橋になるわけだ。賢治は、ここで西洋星座と東洋の星座神話を融合させているのだ。
このような試みは銀河鉄道の夜の創作思想に通底しているものと言って良い。もともとが北十字から南十字への旅であり、キリスト教の思想で枠組みを作りつつ、四次元空間という当時最先端の科学的なアイデアを存分に取り込み、融合させた作品である。縦横無尽の融合の試みが、読者にとってすべてが有効かどうかはわからない部分はあるものの、あちこちに見られる。

物語は続く。窓の外には青い森があり、その中心にひときわ高い三角標が見えている。それと共に、三〇六番の讃美歌が聞こえてくるが、次第に遠ざかり、やがてかすかになっていく。そこで、もう一種類の鳥が車窓に現れる。孔雀である。それを見て女の子が言う。
「あの森琴(ライラ)の宿でしょう。あたしきっとあの森の中にむかしの大きなオーケストラの人たちが集まっていらっしゃると思うわ、まわりには青い孔雀やなんかたくさんいると思うわ」
実際の孔雀の様子を、賢治はジョバンニに語らせている。
「その小さく小さくなっていまはもう一つの緑いろの貝ぼたんのように見える森の上にさっさっと青じろく時々光ってその孔雀がはねをひろげたりとじたりする光の反射を見ました。」
そしてカンパネルラと女の子の会話である。
「そうだ、孔雀の声だってさっき聞こえた」
「ええ、三十疋ぐらいはたしかにいたわ」
それを聞いて、ジョバンニは「にわかになんとも言えずかなしい気がして」しまうのである。

この孔雀、もちろん実在の「くじゃく座」からのアイデアである。日本では見えない南天の星座だ。もともと南天の星座は「ふうちょう座」とか、「カメレオン座」とか、珍しい鳥や動物などが多い。大航海時代に南半球にでかけたヨーロッパの人たちが、その珍しさや美しさに感激して星座にしたのだ。孔雀は、その一つなのである。したがって、これらの星座には、からす座のような神話はない。そのため、ここでジョバンニが悲しい気がする理由もあまり結びつかないのだが、それは死の悲しみを随所にちりばめようとする賢治の思いのなせるわざなのかもしれない。
さらに銀河鉄道の車窓には天の川の中の生き物が登場する。

(続く)


2018年4月23日

そして賢治は宇宙へ(15)

タイタニック号の悲劇で死出の旅路に出た幼い姉弟と共に、銀河鉄道はきらびやかな燐光とピカピカ光る三角標が立ち並ぶ天の川の岸を走って行く。そこへ、おもむろに乗客の一人、燈台看守がいつか黄金と紅で美しくいろどられた大きな苹果(りんご)を、姉弟のおもり役である青年に勧める。

「いかがですか。こういう苹果はおはじめてでしょう。」

青年は、その見事さにびっくりして、眼を細くしたり首をまげたりしながら、われを忘わすれてながめる。

「おや、どっから来たのですか。立派ですねえ。ここらではこんな苹果ができるのですか。」

「いや、まあおとり下さい。どうか、まあおとり下さい。」

青年はカンパネルラとジョバンニにも気遣って、一つずつ渡す。そして燈台看守は睡っている姉弟の膝にもそっと置く。

「どうもありがとう。どこでできるのですか。こんな立派な苹果は。」

尋ねる青年に燈台看守は長々と説明する。

「この辺ではもちろん農業はいたしますけれども大ていひとりでにいいものができるような約束になって居ります。農業だってそんなに骨は折れはしません。たいてい自分の望む種子さえ播けばひとりでにどんどんできます。米だってパシフィック辺のように殻からもないし十倍も大きくて匂もいいのです。」

このあたりは賢治の農業への思いが実に良く表れているところである。もともと賢治は農業に飛び込むために教師を辞め、羅須地人協会を立ち上げ、農民たちの要望にこたえながら無償で肥料指導をしてきたほどだ。手を加えない限り、農業は難しいことを熟知している。それだからこそ、理想郷である天の川のほとりでは何もしなくても良質な作物が出来ることを描きたかったのだろう。しかし、これに続くフレーズは、いささか解釈に苦しむところがある。

「けれどもあなたがたのいらっしゃる方なら農業はもうありません。苹果だってお菓子だって、かすが少しもありませんから、みんなそのひとそのひとによってちがった、わずかのいいかおりになって毛あなからちらけてしまうのです。」

もとより四次元空間の幻想世界である。何が起こっても驚くことはなかろう。しかし、このあたりは幻想がいささか強過ぎ、解釈にも困る部分だ。苹果を食べ始めた姉弟の様子も実におかしい。

「男の子はまるでパイを食べるように、もうそれを食べていました。また折角剥いたそのきれいな皮も、くるくるコルク抜きのような形になって床へ落おちるまでの間にはすうっと、灰いろに光って蒸発してしまうのでした。」

皮が床に落ちる間に光って消えてしまう表現は本当に幻想的である。

ただ、ジョバンニとカンパネルラは、燈台看守にもらったりんごを食べることはなかった。それらをたいせつにポケットにしまうのだ。その後、銀河鉄道が走る天の川のほとりの景色の描写が続くのである。

(続く)


2018年3月12日

そして賢治は宇宙へ(14)

鷲の停車場で、新たに銀河鉄道に乗ってきたのが、黒い髪の六つばかりの男の子と女の子の姉弟と青年の三人組である。登場の仕方も普通ではなかった。男の子は青年に手を引かれ、赤いジャケツのぼたんもかけず、がたがたふるえてはだしで立っており、女の子は青年の腕にすがっていた。そして、不思議そうに窓の外を眺めていた女の子へ、青年が銀河鉄道の行き先を読者に示唆する言葉を発する。

「ああ、ここはランカシャイヤだ。いや、コンネクテカット州だ。いや、ああ、ぼくたちはそらへ来たのだ。わたしたちは天へ行くのです。ごらんなさい。あのしるしは天上のしるしです。もうなんにもこわいことありません。わたくしたちは神さまに召されているのです。」

それにしても唐突、かつ直接的な表現である。ここまで銀河鉄道の行き先については漠然と思わせていたに過ぎなかったのにもかかわらず、ここで答えを明らかにしてしまっている。さらに、他の乗客は事情を理解しているのに、子どもたちが理解できていないというなんとも悲しい状況を描写している。

「『ぼくおおねえさんのとこへ行くんだよう。』腰掛けたばかりの男の子は顔を変にして燈台看守の向こうの席にすわったばかりの青年に言いました。青年はなんとも言えず悲しそうな顔をして、じっとその子の、ちぢれたぬれた頭を見ました。女の子は、いきなり両手を顔にあててしくしく泣いてしまいました。」

小さな子どもが状況を理解できないことはままある。親の死は特にそうだし、この場合は自らの死である。天国への道を辿る途中でも、まだ理解できないやりきれなさを読者に訴えているのである。

鷲の停車場の前からの乗客だった燈台看守がどうしたのか尋ねると、青年は訥々と応える。氷山にぶつかって船が沈んだこと、小さな子どもを救命ボートに乗せるか、あるいはこのまま神様のもとへ旅立つほうが幸福かと悩んだこと、どこからともなく讃美歌「主よ みもとに近づかん」が聞こえ、いろいろな国の言葉でそれをうたったこと、そして水に落ちて、ここへ来たこと。

