旅日記

「岩手 その道の先へ」

リポーター:カイル・カード

今回の旅では、岩手県で「みちのく潮風トレイル」を歩きました。このトレイルは、三陸海岸沿いから、岩手の山や村を通り、南は福島まで全長900キロ以上にわたります。そこでの体験は、まさに特別なものでした!

トレイルを歩きながら、今まで知らなかった日本の素晴らしい大自然を体験することができました。うっそうと茂った静かな森の道を抜けると、切り立った岸壁や巨岩に波が打ちつける、圧倒的な海辺の風景が広がります。このコントラストは本当に見事で、忘れられません。

しかし、この美しく静かな自然には、冷徹で破壊的な一面もあります。岩手県は、2011年の大震災で起きた津波で最も深刻な被害を受けた地域のひとつでした。いくつもの街や集落が完全に消滅し、今もなおその深い傷が残っています。それにも関わらず、岩手の人々は海辺のふるさとを愛し、ゆっくりと復興の道を歩んでいます。あのような災害に直面しながらも、彼らは外からの訪問者をあたたかく歓迎し、海のそばで海とともに生き続け、その恵みと美しさを、新しくやってきた移住者たちと共有しています。

そのような、わかちあいと癒しの心が、広範囲にわたる「みちのく潮風トレイル」を成り立たせている隠れた原動力でした。トレイルそのものが、癒しや絆の再生の象徴となって、寸断された地域を結びつけ、新たな命を吹き込んでいます。このトレイルによって、ここを新たに訪れる人も、古くから知る人も、この素晴らしい地域を知り、恋に落ちてくれることを私は願っています。


「室蘭 変貌の先に」

リポーター:アルフィー・グッドリッチ

北海道へはこれまで何度も旅をしましたが、室蘭は今回が初めてでした。1週間ほど滞在してみて、今回が最後の訪問にはならないと確実に言えます。

私は小さいころから歴史が好きでした。とりわけ、歴史が現代の生活にどのように影響を及ぼし、街の形成に関わっているのかに強い興味があります。しかし日本ではしばしば、街に歴史が見えづらいと感じます。建物がひんぱんに建て替えられ、自然災害で風景が幾度となく塗り替えられ、そして第2次世界大戦が、各地の主要都市の姿をすっかり変えてしまったせいです。
室蘭では、過去とのつながりが容易に感じられると思いました。街の名はアイヌの言葉が語源ですし、1790年代の英国船到来が記念碑などの形で記憶され、鉄のまちとしての歴史が風景に刻まれているからです。しかしこの街で時を過ごすにつれ、私は歴史の深さだけでなく、その重みも感じるようになりました。

1796年の英国軍艦プロビデンス号来航の記念碑、1900年代初頭に英国企業の援助と投資で造られた赤レンガの工場、街を囲む岩がちの海岸や崖。室蘭は、私の故郷である英国を常に思い出させる場所でした。日本に定住して12年(それ以前の8年間は日本と英国を行き来していた)の私の心の中には、常に祖国があります。しかし奇妙にも、(英国からこんなに遠い)室蘭が私に、祖国のものに囲まれる心地よさを再び実感させてくれました。レンガ、漆喰、鋼鉄、崖、海、船。室蘭での1週間は、私が12年前に後にした祖国の記憶に満ちた場所での、新しい思い出作りの日々となりました。

室蘭は歴史を誇りながら、同時に過去に翻弄されている街でもあります。世界中の重工業の街によく見られる、繁栄と衰退のサイクルです。鉄鋼業を基幹産業とする室蘭が、産業から生まれ、産業によって風景がかたちづくられた街であることは疑う余地もありません。しかし人口が最盛期の半分以下となった今、室蘭は厳しい未来に直面しています。

プライドだけではお金にならず、未来の保証にもなりません。しかし私は、老いも若きも地元の人たちの、革新性・熱意・エネルギー・絆・強い決意と心に出会い、この街には困難に立ち向かうのに十分な力があると感じました。

私を再び室蘭に引き寄せるのは、その絶景や豊かな歴史、おいしい食べ物や無限のシャッターチャンスだけではなく、何より地元の人々です。彼らの歴史、彼らの精神。過去の記憶と、未来への希望、夢、計画。彼らの温かさ、彼らの笑顔なのです。

