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2020年11月号
はいたい!今月の沖縄熱中倶楽部を担当しました、荒木さくらです!
肌寒い日が増えてきましたね!沖縄もラジオを放送した日を境に「うう~寒いぞ。いよいよ来たか、冬!」といった気候になってきました!
みなさん、一緒に手洗いうがいを心がけ、体調管理しっかりしていきましょうね!
では、今年最後の沖縄熱中倶楽部でお届けした内容をご紹介していきますよ!
特集1:ことしデビュー30年!BEGINの島袋優さんをお迎え!
沖縄を代表するアーティスト、石垣島出身のBEGIN!そのギター&ボーカルを担当する島袋優さんをスタジオにお招きしました!
1990年にデビューしたBEGINは今年、デビューから30年を迎えました。今回はこれまでの音楽活動を振り返っていただきました。
今では、三線の音色など、沖縄をイメージさせる楽曲が多いBEGINですが、実はデビュー曲は「恋しくて」というブルースでした。「なんで三線を持たなかったの?」という志ぃさーさんの質問に、島袋さんは「三線を学んだわけではない自分たちが演奏するのは怖かった。沖縄を利用しているような気もしたし」と言います。
そんなBEGINが沖縄文化を前面に出した曲をリリースしていったのは、デビューから10年が経った2000年以降のことです。沖縄県でサミットが行われたり、連続テレビ小説「ちゅらさん」が放送されたりと、全国的に沖縄ブームが起こります。島袋さんは「沖縄の音楽が求められていたし、伝わりやすいと思うようになった」と振り返ります。様々なタイミングが重なり、この頃からBEGINは「島人ぬ宝」や「オジー自慢のオリオンビール」などを発表していきました。
再び転機が訪れたのはデビューから20年が経ったころ。BEGINはハワイや南米の音楽を取り入れた楽曲の制作を始めます。2011年にブラジルライブを開催したときには「楽器屋さんで急に素晴らしい演奏が始まるのは、まるででっかい沖縄。日系の移民も多くてみんなやさしくてすごく刺激を受けた」と話してくださいました。
このように、およそ10年ごとに大きく進化していったBEGIN。デビューから30年のことし、リリースしたのが「24-7のブルース」です。再びブルースなんです!「コロナ禍、音楽で何が出来るんだろうと考えたときに作った曲で、お互い頑張ろうという気持ちで、素直に作ろうと思ったときにブルースになった。デビューのころに戻ったというか」と島袋さん。
「歌に織り込んだ沖縄の言葉『誠そーけー、なんくるないさ(=自分がやるべきことをやっていれば、収まるところに収まる。正しいと信じた未知を歩いていこう)』のように、エンターテイメントの在り方を模索しなければならない時代ですが、信じてる音楽を続ければ道をひらけるかな」と抱負を語ってくださいました。
「BEGIN」命名のエピソード、今後の活動やリスナーへのメッセージなど、たっぷりお話しいただきありがとうございました!

<左から、荒木さくらアナウンサー・島袋優さん・志ぃさーさん>
特集2:音に込められた秘密 伝統工芸品、金細工(くがにぜーく)
番組後半は、那覇市首里の伝統工芸品・金細工についてお伝えしました!
琉球王国時代からおよそ500年続く、沖縄の伝統工芸品。金細工と書いて、「くがにぜーく」または「かんぜーく」と読みます。金属でできた工芸品です。溶かした純銀を打ち叩いて、指輪や髪飾りなどにします。

<写真左が「房指輪」。琉球王国時代、婚礼指輪として使用されていました。右が、髪飾りの「ジーファー」。琉髪を一本でとめる銀かんざしです。>
番組では、金細工職人である又吉健次郎さんをご紹介しました。11月中旬、那覇市首里崎山町にある、工房にお邪魔しました!
又吉さんは40歳の頃から金細工作りを始め、ことし89歳を迎えました。およそ6畳の工房には銀を金槌で叩く「カンカンカカンカン」という音がこだましていました。
これこそが、金細工の魂なんです!又吉さんにとってこの銀を叩く音は、先代であるお父様との対話の時間だと話します。
さらに、銀を打ち叩く「道具」。実は戦火を免れたものでした。1944年に那覇市を襲った10.10空襲で多くの道具が焼失。そんな中、健次郎さんのお父様は、大事な道具を持って大分県に疎開していました。だから、長い歴史が刻まれた伝統の「道具」が今も残されているのです。
魅力が詰まった金細工!今後は弟子の宮城奈津子さんが継承していくということです。