言うまでもなく、これはタイタニック号の犠牲者である。処女航海中の1912年4月深夜に北大西洋上で氷山と衝突し、1500名以上の犠牲者を出した、当時、世界最悪の海難事故である。そのエピソードを銀河鉄道のストーリーに登場させたのは、賢治の思いが現れた一つの側面といえるだろう。ニュースになったタイタニック号の事件を知り、賢治は犠牲者に深く同情したに違いない。そして、犠牲者へのレクイエムとして、賢治はすっかりふさぎ込んだジョバンニに語らせている。

「ぼくはそのひとにほんとうにきのどくでそしてすまないような気がする。ぼくはそのひとのさいわいのためにいったいどうしたらいいのだろう。」

燈台守の言葉にも賢治の思いは露出している。

「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」

姉弟はつかれてぐったりと席によりかかって眠っている。その窓外には、きらびやかな燐光の川の岸と共に、幻燈のように大小さまざまの三角標が輝いていた。そして、苹果(りんご)が登場するシーンへと移っていくのである。

(続く)


2017年12月08日

そして賢治は宇宙へ(13)

ジョバンニが特殊な切符を持っていることが明らかになった後、鳥捕りがたいしたもんだと時々つぶやきながら、ちらちらと二人を眺めているので、二人はきまりが悪くなって、わざと視線を合わせずに窓の外を眺める。窓の外には、川の向こう岸に青白い三角標が、三つならんでいるのに気づき、地図を見くらべて、言う。「もうじき鷲(わし)の停車場だよ」

銀河鉄道は、すでにはくちょう座からわし座へと進んでいるのだ。わし座は、星の並びから鷲の形を想像できるほど、わかりやすい星座ではない。1等星のアルタイル、七夕の彦星が目立っていて、その両側にお供の星がくっついているのが、わかりやすい目印である。ちなみに右上(北西側)の星がγ星、左下(南東)の星がβ星で、中国では河鼓(かこ)三星と命名されていて、α星のアルタイルが大将軍、β星を左将軍、γ星を右将軍と呼んでいる。 (私はひそかに黄門様と助さん星、角さん星と呼んでいるのだが。) いずれにしろ、三つならんだ三角標に見立てているのは、この三つの星である。さて、この後の描写に少し注目したい。

『にわかにとなりの鳥捕りが気の毒でたまらなくなりました。鷺(さぎ)をつかまえてせいせいしたとよろこんだり、白いきれでそれをくるくる包んだり、ひとの切符をびっくりしたように横目で見てあわててほめだしたり、そんなことを一々考えていると、もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸いになるなら、自分があの光る天の川の河原に立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、どうしてももう黙っていられなくなりました。ほんとうにあなたのほしいものは一体何ですかと訊(き)こうとして、それではあんまり出し抜けだから、どうしようかと考えて振り返って見ましたら、そこにはもうあの鳥捕りが居ませんでした。』

誰でも初対面の人に対して、その距離感をどうするか悩むことはあろう。賢治は、どう考えても、対人関係の距離の取り方は得意ではなかった。女性に対してもそうだったことは、これまで紹介したとおりだが(*)、しかし一方で思い込んだら、その人のために思い切り働くというところもあり、いわば両極端に走りがちだった。ここでは、不思議な人物ではあったが、鳥捕りに対して、揺れ動く気持ちが描写されている。まさに現実世界で直面していた対人関係の距離の取り方に悩んでいる賢治の気持ちそのものと言っても良いだろう。それがカンパネルラとの会話にも現れる。

『「あの人どこへ行ったろう。」カムパネルラもぼんやりそう言っていました。
「どこへ行ったろう。一体どこでまたあうのだろう。僕はどうしても少しあの人に物を言わなかったろう。」「ああ、僕もそう思っているよ。」
「僕はあの人が邪魔なような気がしたんだ。だから僕は大へんつらい。」』

対人関係で悩み、どうしてあの時もっとこうしなかったのだろう、と思うことは誰でもあると思うが、賢治は、ここで多少の照れ隠しもあるのか、物語上では言い訳と思えるような文章も残している。

『ジョバンニはこんなへんてこな気もちは、ほんとうにはじめてだし、こんなこと今まで言ったこともないと思いました。』

いずれにしろ、賢治の性格が良く表れている部分と言える。

そして、この後に新たな登場人物が現れる。黒い髪の六つばかりの男の子、そして黒い洋服を着た青年、十二ばかりの茶色の目をした女の子である。この登場人物がのってきた鷲の停車場を過ぎ、銀河鉄道はいよいよ天の川のさらに南へと進むのである。

(続く)

「大地と向き合う(4)~(6)」に女性とのエピソードが描かれている


2017年10月05日

そして賢治は宇宙へ(12)

アルビレオの観測所を通り過ぎて、やってくる登場人物がいる。車掌である。赤い帽子をかぶった背の高い人物として描かれている。検札にきたのだ。

『切符を拝見いたします。』

という言葉に促され、話をしていた鳥捕りは、小さな紙きれを差し出す。と、車掌はジョバンニたちにも切符を出すように促す。すると、カムパネルラは小さな鼠色の切符を差し出した。さて、困ったのはジョバンニである。切符を買った記憶など無い。すっかりあわてたふうに、上着のポケットに手を入れると、何か大きなたたんだ紙きれに行き当たる。

「こんなもの入っていたろうかと思って、急いで出してみましたら、それは四つに折ったはがきぐらいの大きさの緑いろの紙でした。車掌が手を出しているもんですから何でも構わない、やっちまえと思って渡しましたら、車掌はまっすぐに立ち直なおって叮嚀(ていねい)にそれを開いて見ていました。そして読みながら上着のぼたんやなんかしきりに直したりしていましたし燈台看守も下からそれを熱心にのぞいていましたから、ジョバンニはたしかにあれは証明書か何かだったと考えて少し胸が熱くなるような気がしました。」

そして車掌は、ジョバンニは尋ねる。

『これは三次空間の方からお持ちになったのですか』

と尋ねられる。どぎまぎしながら、ジョバンニは 「何だかわかりません。」というと、車掌は納得したように

『よろしゅうございます。南十字(サウザンクロス)へ着きますのは、次の第三時ころになります。』

と言って、行ってしまうのだ。

それを見ていた鳥捕りも、カムパネルラも、その紙切れが気になって仕方がない。ところが、それはいちめん黒い唐草のような模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したものだった。ジョバンニには理解できなかったものの、鳥捕りは凄いものを見たと、次のように述べるのである。

『おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈でさあ、あなた方大したもんですね。』

このあたりの表現こそ、賢治がいかに最新の科学に造詣が深かったかを示す部分である。三次空間は三次元空間ということで、我々の日常生活をしている世界を指している。そして、銀河鉄道が走るのは、それとは異なる次元、「幻想第四次」、いわば四次元空間を想定しているのである。賢治は当時、話題になりつつあった相対性理論を理解していたと考えて良い。四次元というフレーズは、1926年に書かれた「農民芸術概論綱要」の序文にも記されている。

アインシュタインの相対性理論の発表は20世紀初頭で、証明されるきっかけは1919年の皆既日食である。その後、世界的に名声が高まり、この理論について解説する書籍が登場し始める。そして賢治が勤めていた学校の図書館にも相対性理論についての原書が所蔵されていた。1922年、アインシュタインは来日し、各地で講演を行ったのだが、賢治は直接講演を聴く機会は無かったと言われている。それでも、アインシュタインの来日は、賢治を含め、多くの日本の知識人に刺激を与えた。賢治がその一人であったことは間違いない。

いずれにしろ、ジョバンニが三次空間から持ち込んだ、きわめて特殊な切符を持っていることは、その後、三次空間に戻ることをも示唆しているといえるだろう。

(続く)