街を去る時は悲しかったけれど、それは「さよなら」というより「au revoir」でした。
グッバイではなく、「また会いましょう」という意味です。


「佐原 祭りに集う」

リポーター:サスキア・トゥーレン

この旅で初めて佐原の町を訪れました。江戸時代の風情を想像させる素敵な街並みが、東京のこんな近くにあるとは思ってもみませんでした。現在の佐原は小さな町に見えますが、江戸時代には、舟運の町として栄え、当時は江戸より裕福だったとか。そのため“江戸まさり”と言われていたそうで、今も当時の雰囲気を守り続けている家や店が何軒も残っています。

さらに佐原で300年もの間、こんなに熱気あふれる祭りが行われてきたということにも驚きでした。
佐原には年に2回、夏祭りと秋祭りが行われています。巨大な人形や動物が乗っている24台の「山車」が二つの祭りの中心となります。各町内の人々が力を合わせて自分たちの誇りであるこれらの山車を曳き、町を練り歩くことで、厄除けになり、人々を疫病や災害から守ると言われています。その山車を作ったり動かしたり、時には山車の周りで歌ったり踊ったりして祭を盛り上げるのも、町の人々です。地域の協力なしでは、祭りは成功しません。子供から経験豊富なお年寄りまで、皆が一つになってお互い助け合うのです。今回、その事を身をもって知ることができました。

また、町の人々は、何があってもこの祭りを実行し続けています。今年も例外ではありませんでした。今年の夏祭りは準備から雨続きでしたが、佐原の人々は堂々と祭りをやり遂げました。雨の中で互いに声を掛け合い、時に苦労したり笑ったりしていた彼らの姿を見て、私はとても感動しました。皆の祭りに対する熱い思いが伝わってきたのです。だから私も人々と山車を一緒に曳いたり、踊ったりすることが許された時はとても嬉しかったです。皆と一緒に頑張って、苦労して、楽しんで、辛い気持ちと幸せな気持ちを重ねることで佐原の人々との絆が生まれてきたことは、とても素敵な経験でした!

私が佐原で過ごした時間は言葉通りに雨の中の時間でした。でも、そのおかげで佐原の人々の祭りに対する熱い思いに共感することができました。また佐原に行きたいです。そしてもう一度友達になってくれた佐原の人々の熱意を応援したいです。


「白山 聖なる山」

リポーター:ピーター・スコーヴ

白山は、石川県と福井県の県境にそびえる山です。日本百名山のひとつであるこの山に、私はずっと興味を持っていました。しかし今回の旅で、この名山には思っていた以上の魅力があることを知りました。白山比咩(しらやまひめ)神社と林西寺の双方を訪れた私は、特に、この山をめぐる仏教と神道の信仰、そして古いしきたりや寓話に心をひかれました。

白山へ行く際に白峰(しらみね)集落を訪れようと考える人はあまりいないでしょう。しかし、なんと興味深い歴史的な町であることか!養蚕業と住宅の造り、土地の利用法についてガイドの方から説明を受け、ただ昔ながらの趣のある山村を見たというだけではない知見を得ました。

白峰の「雪だるまカフェ」では、地元の食材を使った特別なランチを楽しみました。馴染みのある食材が、山ふかい里ならではの調理法で供されました。どれもとてもおいしかった!

今回、この山に登ったタイミングは最高だったと思います。高山植物がちょうど咲き始めた頃で、山にはまだ雪が残っていました。しかし本当に恵まれたのは、息をのむほど美しい日の出です。全国的に天気が非常に不安定で各地が暴風雨に見舞われていたなか、あのように見事な日の出を見ることができた自分は、とても幸運だと思います。

信仰、豊かな歴史、そして素晴らしい自然だけではまだ不足とでも言わんばかりに、白山の地質環境もまた興味深いものでした。登山の最中、私たちは、ジュラ紀にまでさかのぼる堆積岩のそばを通りすぎました。事実、福井と石川は化石のホットスポットです。日本列島が存在する前の海にアジア大陸の石が堆積した礫岩層も、見ることができました!