<又吉健次郎さん>
今回が2020年最後の放送でした。今年も沖縄熱中倶楽部をお聴きいただき、ありがとうございました!たくさんのお便り、いつも嬉しく読ませていただいております♪
大変な状況が続いてはおりますが、来年も一緒に頑張っていきましょう。それでは、少し早いですが(笑)良いお年をお迎えください!
番組中に紹介した曲
♪BEGIN「恋しくて」
♪BEGIN「島人ぬ宝」
♪BEGIN「ミーファイユー」
♪BEGIN「24-7のブルース」
♪「海の声」インストゥルメンタル
♪登川誠仁・知名定男・吉田康子「金細工」
2020年10月号
ハイサイ!10月号を担当した新人アナウンサーの寺内皓大(てらうち・こうだい)です。初めての沖縄熱中倶楽部。やや緊張もしましたが、リスナーのみなさんから励ましの声もいただき終始楽しくお届けすることが出来ました!
50通を超えるメッセージ、全部しっかり目を通しました。本当にありがとうございます!
前半は火災から1年となる首里城について特集しました。
首里城再建に向けて動き出している現場について、前回の復元にも深く携わった、首里城再建のための国の有識者会議の委員長で琉球大学名誉教授の高良倉吉(たから・くらよし)さんに、土橋アナウンサーがお話を伺いました。まず高良さんは「火災の際は現場に行く気持ちになれず、神の島と言われる久高島に行って気分を落ち着けてから、再建の仕事への決心をした」とふり返りました。そして木材や赤瓦といった建材の調達の進捗状況、伝統と調和を図りながら防火対策を施す設計方針などについて、詳しく説明してくださいました。また放送日現在、首里城の再建には全国から約50億円の支援金が寄せられています。高良さんは「本当に感謝している。皆さんの寄せてくださった気持ちに応えるため、工事現場を見学するルートを作り、「見せる再建」をしていく」と話していました。志ぃさーさんも「歴史的な大事な1ページ。今しか見られない首里城もあるので、足を運んで記憶に残してみてはいかがでしょうか」と語っていました。首里城は、前回の復元以降の研究で明らかになった構造も反映させ、2026年までに再建される予定です。

<高良倉吉さん>
後半は新型コロナウイルスで大きな打撃を受けた沖縄の産業について2つの動きを特集しました。
1つ目は「パイナップルの葉から作る服」。パイナップルの葉は固く水分が多いため処理しにくいのが難点で、これまで農家にとってやっかいもの扱いされてきました。日本一のパイナップルの産地東村で、その葉からとれる繊維を使って布を作り、服に仕立てるという取り組みが始まりました。いずれは沖縄の特産品となり、さらには日本中に広めたいということです。

<パイナップル繊維で作られた「かりゆしウェア」>
2つ目は「伊平屋島の島をあげたインターネット販売」です。伊平屋島は、観光客数が例年の半数以下に落ち込んでいるうえ、島の特産品を売る物産展も軒並み中止となり、大きな打撃を受けています。そこで特産の魚の加工品や黒糖などをインターネットで通信販売し、島から全国へ販路を拡大することにしました。伊平屋村観光交通課の新垣恵(しんがき・めぐみ)さんに取り組みを伺いました。
これからは家で伊平屋島が味わえるかもしれませんね~!

<伊平屋島自慢の特産品たち
前列左から うずまきもち ミーバイの生ハム ミーバイジャーキー
後列同 一口黒糖 黒糖アガラサー チヌマンジャーキー>

<放送後の1枚 左から土橋アナウンサー 志ぃさーさん 寺内アナウンサー>
番組中に紹介した曲
♪宮けいこ、里なおみ、ホップトーンズ「ふるさとの雨」♪「WE ARE THE WORLD」(三線演奏)
♪吉田康子 宮里奈美子「ひやみかち節」
2020年9月号
ハイサイ!9月号のスタジオを担当した土橋大記です。今月は沖縄の楽器「三線」を特集しました。
スタジオには、志ぃさーさんに加えて、野村流古典音楽保存会グランプリを受賞し、サンシニスタという肩書きで活動する安慶名さつきさん、三線がーるという名前で全国でライブ活動をしている稲嶺幸乃さん、2人の若手演奏者をお迎えしました。
まずお届けしたのはインタビューです。三線が全国に知られるようになったきっかけの1つが、沖縄の雰囲気を綿密に織り込んだTHE BOOMのミリオンセラー「島唄」のヒットでした。今回は「島唄」を作詞・作曲したシンガーソングライターの宮沢和史さんに池間昌人アナウンサーがお話を伺いました。
山梨生まれの宮沢さんと三線の出会いは、沖縄民謡でした。島のリズムや言葉で紡がれる民謡に熱中し、自身の音楽にも取り入れていったといいます。三線について「3本しか弦が無いのに、ものすごい景色を僕に与えてくれる」と話す宮沢さん。「古典音楽、琉球国時代の歌、民謡…。いろんなことを体験した島が歌に残ってますね。歌の中に沖縄の歴史がありありと現れています。(三線は)すべての歴史を歌にしたものを伴奏として伝えてきた楽器」と感じているそうです。
さらに今回は、楽器としての三線の魅力も伺いました。宮沢さんは、まずサイズが小さめで楽器を見なくても弾けるため弾き語りに向いていて、そしてギターのようにジャーンと響かず、音が一瞬で消えていくため、長く引っ張る歌とのコントラストが気持ちいいと話してくださいました。沖縄では唄三線といますが、歌とセットであるからこその、三線なのだということを改めて感じました。

<(左から)宮沢和史さん、池間アナウンサー 沖縄県立芸大にて収録>
(今回はリモートでお話を伺いました)
番組ではこのあと沖縄本島中部のうるま市にある三線店から荒木さくらアナウンサーが生中継をお届けしました!
沖縄の代表ともいえる三線の音。その音色を左右しているのは、三線の胴体の部分です。胴体は「チーガ」と言われる木の枠に、蛇の皮を張って作られます。この工程、「皮張り」と呼ばれます。皮の張り具合一つで、弦の音程が全く同じでも音色が変わるんです!スタジオの安慶名さんも「最近、皮が破れてしまったので張り替えたら、見違えるような音になった」とのこと。
実は、三線づくりでも重要な工程であるこの「皮張り」が、機械でもできるようになりました。この店の初代で、現在も三線づくりの模索を続ける新垣喜盛さんが、地元の学生とともに4年がかりでつくりあげました。この機械、これまで職人が音を聴きながら判断していた皮の張り具合を、「見える化」してくれます。胴体の部分を木の棒で叩いて、その音の周波数を計測。ヘルツで表示されます。“伝統を尊重しながらも、最新技術を取り入れて、三線づくりの未来を考えたい”。これまで職人の感覚だったものを、客観視できるようにし、三線づくりの継承、そして今後は効率化にもつなげていきたいと新垣さんは話していました。

画面には、867ヘルツとあります。ちょうど良い張り具合だそう!