2017年08月28日

そして賢治は宇宙へ(11)

途中で乗り込んできた奇妙な人物、鳥補りとやりとりをしているうち、汽車は、はくちょう座を想定した「白鳥区」を出ようとしている。そこに登場するのがアルビレオの観測所である。

アルビレオは、はくちょう座の最も南側、白鳥のくちばしにあたる3等星である。賢治は、ここに観測所を置いている。これは現在の国立天文台水沢VLBI観測所(旧、水沢緯度観測所)である。賢治は文中で測候所とも称しているが、確かに当時の緯度観測所では気象観測も行っていた。そして前にも触れたように、賢治は当時の水沢にあった緯度観測所を、実際に訪れている。

「もうここらは白鳥区のおしまいです。ごらんなさい。あれが名高いアルビレオの観測所です。」

黒い大きな建物が四棟あり、そのひとつの平屋根の上に、アルビレオを登場させる。

「眼もさめるような、青宝玉(サファイア)と黄玉(トパーズ)の大きな二つのすきとおった球が、輪になってしずかにくるくるとまわっていました。」

肉眼では何の変哲も無い恒星に見えるが、天体望遠鏡を向けると、ふたつの星が接近して輝く二重星である。みかけで約34.5秒角ほど離れており、明るい方の星(A)が黄色から金色に、暗い方の星(B)が青い色に見える。色の対比がまるで宝石のように見事なため、全天一美しい二重星として昔から有名である。
以前にも紹介したように(*)、文中の表現は吉田源治郎著『肉眼に見える星の研究』(1922年、警醒社)から得た知識とされている。同書では、「連星中の大きな方の星は、三等星で、色はトパーヅのような黄色に輝き、小さい方は、サフワイアのような碧色をしてゐます」と表現しており、同時代にアルビレオについて解説した書籍は他に無い。

アルビレオは実際にはもっと複雑な事情がある。トパーズ色の主星A自身が接近した連星なのである。主星Aをよくよく調べると、0.40秒角ほど離れた位置に主星より約3.4等ほど暗い星が存在しており、周期約200年程度でまわっている。
一方のサファイア色のアルビレオBは、現代天文学でも、主星Aと回り合う連星系をなしているのか、あるいはたまたま同じような方向、距離にあるだけの見かけ上の二重星なのか、実はよくわかっていない。アルビレオAとBとの現在の距離は約6千億km、0.1光年弱であり、もし連星系なら、その軌道周期は約10万年程度になる。少なくとも1万年程度、この両星を観測していれば、連星かどうかがわかるだろう。

いずれにしろ、当時は、アルビレオはAとBの連星と思われていた。2つの星がお互いに回り合う様子を、測候所の風速計に喩え、賢治は次のように記している。

「黄いろのがだんだん向こうへまわって行って、青い小さいのがこっちへ進んで来、まもなく二つのはじは、重なり合って、きれいな緑いろの両面凸レンズのかたちをつくり、それもだんだん、まん中がふくらみだして、とうとう青いのは、すっかりトパーズの正面に来ましたので、緑の中心と黄いろな明るい環とができました。それがまただんだん横へ外れて、前のレンズの形を逆にくり返かえし、とうとうすっとはなれて、サファイアは向こうへめぐり、黄いろのはこっちへ進み、また丁度さっきのような風になりました。」

いわゆる食現象を表す、美しい表現である。鳥捕りは、鉄道に乗り慣れているらしく、それを眺めると、「水の速さをはかる器械です」とジョバンニたちに説明するのである。

(続く)

(*)星空紀行「賢治が触れた星の情報源(5)」


2017年07月27日

そして賢治は宇宙へ(10)

天の川のほとりで行われていた発掘作業を見た後、再び銀河鉄道に乗り込んだ二人を待っていたのは、不思議な人物「鳥捕り」との出会いである。

「『ここへかけてもようございますか。』
がさがさした、けれども親切そうな、大人の声が、二人のうしろで聞こえました。」

茶いろの古ぼけた外套を着て、白い巾(きれ)でつつんだ二つの荷物を持った赤ひげの人物だ。自分は鳥を捕る商売だという、この人物と不思議な会話が続く。どんな鳥を捕るのか、と聞くと、四種類の鳥の名を挙げる。鶴、雁(がん)、鷺(さぎ)、白鳥である。このうち、星座として実在するのは、つる座とはくちょう座だけである。雁と鷺は星座にはないのだが、実は鷺は天の川とは深い関係にある。

七夕伝説では織り姫と彦星の間を分かつ天の川に橋を架けるのが鵲(かささぎ)である。ところが、鵲は日本には飛来することが少なく、鷺の一種と考えられていた節がある。実際、京都の八坂神社の祇園祭で披露される鷺舞は、もともとは七夕伝説の鵲だったが、その姿がよくわからなかったために、笠をかぶった白い鷺を「カササギ」に見立てて奉納されたようだ。その意味では、賢治が天の川に沿った鉄道に鷺を登場させたのは、もしかすると七夕伝説の一部を織り込む意図があった可能性もある。

さて、鳥捕りは、それらの鳥を食べるために捕獲すると説明する。おいしいかどうかと聞くと、包みを解いて、雁の一部を差し出して、食べるのを勧めてきた。それを食べたジョバンニは、

「(なんだ、やっぱりこいつはお菓子だ。チョコレートよりも、もっとおいしいけれども、こんな雁が飛んでいるもんか。(後略)」

と、少しばかり不信感を募らせる。カンパネルラも同じで、

「『こいつは鳥じゃない。ただのお菓子でしょう。』(後略)」

と尋ねると、鳥捕りは、何かたいへんあわてて、急に姿を消してしまう。と、窓の外で

「黄いろと青じろの、うつくしい燐光を出す、いちめんのかわらははこぐさの上に立って、まじめな顔をして両手をひろげて、じっとそらを見ていたのです。
(中略)がらんとした桔梗いろの空から、さっき見たような鷺が、まるで雪の降るように、ぎゃあぎゃあ叫びながら、いっぱいに舞いおりて来ました。するとあの鳥捕りは、すっかり注文通りだというようにほくほくして、両足をかっきり六十度に開いて立って、鷺のちぢめて降りて来る黒い脚を両手で片っ端から押えて、布の袋の中に入れるのでした。すると鷺は、蛍のように、袋の中でしばらく、青くぺかぺか光ったり消えたりしていましたが、おしまいとうとう、みんなぼんやり白くなって、眼をつぶるのでした。」
と、実際に鳥を捕る様子が描かれる。一方、鳥捕りに捕まえられずに、無事に天の川の砂の上に降りた鷺の様子も面白い。

「それは見ていると、足が砂へつくや否や、まるで雪の融けるように、縮まって扁(ひら)べったくなって、まもなく溶鉱炉から出た銅の汁のように、砂や砂利の上にひろがり、しばらくは鳥の形が、砂についているのでしたが、それも二三度明るくなったり暗くなったりしているうちに、もうすっかりまわりと同じいろになってしまうのでした。」

これは前の節と深く関係する。プリシオン海岸で発掘していたのは化石である。生物が一定の条件の下で石と化し、化石となったものだ。賢治はここでも鷺などの鳥も同じように大地に一体化することを暗示しようとしたのではないだろうか。少なくとも私にはそう思える。

鳥捕りはまたたくまに銀河鉄道の車内に移動して戻ってくる。いわば瞬間移動である。この瞬間移動は三次元空間では不思議なことだが、賢治の描く幻想第四次では、何の不思議でもないようである。