この旅は貴重な体験であったと、心から言えます。多くの知識を得、いろいろなことを考え、同時に素晴らしい時を楽しみました。あと、念のための情報ですが、白山室堂ビジターセンターの食事はおいしかったですよ!

旅の最後、白峰に戻ると、最高の温泉が私を待っていました。これ以上の旅は、到底望めません!

※白山比咩(しらやまひめ)神社の「咩」は、機種依存文字である為、異なる文字や記号が表示される場合があります。ご了承ください。


「八幡平 癒やしの天地」

リポーター:静香アンダーソン

この旅で私は、静かで風光明媚な岩手県を初めて訪れることになりました。事前には「八幡平を歩いて登る」ということがわかっていただけで、たぶん自然豊かで静かな場所なんだろうというぐらいにしか、正直なところ思っていませんでした。私は知らなかったのです。驚くべき秘密が、岩手には待ち受けていたということを。

にぎわっている盛岡駅で新幹線を降り、バスで八幡平へ向かいました。頭上には暗い雲がたちこめていました。しかし山へ到着すると太陽がわずかに微笑みはじめ、私は八幡平の魅力を存分に探索することができました。あっという間に頂上に着き、少し歩いただけでしたが、高山でしか見られない植物や、見渡すかぎりに広がる森と湿地帯に感嘆しました。それは、不思議な感覚でした…山の頂上に立っているのに、まるで大地にしっかりと足を踏んばり、平地の公園にでもいるかのような。

八幡平頂上の山小屋滞在で少し冷えたものの、ふもとの温泉で、疲れた体をすぐに温めることができました。そこで私は、大地の素晴らしい癒やしの力を知ることとなりました。大量のラジウムと地熱活動で、人の体のさまざまな不調が治ると言われているのです。

温まり休めたのは体だけではありませんでした。湯治宿の大部屋に滞在している皆さんの親しみやすさと周囲を巻き込むエネルギーのおかげで、心まで温かくなりました。郷土料理の作り方を教えて下さり、食べ物や飲み物を分けて下さった皆さんのご親切を、私は忘れないでしょう。皆さんの温かさで、旅がさらに特別なものになりました。ここは冒険好きの一人旅には、おすすめの場所です!


「静岡 茶の王国」

リポーター:アナンダ・ジェイコブス

静岡の茶についてまず印象的だったのは、農家の人たちが、茶を、生活の糧であるいち作物として淡々と扱いつつも、それを育てる全行程を心から楽しんでいるように見えたことでした。

彼らにとって茶とは何かをより深く探るため、いろいろな人から話を聞いていく中で、知らなかったような茶の飲み方や茶葉の食べ方まで体験でき、哲学的なレベルにおけることがらもいくつか発見しました。

茶は、何よりもまず、朝、午後、そして夕べに、日常的に飲まれるごく一般的な飲み物です。日本では、のどが渇いたらまず出されるのが緑茶です。抹茶と茶道にまつわる禅的なアプローチは例外として、茶を飲むことは日々のカジュアルな行動です。茶のいれ方や楽しみ方の決まりやマナーは、それを守らなければ「正しい」味が左右されるというような厳しいものではなく、人との交流や、自分と向き合う時間を導くためのものです。茶の味が出てくる時間が30秒から60秒とされるのは、苦みやうまみの綿密な計算に基づくというより、それが、例えば、仲間とちょっとした会話を交わすのにちょうどいい時間だからなのです。
確かに、同じ茶葉を使って、四煎目まで、味や香りの変化を楽しめます。しかし、恐らくそれはむしろ、穏やかな心が戻ってくるのを感じるまでの時間ということなのでしょう。元気づけのため、あるいは忙しい一日の息抜きとして、茶を飲みながら、心の変化を感じる時間です。茶は、気分を整えるものと言われます。必要なものをもたらしてくれるのです。

静岡において茶はまさにプライドの源であり、そして私は、各農家が自らの茶畑と収穫方法に注ぐ知識や情熱を大いに感じることができました。そのようなプライドとこだわりとのバランスが、これからもずっと、日本茶の品質を保っていくことなるのでしょう。


※過去6回放送分を掲載しています。
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