<(左から)この店の二代目・新垣茂さん、荒木アナウンサー>
三線づくりに技術革新が起きているなら、演奏や表現にも新たな風が吹いています。
三線がーる稲嶺さんは、クラブで演奏したり、レゲエと三線をコラボレーションさせたり、これまでのイメージにとらわれない表現活動に励んでいます。「沖縄県民はみんな三線が好きだと思うけど、普段ドライブしながら民謡や古典を聞いているという人は多くはない。好きなジャンルで三線の音色に触れてもらいたい」と話します。一方、サンシニスタの安慶名さんも三線を使った新しい表現を目指しています。もともと古典が専門で、番組中も「かぎやで風」を披露してくださった安慶名さんですが、いまヒップホップダンサーとともに動画を制作したり、おしゃれなカフェで三線を演奏したりして、多くの人に魅力を伝えています。志ぃさーさんも、若い感性で切り開く三線の世界を頼もしく感じているようでした。お二人はこの秋、NHK沖縄の「うちなーであそぼ」で、ウチナーグチを使った童謡を披露してくださる予定です。
盛りだくさんだった三線特集。リスナーの皆さんからもたくさんメッセージをいただきました。「祖母の形見の三線を弾けるようになりたい」というお便りには稲嶺さん安慶名さんが「私たちも祖父の三線を使っています」とのお返事。「小5の娘とオンラインで三線を習っています」という声には「沖縄と世界を結んでレッスンやライブを広げていきたい」とのこと。さらに誕生日を迎えられる方からのメッセージに「ハッピーバースデー」を三線の伴奏で歌ったり、にぎやかな50分間でした。

<(左から) 土橋アナウンサー、安慶名さつきさん、稲嶺幸乃さん、志ぃさーさん>
番組中に紹介した曲
♪THE BOOM「島唄(ウチナーグチ・ヴァージョン)」♪「海の声」(インストゥルメンタル)
♪稲嶺幸乃「大島ヤンゴー節(feat. HARIKUYAMAKU DUB)
2020年7月号
ハイサイ。沖縄放送局アナウンサーの堀越将伸です。
いつもの年より早い梅雨明けから1か月あまり。沖縄は真夏です。
夏に食べたくなる沖縄の野菜といえば、ゴーヤー!
今月は「真夏のゴーヤー大特集!」をお送りしました。
野菜のプロが教える特製ゴーヤーチャンプルー!
皆さん、最近ゴーヤーは食べましたか?
今回は、生放送中に、ゴーヤー料理の王道・ゴーヤーチャンプルーを生クッキング!
腕をふるってくれたのは、野菜ソムリエ上級プロの徳元佳代子さんです。
石垣島出身の内原早紀子キャスターが、沖縄放送局クッキングスタジオからお伝えしました。


野菜のスペシャリストである徳元さんが話すゴーヤーの魅力は、ずばり「苦み」。
この苦みの成分こそ、健康効果が期待される成分「モモルデシン」です。
そこで調理のポイント。「苦みをなくさないように調理する」!

▼下ごしらえの時は、苦みを取ろうと塩でもんだりゆでたりしない。
▼中ワタは苦くない!しかも栄養豊富。ゴーヤーを切ったらワタは残し、固い種だけを取る。
▼苦みを和らげるには、(1)油、(2)加熱、(3)うまみを加える!
な、なるほど…!


こうして完成したゴーヤーチャンプルーが、放送終了3分前にスタジオに到着。みんなでいただきました。
おいしい!厚さ2ミリほどに切られたゴーヤーは、シャキシャキ感の残るほどよい食感。
注目の苦みは、油とうまみに包まれて、すっかりマイルドに、おいしく和らいでいました。
ゴーヤーの苦みをいかし、うまみと栄養を加えた徳元さん特製のゴーヤーチャンプルー。
この記事の最後にレシピを掲載しています。ぜひ作ってみてください!
沖縄から全国へ ブレイクまでの道
さて、今でこそ日本中で食べられ、栽培もされているゴーヤー。元々は沖縄の地域野菜でした。
沖縄本島から本土に向けてゴーヤーの出荷が始まったのは、平成4(1992)年。
その歴史は、実はまだ30年足らずなんです。
ゴーヤーがどうやって全国デビューし、日本中に定着するほどのブレイクを果たしたのか。
そこには物語がありました―。
元々沖縄で作られていたゴーヤーは、品種改良されたものではなく、昔からある在来の植物でした。
本土に出荷するためには、形の揃ったきれいな実がたくさんとれるような品種を、新たに作ることが必要。
県では、こうした条件を満たすゴーヤーを国内外から選抜し、優れた品種を開発することに成功しました。
あとは本土に売り込むだけ。ところが、強い苦みが敬遠され、なかなか売れませんでした。
大阪や東京などの大都市には、沖縄から移住した大勢のウチナーンチュが暮らしていましたが、
「沖縄での貧しい生活を思い出すので、あまり食べたいと思わなかった…」と振り返る人もいるなど、
やはり、あまり受け入れてもらえなかったそうです。
おいしいのに売れない。不遇のゴーヤーに、平成13(2001)年、運命を変える出来事が起きます。
このキャラクターの登場です。