「『どうしてあすこから、いっぺんにここへ来たんですか。』ジョバンニが、なんだかあたりまえのような、あたりまえでないような、おかしな気がして問いました。
『どうしてって、来ようとしたから来たんです。』」

賢治は、この鳥捕りに、もうひとつ大事な役割を持たせている。ジョバンニとカンパネルラが、どこからきてどこへ行くのかを聞きだす役割だ。そのシーンはこの節「鳥を捕る人」の冒頭の部分と最後の部分に挿入されている。並べてみると、その役割がよくわかるだろう。

「『あなた方は、どちらへいらっしゃるんですか。』
『どこまでも行くんです。』ジョバンニは、少しきまり悪わるそうに答えました。
『それはいいね。この汽車は、じっさい、どこまででも行きますぜ。』」

そして最後の部分である。

「『ぜんたいあなた方は、どちらからおいでですか。』
ジョバンニは、すぐ返事をしようと思いましたけれども、さあ、ぜんたいどこから来たのか、もうどうしても考えつきませんでした。カムパネルラも、顔をまっ赤にして何か思い出そうとしているのでした。
『ああ、遠くからですね。』鳥捕りは、わかったというように雑作なくうなずきました。」

この会話が示す深い意味は、次の節で明かされることになる。

(続く)


2017年06月20日

そして賢治は宇宙へ(9)

銀河鉄道の白鳥の停車場で、降りたジョバンニとカンパネルラは、そのまま天の川のほとりまで行き、その水面に手を浸した後、不思議な光景を目にする。

「川上の方を見ると、すすきのいっぱいにはえている崖の下に、白い岩が、まるで運動場のように平らに川に沿そって出ているのでした。そこに小さな五、六人の人かげが、何か掘り出すか埋めるかしているらしく、立ったりかがんだり、時々なにかの道具が、ピカッと光ったりしました。」

興味を引かれた二人は、そちらへ向かう。白い岩がはじまるあたりに「プリオシン海岸」という、瀬戸物のつるつるした標札が立っていて、「細い鉄の欄干」や「木製のきれいなベンチ」もある、整備された風景が出現する。ここでカンパネルラが、クルミの実を拾う。それも化石になったものだ。

「『おや、変へんなものがあるよ』
カムパネルラが、不思議そうに立ちどまって、岩から黒い細長いさきのとがったくるみの実のようなものをひろいました。
『くるみの実だよ。そら、たくさんある。流れて来たんじゃない。岩の中にはいってるんだ』
『大きいね、このくるみ、倍あるね。こいつはすこしもいたんでない』」

賢治が北上川で見つけたクルミの化石については、以前にも紹介した。(*1)現在、日本に自生しているクルミではなく、約100万年前に絶滅したオオバタグルミの実である。全く現在のクルミとは違った大型のもので、これをきっかけに1925年、東北帝国大学の早坂一郎博士が現地に来られて、その化石を採集した賢治自身が案内したという。こうして、賢治の見つけた化石は、現在の小型のオニグルミへ進化していく前段階の種であることが明確となり、地質学の学術雑誌『地学雑誌』に「岩手縣花巻産化石胡桃に就いて」(大正15年2月発行 地学雑誌444号、55p)という論文として出版されるに至ったのだ。

こうした経験をもとに、賢治はジョバンニとカンパネルラに、クルミの実を拾わせ、そして早坂博士と思われる先生が、プリシオン海岸で発掘する様子を物語に組み込んだのだ。

「だんだん近づいて見ると、一人のせいの高い、ひどい近眼鏡をかけ、長靴をはいた学者らしい人が、手帳に何かせわしそうに書きつけながら、つるはしをふりあげたり、スコップをつかったりしている、三人の助手らしい人たちに夢中でいろいろ指図をしていました。『そこのその突起をこわさないように、スコップを使いたまえ、スコップを。おっと、も少し遠くから掘って。いけない、いけない、なぜそんな乱暴をするんだ』

そこから掘り出されているのは、大きな青じろい獣の骨であった。骨に番号が振られているのも実際の発掘現場を再現している。ジョバンニとカンパネルラは、学者先生とわずかに会話を交わす。特に、標本にするのかと聞いたところ、学者先生は、次のように答えた。

「『いや、証明するに要るんだ。ぼくらからみると、ここは厚い立派な地層で、百二十万年ぐらい前にできたという証拠もいろいろあがるけれども、ぼくらとちがったやつからみてもやっぱりこんな地層に見えるかどうか、あるいは風か水や、がらんとした空かに見えやしないかということなのだ。わかったかい。』(後略)」

賢治は、自分の経験をもとに、ジョバンニとカンパネルラをわざわざ銀河鉄道から下ろし、天の川に手を浸すだけでなく、クルミの実を拾わせ、100万年前の地層を発掘する現場の話を挿入している。このクルミの一件は、賢治が文壇で認められることもなく、作品が売れず、順調だった教師生活にもいささか疑問を持ちつつあった頃のことだ。その頃、賢治は草野心平にあてて、

「私は詩人としては自信がありませんが、一個のサイエンティストとしては認めていただきたいと思います」
と書いている。賢治自身の心情が大きく揺らぎ、早坂博士のように科学研究での貢献をしたいという思いがあったであろうことは想像に難くない。少なくとも私には、そう思える。賢治の思いが、この挿話につながった可能性が強い。(*2)

その一方、この部分には、別の考察も可能である。ある研究者によれば、これら一連の話はすべて銀河、つまり天の川=ミルキーウェイに通じているという。
オオバタグルミは、バタグルミの一種であり、バタグルミはもともとバターの味がする。つまり、乳の道にふさわしい。さらには発掘されていた獣は、博士の話では牛の先祖である。その意味でも乳の道とすべて通じているとも考えられるのだ(「宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場するクルミの実の化石(後編)」、人植関係学誌15(1):35p、2015)。博識な賢治のことだ。実は、そこまで考えていたのかもしれない。

しかし、銀河鉄道の発車時刻は迫っている。カムパネルラが地図と腕時計をくらべながら、「もう時間だよ」といって、再び銀河鉄道に戻るのである。

(続く)

*1:本稿「賢治、大地へ(4)」
*2:本稿「賢治、大地へ(2)(3)」


2017年05月16日

そして賢治は宇宙へ(8)

銀河鉄道は、飛び降りて、りんどうをもぎ取って、ふたたび飛び乗れるくらいのゆったりしたスピードで進んでいく。実際には飛び降りることはないのだが、全体を通じて唯一、二人が汽車を降りるシーンが描かれている部分がある。カンパネルラが突然、自身の心情を吐露する場面から始まる、前回紹介した「北十字とプリオシン海岸」の章である。

りんどうがあふれる思いを代弁する中、白鳥の島が見えてくる。島には「金剛石のように」輝く十字架がたっており、どこからともなくハレルヤの声が聞こえてくる。ちなみに、この十字架こそ、はくちょう座そのものである。実際、はくちょう座を眺めると、その基本は明るい星で構成される十字架と見て取れる。実際、日本では十文字星という言い方があるほどで、羽の方向に伸びた星と、頭部から尾部まで伸びた星々が、とても均整がとれた配列になっている。

以前も述べたように、「銀河鉄道の夜」は、はくちょう座からみなみじゅうじ座への旅なのだ。この北十字を通り過ぎ、キリスト教の祈りの場面が過ぎると、やがて白鳥の停車場に到着する。この銀河鉄道の最初の停車場、白鳥の停車場で、20分間ほど停車時間があることになっている。賢治は、この20分を使って、ジョバンニとカンパネルラを汽車からおろして、不思議な体験をさせている。

「さわやかな秋の時計の盤面(ダイアル)には、青く灼かれたはがねの二本の針が、くっきり十一時を指しました。みんなは、一ぺんにおりて、車室の中はがらんとなってしまいました。
〔二十分停車〕と時計の下に書いてありました。
『ぼくたちも降りて見ようか』ジョバンニが言いました。
『降りよう』」

こうして二人は汽車のドアを飛び出して、誰も居ない改札口を通り抜け、水晶細工のように見える銀杏の木に囲まれた小さな広場に出た。そして、そこからまっすぐに「銀河の青光の中へ」続く道を辿って、汽車から見えたきれいな河原にやってくる。
なにしろ、ここは天の川の河原だ。手ですくい取る砂は「水晶で、中で小さな火が燃もえている」のだ。それは天の川に埋もれて一つ一つは天体望遠鏡でしか見えないような暗い恒星たちを意識しているのだろう。また、大きめの河原の石も変わっていた。「みんなすきとおって、たしかに水晶や黄玉(トパーズ)や、またくしゃくしゃの皺曲(しゅうきょく)をあらわしたのや、また稜(かど)から霧のような青白い光を出す鋼玉(コランダム)やら」だった。
天の川に散らばる明るめの恒星は色とりどりである。水晶のように白い星から、青白い星、そして後に現れるさそり座のアンタレスのように赤い星まで、実にバラエティに飛んでいる。それらの色の美しさを地上の鉱物や宝石に喩えていて、いわば「石っこ賢さん」の知識が総動員されている。もともと「銀河鉄道の夜」に限らず、賢治作品には鉱物の名称が頻繁に登場しているのは言うまでもない。

そして、河原でジョバンニは、走って渚に行き、天の川の水に手をひたす。

「けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとおっていたのです。それでもたしかに流れていたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮いたように見え、その手首にぶっつかってできた波は、うつくしい燐光をあげて、ちらちらと燃えるように見えたのでもわかりました。」

旅をしていると、ときどき海辺や大きな川に出会う。そんな時、海岸や河原に降りて、そこに手を浸してみたい思いに駆られることがある。そんな思いから、賢治はジョバンニとカンパネルラを河原に向かわせ、天の川に手を浸す場面として表現したのだろう。また、賢治自身も、北上川を何度も歩き、その水の流れに手を浸したことは間違いない。

この場面の次にはさらに不思議なシーンが待ち受けている。

(続く)


2017年04月14日

そして賢治は宇宙へ(7)

三角標とともに、ジョバンニとカンパネルラを乗せて走り出した銀河鉄道の車窓を彩るもうひとつのアイテムが、りんどうである。車窓を眺めていたカンパネルラが窓の外を指さしてつぶやく。

『ああ、りんどうの花が咲いている。もうすっかり秋だねえ』

線路脇の芝草の中に、「月長石ででも刻まれたような、すばらしい紫のりんどうの花が咲いて」いた。ジョバンニは、その言葉に応じるように、飛び降りて取ってこよう、と申し出る。カンパネルラは、しかし、その申し出を断る。

『もうだめだ。あんなにうしろへ行ってしまったから』

だが、りんどうは最初の一輪だけではなかった。

「カムパネルラが、そう言ってしまうかしまわないうち、次のりんどうの花が、いっぱいに光って過ぎて行きました。と思ったら、もう次から次から、たくさんのきいろな底をもったりんどうの花のコップが、湧くように、雨のように、眼の前を通り、三角標の列は、けむるように燃えるように、いよいよ光って立ったのです。」

りんどうは釣り鐘のような形をした青紫色の花をつける植物である。底の方には、白色から黄色のおしべめしべがある。もともと群生することは少なく、ススキなどの原っぱとか、田んぼのあぜ道などにぽつんと咲いていたりすることが多い。開花時期が秋ということもあり、どちらかといえば寂しげな花という印象が強い。賢治は、天の川という幻想空間の野原に、輝く三角標と、「次から次から」と、まるで群生しているような、りんどうの様子を描き出すことで、車窓を効果的に彩らせているのである。また、りんどうの花の色を月長石という鉱物で喩えているところも賢治らしい。月長石はムーンストーンとも呼ばれ、青白く輝く美しい鉱物で、宝石として扱われることも多い。幻想空間を彩る花という意味では、りんどうはぴったりだったかもしれない。

ただ、このりんどうにはもっと深い賢治の思いがあった可能性もある。寂しげなりんどうの花が群れて車窓を通り過ぎる描写の後、突如として章が「北十字とプリオシン海岸」へと変わり、カンパネルラが突然、自身の心情を吐露するからだ。

「『おっかさんは、ぼくをゆるしてくださるだろうか』
いきなり、カムパネルラが、思い切ったというように、少しどもりながら、せきこんで言いました。」

カンパネルラの思いは切ない。友人を助けようと川に入って、天国へ旅立とうとしている途中である。その思いをジョバンニは受け取りきれない、というよりも、彼の状況を理解しているわけではない。ジョバンニは自分なりに思う。

「(ああ、そうだ、ぼくのおっかさんは、あの遠い一つのちりのように見える橙いろの三角標のあたりにいらっしゃって、いまぼくのことを考えているんだった)と思いながら、ぼんやりしてだまっていました。」

りんどうは花言葉としては「悲しむあなたを思う、愛する」だといわれている。その花の凜とした姿からは、正義や誠実といった意味でも用いられる。まさに、母を思う場面としては最適な花である。そういう思いを賢治はりんどうに込めた可能性は大きい。平成帝京大学の石井竹夫氏は万葉集、源氏物語、そして「野菊の墓」などに取り上げられたりんどうの用例を引きながら、「カンパネルラが悲しく思う母への「思い」の暗喩であり、母への「思い」を友人のジョバンニに伝える手段として使われている」と指摘している。「湧くように、雨のように」あふれる母への思いを、群生したりんどうに託したのだ。(人植関係学誌、13 巻1号、 19-22,2013)。

いまでは見かけることも少なくなったりんどうだが、賢治は実際に野山を歩き回って、花の姿を目にしていたに違いない。そのりんどうを幻想鉄道の沿線の重要なアイテムに仕立て上げたことは間違いないだろう。

(続く)


2017年03月21日

そして賢治は宇宙へ(6)

明るい銀河の光に包まれ、鉄道は高次の幻想空間を走っていく。そして、車窓を流れる景色の説明が次のように挿入されている。

「けれどもだんだん気をつけて見ると、そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとおって、ときどき眼のかげんか、ちらちら紫いろのこまかな波をたてたり、虹のようにぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどん流れて行き、野原にはあっちにもこっちにも、燐光の三角標が、うつくしく立っていたのです。遠いものは小さく、近いものは大きく、遠いものは橙や黄いろではっきりし、近いものは青白く少しかすんで、あるいは三角形、あるいは四辺形、あるいは電や鎖の形、さまざまにならんで、野原いっぱいに光っているのでした。」

ここで、宇宙に浮かぶ星が光る三角標に見立てられていることに注意して欲しい。三角標という言葉は、ジョバンニが幻想空間に入り込む、天気輪の丘の場面でも登場している。天気輪の柱がいつかぼんやりした三角標の形になって光り出すのだ。