ゴーヤーマン!!!
沖縄県を舞台にした連続テレビ小説「ちゅらさん」の劇中に登場するキャラクターです。
放浪癖のあるヒロインの兄が考案してグッズの人形を作ったけれど、まったく売れずに借金だけを残した…
というストーリーでしたが、テレビの外の現実社会で売り出されると爆発的にヒットした…、
このとぼけた顔をした不思議な存在。覚えていますか?
当時のゴーヤーマン人気は、人形がほしくても手に入らないくらいでした。
その人気の波に乗って、ゴーヤーは一気に全国の青果店に広まったそうです。ウソのようなホントの話。
いま私たちが食べている沖縄のゴーヤー。
歴史をたどれば、実力(品種の良さ)はもちろん、運も兼ね備えてブレイクを果たしたんですねえ。
巨大なゴーヤーがスタジオに登場
世界のゴーヤーについてもお伝えしました。
沖縄県農業研究センターによると、ゴーヤーは世界に20種類以上あるそうです。
その中でも最大級に大きいゴーヤーが、沖縄県内にあります。
本部町健堅(けんけん)地区で作られている地域の在来種「キンキンゴーヤー」です。

その大きさ40cm以上!最大クラスは60cm、重さ2kgにもなるそうです。
本部町内の直売所などで、1本400~800円ほどで販売されています。
沖縄美ら海水族館もある町なので、見てみたい方は観光の折に探してみてはいかがでしょうか。
ゴーヤーを味わいつくした50分間。
さあ全国のみなさん、きょうもゴーヤーを食べましょう!

<左から堀越アナウンサー、志ぃさーさん、徳元さん、内原キャスター>
【野菜ソムリエ上級プロ 徳元佳代子さん特製!「ゴーヤーチャンプルー」のレシピ】
<材料>
ゴーヤー 1本(250g)
島豆腐 1/2丁(300g)※なければ木綿豆腐
ゆで豚三枚肉(ブロック) 80g ※なければ三枚肉の薄切り
ニンジン(赤・黄) 60g ※赤いニンジンだけでもOK!
溶き卵 2個分
かつお節(花かつお) 5~10g
鰹だし 30ml
しょう油 大さじ1/2
米油 適量
塩 適量
<作り方>
1.ゴーヤーは縦半分に切り、固い種だけを取り除き、厚さ2mmほどの半月切りにして、塩2つまみを"振りかけて"軽く混ぜておく。
※ポイント! 苦みをとるために塩もみしたり・塩水にさらしたりせず、水分だけを出す。
ニンジンは細切りにする。
2.ゆでた豚三枚肉は、厚さ2mmほどの薄切りにしておく。
3.島豆腐は、ペーパータオルで余分な水気を切り、手でひと口大にちぎる。
※ポイント!木綿豆腐を使う場合は軽く塩を振る
4.油を熱したフライパンで、3の豆腐を焼き色がつくまで強火で焼き、別皿に取りおく。
5.油を足して三枚肉を炒め、脂が回ったらゴーヤーとニンジンを入れ炒める。
豚肉からも脂が出るので、油は少量で。鰹だし(液体)も加えて炒める。
強火で、目安は2分以内で炒めてください。
6.透き通ったら4の豆腐を加え、醤油と塩で味を整え、溶き卵でふんわりととじる。
卵に軽く火が通ったら出来上がり!
7.器に盛りつけ、かつお節(花かつお)を散らして、さあお召しあがりください!

番組中に紹介した曲
♪ガレッジセール「天下無敵のゴーヤーマン」♪「地上の星」(インストゥルメンタル)
♪Kiroro 「Best Friend」
♪「花」(インストゥルメンタル)
2020年6月号
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
沖縄は6月12日に梅雨明け(平年より11日早い)したと見られると発表され、連日、30度を超える真夏日が続いておりました。
熱中倶楽部6月号の進行を担当した、NHK沖縄の黒住駿です。
全国の皆様からのメッセージ、本当にありがとうございました。
特集1:平和学習のため資料収集を行う中学教師・大城邦夫先生
特集1つ目は、6月23日の慰霊の日にちなんだ話題をお伝えしました。
6月23日は、太平洋戦争末期の沖縄戦で日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる日です。
まず、放送の3日前に行われた沖縄全戦没者追悼式の模様を中継の録音を聞きながらふり返りました。
今年は、新型コロナウィルスの感染拡大を防ぐため、県外からの来賓の招待や一般の県民の参列を見送り、規模が大幅に縮小されましたが、子どもたちから募った「平和の詩」の朗読は例年通り行われました。
今年の作品は首里高校3年の高良 朱香音さん(※)の「あなたがあの時」。
沖縄戦の遺跡を訪ね、戦争体験者から話を聞いた際に感じたことが綴られています。
高良さんは「戦禍を生き抜き、戦争体験を語り継いできた人たちに感謝するとともに、自らも平和な世界を作り上げていく決意を詩に込めた」と言います。
ところで、近年高良さんが出会ったような体験者の高齢化が進み、直接戦争当時のことを学ぶ機会は減っています。
激しい地上戦が行われた沖縄戦から75年。
大きな課題となっているのが平和学習の方法です。
今回は、平和学習のあり方を模索する中学校の社会科教諭・大城邦夫さんをスタジオにお招きしました。