この三角標とは、測量で使われる三角点に由来する用語で、馴染みがない方が多いかもしれない。実は賢治が生きていた時代、正確な地図を作成するために日本全国でさかんに三角測量が行われており、その基準となる三角点が決められていった。そして、三角点同士の方角を定めるため、おのおのの三角点の上に四角錐型の櫓を建て、その上に鏡をおいて太陽光を反射させ、測量を進めていったのである。賢治の時代には、ちょうど岩手県のあたりの測量がなされており、賢治は、その櫓を実際に目撃していると推察される。その証拠に、盛岡中学時代の賢治の短歌にも登場している。

「雲くらく 東に畳み 岩山の 三角標も 見えわかぬなり」

この岩山は盛岡市に実在する山で、二等三角点が実在する。私が勤める国立天文台の三鷹構内にも一等三角点が存在し、その上に櫓が組まれている写真も残されている。この櫓は正式には「三角覘(てん)標」と呼ばれていたが、明治中期には陸軍参謀本部測量局の文献には一時期「三角標」と記され、その後、公式には使われなくなったものの、登山家やなどの間では使われ続けていた(「銀河鉄道の夜の用語「三角標」の謎」、米地文夫著、総合政策 第13巻第2号(2012))。
賢治は、登山にも親しんでいたことから、三角測量や三角点などに関しても見識は深かったはずで、三角標という言葉も中学時代には触れていたのだろう。

作品の中で、これを星に見立てたところも賢治らしい。三角覘標に設置された太陽光反射装置(回照器)が光るところは、まさに星の光そのものといえる。また、同じ三角覘標でも櫓の大きさは大小様々で、しかも三角点の測量上の重要度によって一等から五等までランク付けされているところも、星の等級と同じである。さらに、賢治は天文学でも三角測量の応用で恒星までの距離が測定されていることも知っていたはずだ。賢治の時代には、すでに数多くの恒星の距離が推定されていた。何よりも理科好きとして鉄道や天文学をよく理解していた賢治である。地上の測量観測網の要となる三角覘標を、宇宙の距離測定の要である星に結びつける発想は、自然に沸いてきたに違いない。色とりどりの燐光を発する大小様々の三角標がちりばめられた車窓の景色に見とれて、ジョバンニはつぶやく。

「ぼくはもう、すっかり天の野原に来た」

そして天の野原には、もうひとつ重要な景色を彩るアイテムも登場する。

(続く)


2017年02月13日

そして賢治は宇宙へ(5)

いつのまにか高次の幻想空間を走る鉄道にのったジョバンニは、金剛石のかけらがばらまかれたようなまばゆい景色に目をこすりながら、ふと気づくのが、親友カンパネルラの姿だった。

「すぐ前の席に、ぬれたようにまっ黒な上着を着た、せいの高い子供が、窓から頭を出して外を見ているのに気がつきました。そしてそのこどもの肩のあたりが、どうも見たことのあるような気がして、そう思うと、もうどうしても誰だかわかりたくて、たまらなくなりました。いきなりこっちも窓から顔を出そうとしたとき、にわかにその子供が頭を引っ込こめて、こっちを見ました。それはカムパネルラだったのです。」

驚いたジョバンニは、前からここに居たのかを聞こうとすると、先にカムパネルラがつぶやく。

『みんなはね、ずいぶん走ったけれども遅れてしまったよ。ザネリもね、ずいぶん走ったけれども追いつかなかった』

高次の幻想世界から、背景となる幻想世界へ戻る物語の終わりで、この言葉の意味がわかる仕組みになっている。もちろん、カンパネルラは友人を助けようと川に入り、そのまま流され天に昇っていったという設定である。賢治はさまざまな場面で、このような仕掛けを盛り込んでいる。

「カムパネルラは、なぜかそう言いながら、少し顔いろが青ざめて、どこか苦しいというふうでした。するとジョバンニも、なんだかどこかに、何か忘れたものがあるというような、おかしな気持がしてだまってしまいました。」

そして、場面は銀河、つまり天の野原を旅する雰囲気へと切り替わる。一挙に、当時の旅の風景と幻想の旅の車窓とが混じり合う物語へ突入する。

「ところがカムパネルラは、窓から外をのぞきながら、もうすっかり元気が直って、勢いよく言いました。
『ああしまった。ぼく、水筒を忘れてきた。スケッチ帳も忘れてきた。けれどかまわない。もうじき白鳥の停車場だから。ぼく、白鳥を見るなら、ほんとうにすきだ。川の遠くを飛んでいたって、ぼくはきっと見える』
そして、カムパネルラは、まるい板のようになった地図を、しきりにぐるぐるまわして見ていました。まったく、その中に、白くあらわされた天の川の左の岸に沿って一条の鉄道線路が、南へ南へとたどって行くのでした。そしてその地図の立派なことは、夜のようにまっ黒な盤の上に、一々の停車場や三角標、泉水や森が、青や橙や緑や、うつくしい光でちりばめられてありました。ジョバンニはなんだかその地図をどこかで見たようにおもいました。」

当時はカメラは高級品である。とてもではないが、一般の人が手にできるものではなく、旅の記録と言えばスケッチ帳だ。さらに自販機がどこにでもあるような時代ではない。のどを潤すお茶や水を入れる水筒も旅の必需品だった。それでも、カンパネルラは構わない、と言う。大事なのは銀河鉄道の道筋を示す地図だった。それもまるい板を、ぐるぐるまわして見ること、背景が黒曜石のように真っ黒なこと、それをジョバンニがどこかで見たように思うこと、などから、天文ファンならピンとくるはずである。星座早見盤である。実際、銀河鉄道に乗る前、ケンタウルス祭りで賑やかな町の時計屋の店で、ジョバンニが見入った黒い星座早見盤を、ここでイメージさせている。

そして幻想的な天の車窓の描写へと続く。

「『そうだ。おや、あの河原は月夜だろうか』
そっちを見ますと、青白く光る銀河の岸に、銀の空のすすきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした。
『月夜でないよ。銀河だから 光るんだよ』」

読者の皆さんは天の川がいかに明るいか、実感されたことがないかもしれない。私はオーストラリアのアウトバックと呼ばれる砂漠地帯で、人工光の影響のまったくない夜を体験したことがある。天の川の中心部、銀河中心と呼ばれる領域がオーストラリアでは天頂にやってくるが、月の光のない夜空では、その天の川の明るさで、自分の影ができているのがわかるほどなのだ。賢治が生きていた時代の花巻郊外も、おそらくそんな夜空が残っていたに違いない。ジョバンニの「銀河だから光る」という言葉は、決して誇張ではないのである。

(続く)


2017年01月10日

そして賢治は宇宙へ(4)

級友たちにからかわれたジョバンニは、走って黒い丘に向かい、天の川の見える頂きにやってきて、「天気輪の柱」の下で、どかどかするからだを、つめたい草に投げ出す。ここからが、賢治の幻想世界への飛躍が始まるのだが、その前に現実世界での汽車の描写がある。

「野原から汽車の音が聞こえてきました。その小さな列車の窓は一列小さく赤く見え、その中にはたくさんの旅人が、苹果(へいか、リンゴのこと)をむいたり、わらったり、いろいろなふうにしていると考えますと、ジョバンニは、もうなんとも言えずかなしくなって、また眼をそらに挙げました。」

都会の中の電車ではない。田舎を走る汽車である。しかも現代よりも街灯も少ない真っ暗な中であれば、その窓から漏れる光はさぞかし目立ったことだろう。寒い夜、明るい室内から漏れる光を眺め、なんだかその中にいる人たちが幸福に見え、蚊帳の外にいる自分が惨めに思える、などという経験は誰でもあるに違いない。

賢治はまず、現実として汽車に乗っていないジョバンニの思いを明確にさせた上で、幻想世界への飛躍を仕掛けている。寝転びながら、天の川を眺めているうち、次第に幻想世界へ入り込んでいくのだ。

「そしてジョバンニは青い琴の星が、三つにも四つにもなって、ちらちらまたたき、脚が何べんも出たり引っ込こんだりして、とうとう蕈(きのこ)のように長く延びるのを見ました。(中略)」

天気輪の柱は、輝く三角標になると同時に、銀河ステーションという声が聞こえてくる。

「億万の蛍烏賊(ほたるいか)の火を一ぺんに化石させて、そらじゅうに沈めたというぐあい、またダイアモンド会社で、ねだんがやすくならないために、わざと穫れないふりをして、かくしておいた金剛石を、誰かがいきなりひっくりかえして、ばらまいたというふうに、眼の前がさあっと明るくなって、ジョバンニは、思わず何べんも眼をこすってしまいました。気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごと、ジョバンニの乗っている小さな列車が走りつづけていたのでした。」

こうしてジョバンニとカンパネルラを乗せた銀河鉄道は走り出す。そして、その会話の中で、「白鳥と書いてある停車場」であることを明らかにする。天の川の中を飛んでいる姿に描かれる、はくちょう座である。

賢治が銀河鉄道の始発駅にはくちょう座を、そして終着駅にみなみじゅうじ座を選んだのは、きわめて深い意味がある。単純に目立つ星座と言うことだけではない。はくちょう座は、その均整のとれた形から「北十字」と呼ばれているからだ。

カンパネルラも、途中から乗車してくる沈没したタイタニック号の乗客だった少女もいわば死出の旅路の設定である。仏教で言えば、三途の川を渡る旅、キリスト教で言えば神に召される旅だ。宗教に造詣が深かった賢治ならではの構成である。終着点だけでなく、出発点も、まさにキリスト教の象徴とも言える「十字架」においた。賢治は銀河鉄道を北十字から南十字と設定したのである。

「にわかに、車のなかが、ぱっと白く明るくなりました。見ると、もうじつに、金剛石や草の露やあらゆる立派をあつめたような、きらびやかな銀河の河床の上を、水は声もなくかたちもなく流れ、その流れのまん中に、ぼうっと青白く後光の射した一つの島が見えるのでした。その島の平たいらないただきに、立派な眼もさめるような、白い十字架がたって、それはもう、凍った北極の雲で鋳たといったらいいか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しずかに永久に立っているのでした。「ハレルヤ、ハレルヤ」前からもうしろからも声が起こりました。」

賢治は、実に見事に、この始発駅に深い意味を持たせているのである。

(続く)


2016年12月12日

そして賢治は宇宙へ(3)

実際の銀河鉄道が走り出すシーンを紹介する前に、もうひとつ触れておいた方がよいことがある。いつも研究者の間で議論になる、「銀河鉄道の夜」にモデルはあるかという点だ。もちろん、銀河鉄道そのものは、賢治が見慣れていた岩手軽便鉄道であることは衆目の一致するところだろう。そして登場する様々なエピソードにも、それぞれ何らかのモデルが存在することは明白である。

ところが、ことジョバンニの親友のカンパネルラに関して言えば、誰を思い描いて書き進めたのか、確固たる定説はない。おそらく賢治がそれまで生きてきた人生で交わってきた複数の人物像が重なっているのだろう。

その一人は、賢治が国柱会をやめ、帰郷するきっかけになった妹トシである。トシは病気で亡くなり、その後、賢治は樺太を目指して、いわば傷心旅行ともいえる旅に出る。もちろん、これはすでにご紹介したように表向きは稗貫農学校の生徒に、就職を斡旋するためのものだったが、この旅で賢治は壮大な詩を残している。その翌年に「銀河鉄道の夜」が書き始められていることを考えると、亡くなった妹トシへの思いをカンパネルラに重ねたことは十分に考えられるだろう。

一方で、カンパネルラのモデルとして、もうひとりの人物が存在するのも確かだろう。以前にも紹介した保阪嘉内である。青春時代、密な時間を共に過ごし、将来は世の中のために尽くそうと誓い合った二人である。ところが、賢治は宗教でそれを実現しようと国柱会の門をたたき、共に同じ道を歩もうと嘉内を誘ったときには、すでに嘉内は別の道を歩み始めていた。その事実が賢治の精神に与えた衝撃は、計り知れなかった。

序盤のシーンで、親友と思っていたカンパネルラがザネリのグループと行動を共にしていた状況が語られる。そして冷たい言葉をかけられたジョバンニはショックを受けて、黒い丘へ向けて走り出す。このシーンは、異なる道を歩み始めた嘉内を知って、ショックを受けた賢治自身の心情と重なるところがあるといえるだろう。その意味では、このシーンに限れば、カンパネルラのモデルは嘉内の方が自然である。

一足飛びになるが、銀河鉄道の最終シーンも同じ構成だ。

「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」
「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。
「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。
「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。

という会話の後、カンパネルラは消えてしまうのだ。突然の別れが、ここに象徴されているように思える。

いずれにしろ、賢治の人生を彩った複数の人物像が重なって物語はできあがっている。

登場する様々なエピソードにしてもそうである。たとえば、銀河鉄道が走り出す起点になった「天気輪の柱」も、もともと五輪峠で賢治が見た五輪塔から発想されたものだが、それだけではなさそうで、われわれ天文学で用いていた天頂儀の影響もありそうだ(「[銀河鉄道の夜]フィールドノート」寺門和夫著、青土社)。賢治は1924年に緯度観測所(現在、国立天文台水沢VLBI観測所)を訪問しており、そのときに緯度観測の主力装置だった天頂儀を見学している。また、そのときの印象を書き残した『晴天恣意(水沢緯度観測所にて)』では、そこから眺めた風景に

「つめたくうららかな蒼穹のはて
種山ヶ原の右肩のあたりに
白く巨きな仏頂体が立ちますと
数字につかれたわたくしの眼は
(後略)」

とある。これは水沢から東へ五輪峠のあたりに発生した積乱雲が五輪塔のように見えることをイメージしている、とされている。

(続く)

※保阪嘉内、宮沢トシについては、
星からの視線を感じた賢治の心(4)
賢治、故郷へ帰る(1)
もお読みください。


2016年11月14日

そして賢治は宇宙へ(2)

冒頭の授業の部分の後、「銀河鉄道の夜」は物語の前提となる部分、すなわち主人公をとりまく状況を読者に伝えるストーリーへと入っていく。

ジョバンニは学校から帰る途中で、祭りの支度をする町の中を通り抜けて、活版所に向かう。ここで、活字を拾う仕事をするのだ。そして小さな銀貨を一つもらうと、活版所を飛び出してパンと角砂糖を買って家に向かう。家には病気がちの母がいるという設定だ。母との会話の中で、父が漁に出ているのか、監獄に入っているのか、微妙な会話が披露される。また、カンパネルラだけは悪口を言わない親友だということも明かされる。ジョバンニは牛乳が来ていないことに気づいて、

「そうだ。今晩は銀河のお祭りだねえ」
「うん。ぼく牛乳をとりながら見てくるよ」
「ああ行っておいで。川へははいらないでね」

と、物語の最後をにおわせるフレーズが挿入されている。こうして、自分が機関車になったような気分で歩くジョバンニは、いじめっ子のザネリとすれ違い、冷たい言葉をかけられる。悲しい気分になりながらも歩き続け、明るくネオン燈が灯った時計屋の店で立ち止まることになる。今日の授業を思い出しながら、「アスパラガスの葉で飾った黒い星座早見」を夢中でしばらく眺めるのだ。そして、星座早見の説明が入る。