<(右から)大城さん、志ぃさーさん、黒住アナウンサー>
大城さんは、戦時中、野戦病院での看護などに動員された元学徒の方々との触れ合いから、平和学習の大切さを痛感したといいます。スタジオでは、沖縄戦当時の写真を使った平和学習の授業の様子や、大城さんが国立公文書館に申請して集めた資料についてのお話を伺いました。
自らの時間と労力を使って“これまで埋もれていた資料”を見つけ、新たな歴史の解明や平和学習の授業での活用に全力を尽くす大城先生の言葉からは、沖縄の社会科教師である使命感をとても強く感じました。
※高良 朱香音さんの「高」は、正しくははしご高です。
特集2:日本一となった沖縄の養蜂業
沖縄でミツバチ??あまりイメージないな…と思う方多いと思いますが・・・
最新の2019年の調査で、沖縄県はミツバチの飼育群数が日本一になったんです!!
(1群はおおむね巣箱1つにいる約2万~5万匹のミツバチです。女王蜂1匹がこれほどの蜂を従えています)
まずは、沖縄の誇る、様々な種類のハチミツを志ぃさーさんに試食して頂きました。

<ハチミツを手にする志ぃさーさん>
いま沖縄では、ハチミツだけでなく、蜂の巣から抽出した蜜ろうを活かしたハンドクリーム、キャンドルなどの加工品も増えています。
今回は、私黒住が、ミツバチの飼育が盛んに行われている沖縄本島北部の東村の養蜂場にお邪魔し、その様子をリポートしました。


<びっしり置かれた巣箱 それぞれの箱にたくさんの蜂がいます>
毎日の巣箱の管理は大変な作業です。
ミツバチの餌となる砂糖水やミツバチを誘うための花粉を巣箱に補充し、それを1日数十箱というペースで行います。
大きな養蜂業者が少ない沖縄。個人の養蜂家が地道に飼育数を増やしていき、日本一までたどり着いたのだということを現場に行ってしみじみと感じました。
ところで、意外なことに沖縄の養蜂家の多くは、このミツバチ自体も出荷しています。
実は沖縄の養蜂は“ハチミツを作るより、ミツバチ自体を育てている”んです。
全国の農家で受粉作業に活躍する蜂の生産を、温暖な沖縄が担っているのです。
ミツバチは8度以下になると死んでしまうため、本土では冬を越えるのが難しい生き物です。
しかし沖縄では冬でも10度を下回る日は珍しく、1年を通して出荷出来る優位性があります。
皆さんの地域の農作物も、もしかしたら“沖縄の蜂”を使って受粉を行っているかもしれません。
沖縄の蜂には、日本の農業を支えている一面があるのですね。
そんな働き物の沖縄のミツバチたちの力で作られるハチミツや加工品。
皆さんも沖縄にいらした際にはお土産に買ってみてはいかがでしょうか!
番組中に紹介した曲
♪「ハイサイおじさん」(インストゥルメンタル)
2020年5月号
はいさい!NHK沖縄放送局アナウンサーの竜田理史です。
先月に引き続き、新型コロナウイルス感染予防対策として、志ぃさーさんはテレビ電話で参加。スタジオ内も、出演者同士の距離をとったうえでアクリル板を設置し、放送時もマスクを着用しての放送でした。いつもとは違った雰囲気でしたが、元気いっぱいにお送りしました。

特集1:沖縄の塩 マースの魅力
はいたい!NHK沖縄放送局キャスターの渋谷遥華です。
私は、沖縄県民に欠かすことのできない塩(マース)についてお伝えしました。
きれいな海に囲まれている沖縄では、なんと100種類以上もの塩が作られているんです。

この日は、残念ながら曇っていましたがこんなにもきれいなエメラルドグリーンの海が広がっている浜比嘉島。ここで塩作りに取り組んでいるのが高江洲優(たかえす・まさる)さんです。


高江洲さんは浜比嘉の海水100パーセントの塩作りにこだわっています。
まず最初の工程は、くみ上げた海水を天日や風で濃縮することです。
手作りの装置を使い流下式塩田という方法で何度も循環させることで海水を濃縮していきます。

<流下式塩田>
しかし台風や雨が多く湿度の高い沖縄での塩作りは、まさに自然との戦い。
屋外にあるため雨が降ってしまうと全部やり直しだそう。
苦労も多いそうですが「自然があるからこそおいしい塩が出来上がる」と高江洲さんは話します。
無事に濃縮が終わると、この後はそれを釜で炊いていく作業です。
これがまた大変な作業で…
作業場に入ると、中は蒸気でサウナのような状態。室温はなんと50度以上まであがることもあるそう!
見学していただけの私でも汗をかいてしまうほどなのに高江洲さんはこの中での作業ですから大変なのが伺えますよね。4時間かけて焚き上げるとこんな風に塩らしきものが見えてきました。

これをさらに乾燥させて苦みや塩辛さを整えると塩の完成です!!!
海水が塩になるまで約1週間。手間暇かけられている高江洲さんの塩は苦みが少なくまろやかな仕上がりになっています。
ところで、皆さんはどんな風に使う塩を選んでいますか?
私もそうですが、なんとなく選んでいる方が多いと思います。
そんな皆さんのために塩専門店のソルトソムリエの石川裕作さんに聞いてきましたよー!