「それはひる学校で見たあの図よりはずうっと小さかったのですが、その日と時間に合わせて盤をまわすと、そのとき出ているそらがそのまま楕円形のなかにめぐってあらわれるようになっており、やはりそのまん中には上から下へかけて銀河がぼうとけむったような帯になって、その下の方ではかすかに爆発して湯でもあげているように見えるのでした。」

賢治の時代、星座早見そのものが珍しかった。なにしろ、当時は日本天文学会編の三省堂から出されていた一種類しか日本にはなかった。それだけ状況説明が必要だったのだろう。その星座早見は、ひとつだけ現在の国立天文台にも残されているのだが、確かに黒色の台紙に星が書かれている回転盤が、青色の台紙に挟まれたデザインである。まさに「黒い星座早見」なのである。

さらに時計屋には星座早見だけでなく、

「三本の脚のついた小さな望遠鏡が黄いろに光って立っていましたし、いちばんうしろの壁には空じゅうの星座をふしぎな獣や蛇や魚や瓶の形に書いた大きな図がかかっていました。」

とある。前者はいうまでもなく三脚に乗った典型的な天体望遠鏡であり、後者は恒星だけでなく、神話に登場する星座の由来になった神々などを絵にした、いわゆる星座図絵である。これらも、今でこそ科学館やプラネタリウムなどの売店に普通に売っているが、当時、それほど普及していたとは思えない。おそらく賢治は東京に上京した折などに、そうしたものをおいてある時計店を覗いたことがあるのではないだろうか。いずれにしろ、このあたりの記述も賢治らしく正確きわまりない。

その後、ジョバンニは牛乳屋に向かったが、牛乳は受け取れず、帰りがけに再びザネリらのグループと出会い、からかわれる。そして、その中にカンパネルラの姿を見て、ショックを受け、黒い丘へ向けて走り出す。

こうして銀河鉄道が走り出す準備ができるのである。賢治の作品によく見られるパターン、すなわち現実から幻想世界へと飛翔し、再び現実へと戻ってくるパターンの、前半の現実パートといえるだろう。

(続く)

※宮沢賢治が入手した星座早見や天文知識を得た経緯については、「星空紀行」の中の「青春期の賢治と“星”(2)」や「賢治が触れた星の情報源(1)~(5)」に詳述
青春期の賢治と“星”(2)
賢治が触れた星の情報源(1)~賢治が触れた星の情報源(5)


2016年10月09日

そして賢治は宇宙へ(1)

賢治は、病床にあった時でも、意欲はまだ旺盛な面もあったといえる。前回紹介した「グスコーブドリの伝記」は、まさに死を実感しつつ過ごしていた時代に出版されたものだった。「雨ニモマケズ」も、その現れのひとつだろう。皆の幸せを願い、自分をある程度犠牲にしてもやれることをやろうという賢治の思想は、死を目前にした床にあっても衰えることはなかった。

その思いは賢治の様々な作品に貫かれている。そして、その思いの結晶が、改稿を繰り返しながらも、ついに完成を見ることなく、草稿の形で残された「銀河鉄道の夜」であろう。賢治といえば「銀河鉄道の夜」が真っ先に連想されるように、いまや彼の代表作となっているが、彼がこの最終稿で満足していたとは思えない。この作品については、多くの詳細な研究があり、もともとの第一次稿は1924年(大正13年)頃に書かれたとされている。つまり、まだ教師時代の元気な頃だ。そして大きな改訂がしばしば行われ、最終稿と呼ばれる第四次稿は1931年(昭和6年)頃とされている。賢治が再び石に向かう前である。そのため、1933年(昭和8年)に亡くなるまで、出版するチャンスは幾度もあったはずだ。ところが、「グスコーブドリの伝記」のように、原稿を出版社に送った形跡はない。
この作品が世に出たのは、賢治の死後、高村光太郎らによって1934年に刊行された宮澤賢治全集(文圃堂)がはじめてだ。現在の形になったのは、この作品の原稿の推敲の過程を詳細に検討した研究者・編集者の多大な努力のおかげで、1974年の『校本宮澤賢治全集』(筑摩書房)によってである。したがって、彼自身はまだ第四次稿で満足してはいなかった、と考えて良いだろう。晩年の2年間の病床で改稿した証拠はないが、まだ何かが足りないと思っていたのかもしれない。

しかし、少なくとも「銀河鉄道の夜」が「グスコーブドリの伝記」よりも強く賢治の思想と科学的知識、それも天文学に関する知識とが昇華された代表作となっていることは疑う余地はない。
たとえば、その冒頭、主人公のジョバンニが教室で授業を受けるところがある。

『「ではみなさんは、そういうふうに川だと言われたり、乳の流れたあとだと言われたりしていた、このぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか」先生は、黒板につるした大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯のようなところを指さしながら、みんなに問をかけました。』

その後、主人公のジョバンニや友人のカムパネルラが先生に指名され、答えられないのだが、実際にはジョバンニがカムパネルラの家で、書斎にあった本を一緒に眺めて知っていたことになっている。そして先生は続ける。
『先生は中にたくさん光る砂のつぶのはいった大きな両面の凸レンズを指さしました。「天の川の形はちょうどこんななのです。。。。』

こうして天の川の正体の説明をするのである。現在でこそ、多くの人にとって、天の川がわれわれの住む銀河系を内側から見た星の集まりであることは常識である。ところが、賢治の時代、それほど知られていた知識ではなかった。賢治が読んだであろうとされている「肉眼に見える星の研究」(吉田源治郎著、警醒社、大正11年)においてさえ、見え方の解説はあっても、その構造に関する記述はほとんど見当たらない。それをレンズを持ち出して説明するところは現代の天文学入門書の記述そのものである。
 

これから旅に出る天の川の天文学的な正体を、ここで読者に知ってもらう必要があったのだろうか。天文学者としては正しい知識を持ってもらうのはありがたいとは思うが、これから始まる空想上の鉄道の旅にそぐわないのではないか。そんな風に思っていたのだが、実際、この冒頭部分は、第三次稿までは存在していなかった。もしかすると、賢治自身もある時点で天の川の正体を知って驚き、これから旅することになる天の川そのものについて、正しい知識を持ってもらうべく、最終稿で挿入したのかもしれない。科学者になりたいとも思っていた賢治の思いが込められた冒頭部分とは言えないだろうか。

(続く)


<過去の記事>

◆2012年2月10日    旅に出ようと思う
◆2012年3月9日    賢治の生きた時代へ
◆2012年4月7日    石っこ賢さん
◆2012年4月20日    理科少年と星空
◆2012年5月1日    中学生の賢治は"星"に何を思ったのか?
◆2012年6月8日、29日    青春期の賢治と"星"(1)~(2)
◆2012年7月24日~9月28日    賢治が触れた星の情報源(1)~(5)
◆2012年11月2日~2013年1月25日    星からの視線を感じた賢治の心(1)~(5)
◆2013年3月8日~6月1日    賢治、故郷へ帰る(1)~(4)
◆2013年7月18日~2014年4月25日    教師時代の作品群(1)~(6)
◆2014年5月2日~11月22日    教師時代の作品群(7)~(11)
◆2014年12月27日~2015年7月1日    賢治、大地へ(1)~(7)
◆2015年8月3日~2016年1月14日    大地と向き合う(1)~(6)
◆2016年2月2日~9月6日    賢治、再び石へ向かう(1)~(8)
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