<ソルトソムリエ・石川裕作さん>
石川さんによると、屋我地島の塩は塩味がしっかりしているので赤身の肉に合わせると肉の味に負けないんだとか。また、北谷の塩はさらさらしていて馴染みやすいので漬物に。
粟国島の塩は苦みが強いので苦みのあるコーヒーと合わせてまろやかにしたり、サバに合わせると臭みが和らいだりするそうです。
こんな風にそれぞれの特徴を知ることでより塩選びが楽しくなりますよね!
是非皆さんもお気に入りの塩を見つけてみてくださいね。
特集2:新型コロナウイルスに負けない!みんなでチバリヨー!
新型コロナウイルスの感染が広がり、まだ気の抜けない状況が続いています。
先月に引き続き、沖縄ゆかりの著名人や全国のリスナーから寄せられるメッセージを織り交ぜ、沖縄から「元気」そして「みんなで頑張ろう」というメッセージをお届けしました。
まずは、浦添市出身の俳優・仲間由紀恵さんからのチバリヨーメッセージ!
新型コロナの影響で、家で過ごす時間がとても多くなったという仲間さん。
「これまで仕事でこんなに長く家にいることができなかった分、家族と一緒にいる時間を噛みしめることができたり、これまで手をつけなかった場所をよし片付けようって思えたり、最近は、季節の野菜や、フキやウドなどを使った料理にチャレンジしたりしています」と話していました。
仲間さんは、この機会に自分なりの楽しみを見つけて、前向きに気持ちを切り替えて生活を楽しんでいるようでした。その言葉からは、ウチナーンチュの力強さも感じました。
続いては、沖縄発の5人組ガールズグループ「チューニングキャンディー」からのチバリヨーメッセージ!
首里城再建支援のための応援歌としてカバーした「ダイナミック琉球」が動画投稿サイトで100万回再生を突破するなど、10代を中心に人気に火がついているグループです。
スタジオにはリーダーのソフィーさんにお越しいただきました。

<ソフィーさん(チューニングキャンディー)>
現役の大学生でもあるソフィーさん。いまは、オンラインで授業を受けています。
「最初はオンラインの設定に手こずりましたが、いまは順調です。5分前に起きても授業に参加できますし、簡単に先生にコメントを送れるので質問がしやすいです。今できる自分磨きを頑張っています」と話していました。
他のメンバーも、新型コロナの影響で思うように芸能活動ができない中、料理を始めたり、ギターを始めたりとそれぞれの「おうち時間」を楽しみながら、歌やダンスの練習に力を入れているそうです。
新型コロナが終息したら、ぜひ生でパフォーマンスを見たいですね。
さらに今回は那覇から西に約450キロ西表島のシンガーソングライター池田卓さんとも電話を結びチバリヨーメッセージを伺いました。西表島の中でも、道路がつながっておらず、船でしか行くことが出来ない船浮集落に住む池田さん。ことし3月、不便な島での生活が教えてくれた大切なことを綴ったエッセイ「不便が残してくれたもの」を出版しました。その中の一節です。
「手間暇をかけることで味わえる、楽しみや喜びがあります。足りないとき、少ないとき、できないときだからこそ、生まれるものがあります。不便な状況、不便な環境だからこそ残ってきたものがあります。それらのかけがえのないものは、『豊かな人生』をおくるうえで欠かすことのできない、とても大切なものなのです。」
私は自粛生活の中この本を読んで、いままさに新型コロナの影響で何をするにも手間暇がかかり、「不便」を強いられている私たちにも通ずると感じ、とても印象的でした。
池田さんは、「ないからこそ残ってきたものがあります。無いものねだりよりあるものに感謝して、この時期があって良かったなと思える過ごし方をするべきではないでしょうか」と話していました。
親交のある志ぃさーさんとの思い出話も盛り上がっていましたよ。
番組ではリスナーの皆さんからのたくさんのチバリヨーメッセージもご紹介しました。お便りありがとうございました。
番組中に紹介した曲
♪G-FA「キセキ」♪「涙そうそう」(インストゥルメンタル)
♪池田卓「頑張り時の皆様へ」
♪チューニングキャンディー「ダイナミック琉球」
2020年4月号
今月号を担当しました、NHK沖縄放送局アナウンサーの荒木さくらです。
皆さん、いかがお過ごしですか?番組放送当日は、全国各地から多くのメッセージをいただき、ありがとうございました!
さて、番組でお届けした内容を紹介していきますよ~!
特集1:サトウキビの染物「ウージ染め」
今年の4月26日は「サトウキビの日」ということで、「ウージ染め」を紹介しました!
「ウージ」とは、沖縄の言葉、ウチナーグチで「サトウキビ」という意味です。
「ウージ染め」は沖縄本島南部の豊見城(とみぐすく)市の特産品として、生産されています。その魅力を探るため、4月上旬に豊見城市の工房にお邪魔してきました。

まずウージの葉を刈り取り、それを細かくしていきます!
細かくすればするだけ、煮出すときに色が出やすいそうです。

細かく切ったウージを2~3時間煮出したら、染液の完成です。
煮出しているとき、本当に甘い、ウージの香りが漂ってきました。
目をつむって香りを感じると、まるでウージ畑にいるような気分になりました!
今回、私はハンカチ染めに挑戦しました!

ハンカチがしっかりと染液につかるようにするのが、難しかったです!どうしてもハンカチに空気が入ってしまって、浮かんできてしまうんです……。
「綺麗に染まれ綺麗に染まれ」という願いを込めて頑張りました!
完成したものが、こちら!

鮮やかな緑色に染め上がりました!
ウージの葉からは緑色が、花穂からはピンク色の染液が出るということで、色鮮やかなウージ商品が多く生産されています。

豊見城市ウージ染め共同組合の皆さんです。

みなさん、おしゃべりを楽しみながらも真剣にウージ染め制作に取り組んでいらっしゃいました。
番組でもご紹介した「ウージ染めマスク」を着用されていましたよ!
沖縄のパワーをぎゅっと詰め込んだウージ染め。魅力たっぷりでした!
特集2:新型コロナウイルスに負きららん!みんなでチバリヨ―!
新型コロナウイルスが世界的に猛威を振るっています。こんな時だからこそ、沖縄から「元気」そして、「みんなで頑張ろう」という気持ちをお届けしたいと「新型コロナウイルスに負きららん(負けられない)!みんなでチバリヨ―(頑張ろう)!」と題してお伝えしました。
沖縄県ゆかりの方から「チバリヨ―メッセージ」そして「チバリヨ―ソング」を聞いてきましたよ!

「ありんくりん」のお二人 左から ひがりゅうたさん クリスさん
まずは、芸人の「ありんくりん」さんからのチバリヨ―メッセージ!
新型コロナウイルスの影響で、劇場でのお笑いライブもすることができなくなってしまったお二人。お家にいながら、SNSを通して笑いを届けようという取り組みをされています。休校中のめいっ子と一緒にショートコントムービーを作成したり、元気の出る動画をあげたりしているそうです。
新型コロナウイルスが収束した時に向けて、準備を進めているお二人。今できることをやっていこうという、強い気持ちを感じました!
♪ひがりゅうたさんのチバリヨ―ソング
「ヒヤミカチ節」
♪クリスさんのチバリヨ―ソング
「パプリカ」

「DIAMANTES」のアルベルト城間さん
つづいては、沖縄を拠点に活動しているラテンバンド「DIAMANTES」のボーカル、アルベルト城間さんからのチバリヨ―メッセージ!
アルベルトさんは日系ペルー人3世です。南米ペルーの公用語でもあるスペイン語を使って、新型コロナウイルス感染拡大防止ソングをインターネットに公開しています。もともと「サルガデスカサ(salga de su casa)家から出よう」というスペイン語の歌を、「ケダテエントゥカサ(quédate en tu casa)家にいなさい」という替え歌にして、感染拡大防止を呼び掛けています。
メッセージでは、今の名護市屋我地島出身でペルーに渡ったアルベルトさんの祖母の言葉を紹介してくださいました。それは「なにがあっても恐れないで、自然なことだから」というもの。いつも大切にしている言葉だそうです。アルベルトさんは「今の状況は、きっと収まるだろうし、学びがあるだろう」と話してくださいました。
自粛が続く今、ネガティブな気持ちになりがちですが、逆の発想で、この機会をポジティブに捉えることが大切だと感じました。
♪アルベルト城間さんのチバリヨ―ソング
DIAMANTES 「GAMBATEANDO」
※チバリヨーメッセージはNHK沖縄放送局のHPでも順次公開しますので、そちらもぜひご覧ください!
ところで今回は、ラジオスタジオには私独りぼっち……。志ぃさーさんには沖縄市の事務所からリモートで番組に参加していただきました。写真はテレビ電話でお互いに顔を見ながら放送しているところです。離れていましたが、心を一つに番組をお伝えできていたら、嬉しいです。
すこし心細かったですが、みなさんからたくさんいただいたメッセージのおかげで無事落ち着いて番組を進行できました。ありがとうございました!



番組中に紹介した曲
♪森山良子「さとうきび畑」
♪THE BOOM「島唄」
♪「小さな恋のうた」(インストゥルメンタル)
♪「ヒヤミカチ節」
♪DIAMANTES「GAMBATEANDO」
2020年3月号
今回はKiroroの金城綾乃さんをスタジオにお迎えし、志ぃさーさん、池間アナウンサーとウチナーンチュ3人でお届けしました。新型コロナウイルスの感染が拡大する中「こういう時だからこその、ラジオだね」と志ぃさーさん。「(外に出るのを控えている方も)気持ちが明るくなりますからね」と綾乃さん。勇気と元気をもって乗り越えようと放送しました。

小中学生の3人のお子さんを育てている綾乃さんは、学校が臨時休校となっている今、“〇〇ペイ”にちなんで、家の中でPay制度を作って楽しんでいるそうです。お子さんが洗濯ものをたたんだり、ご飯を作ったりすると“20Pay”のようにポイントが貯まっていき、貯まるといつもより1時間長くゲームが出来るというような仕組みです。「(お母さんが)こういうことをやって君たちは生きているんだよ」ということを、みんな楽しく知っている様子でした。今不安な毎日だから改めて気づかされる「家族と一緒に過ごせている幸せ」を感じました。
今回、綾乃さんは今月出来上がったばかりの曲「奇跡のピアノ」を披露してくださいました。この曲は、東日本大震災の際、福島県で津波の被害にあい、がれきの中から見つかったピアノを題材にした歌です。中学校の体育館にあったピアノは地震の数時間前、卒業式でKororoの「未来へ」を奏でていました。綾乃さんは、沖縄でこのピアノを使ったコンサートが開かれた際に、弾かせてもらい、奥深く重いものを感じました。そして曲が出来ていったといいます。
綾乃さんは「被災して復活したピアノは“いま困難があっても復活してやっていける”という希望の象徴だと思う。その思いが全国の人たちと共有出来たら」と、世界を覆う現状にも重ね合わせたメッセージを伝えてくださいました。
特集:島を旅立つ若者たち!
後半の特集では、「島を旅立つ若者たち」を特集。
新型コロナウイルスの影響で世界中暗い話題が多い中でも、3月は卒業と新たな旅立ちの時期。希望を持って大きな一歩を踏み出す人たちの季節です。
ということで、MCの池間アナウンサーが沖縄の玄関口・那覇空港で旅立つ若者にインタビューしました。
ある女性は「立派な看護師になる!」と宣言して名古屋の看護学校へ、
ある男性は「弁護士になって冤罪事件を減らす!」と東京の大学へ。
それぞれが大きな夢を話してくれました。
こうした沖縄から旅立つ人たちの話を聞いていると「本土へと巣立つことを恐れていない」という共通点に気づかされます。それもそのはず。統計データを見ると、沖縄の高校を卒業して大学に進学する人のうち、本土の大学に進学する人は全体のおよそ5割。2人に1人は本土に巣立つため、古くからの友人と一緒に旅立つという人も多く、心強いのだとか。
しかし、志ぃさーさんが上京した30年前はまた違った一面があったそうで……。
沖縄の若者たちが本土に挑戦するときに直面する課題の歴史的移り変わりを志ぃさーさん、Kiroroの金城綾乃さんを交えてお伝えしました。
番組中に紹介した曲
♪Kiroro 「Best Friend」
♪HY 「no rain no rainbow」
♪金城綾乃 「奇跡のピアノ」
♪「花」(インストゥルメンタル)
♪BEGIN 「ミーファイユー」
♪前川守賢 「かなさんどー」
2020年2月号
熱中倶楽部2月号のMCを担当しました、NHK沖縄の黒住駿・仲本奈鶴季です。
全国の皆様からのメッセージ、本当にありがとうございました。
特集1:新たな産業への成長が期待されるかき養殖
かきのイメージがあまりない沖縄で、温暖な地域に生息する“ポルトガル牡蠣(かき)”の養殖が本格的に始まりました。

<ポルトガルかき>
写真のように、縦の長さが約6cmと小ぶりなんですが、味が濃厚なのが特徴。
その名の通り、ポルトガルなどの南ヨーロッパや、沖縄にも近い台湾を中心として東アジアで盛んに食べられてきました。
7年前、この種類のかきが、沖縄本島の東海岸に自生しているという論文が発表されました。
自生している海の環境を活かせば、養殖出来る可能性も高いのではないかとプロジェクトが開始。
調査を重ね最適な場所を探し、2年前から本格的な養殖事業が始まりました。
今年夏に本格的な出荷を見込んでいます。
そのかきを一足先に志ぃさーさんに試食して頂きました!
旬は少し先ですが、味はしっかりとしていて食感もプリプリで最高!だったようです!笑

かきの養殖は、ホタテの貝殻を使って行います。
自然に存在するかきの赤ちゃん(幼生)は、海中のさまざまな場所にくっつく習性があります。
ホタテの貝殻を沈めると、幼生が付着し成長。
初めは、100分の3mmと肉眼では見えません!
しかし1か月~2か月くらいすると写真のように面影が分かるくらいになります。

<ホタテの貝殻についたかき>
ここまでが第1段階。
この状態になったら、漁船に乗せ、より栄養豊富な沖合に運びます。
かきがついた貝殻にひもを通し、12個ほどの貝殻をつなぎます。
このひもを、“浮き”に張った縄に括り付けて垂らし、海に沈めます。


<漁船に乗せられたかきがついたホタテの貝殻 これを海中へ>
この養殖の方法を“垂下式”といいますが、実はこの技術にも沖縄が関連しています。
考案したのは、実は沖縄本島北部・大宜味村出身の「世界のかき王」と呼ばれた宮城新昌さんなんです!

明治生まれの宮城新昌さんが、かきの養殖技術を考案したのは大正時代。
宮城さんは宮城県石巻市で大規模な養殖を開始します。
徐々に規模を拡大するとともに、宮城さんは自ら考案した技術を自由に使えるようにして養殖技術を世界中に広めました。
その功績から、宮城県石巻市と沖縄県大宜味村には、宮城新昌さんの石碑が建てられています。
このほど沖縄で始まった養殖ですが、元になる技術は、沖縄の方が考案したものだということを知り、取材を通して沖縄とかきの深い繋がりを感じました。
全国に出荷できる量にするには、まだ時間がかかるということですが、県内への本格的な出荷は今年の夏から始める予定です。
是非、沖縄にいらした際には、新たな特産となる可能性を秘めた“南の島のかき”を食べてみてください!
特集2:県民食となったステーキ文化の歩み
続いても、食べ物の話題。いまでは沖縄の県民食ともいえる「ステーキ」についてお伝えしました。県内コンサルティング会社によると、沖縄には、ステーキハウスが100軒以上あり、人口比にすると、全国一という結果が出ています。
ステーキは沖縄県民にとって、お祝いの日やスタミナをつけたいときに食べる、欠かせない存在なんです。
生まれも育ちも沖縄、ウチナーンチューの私(仲本)も、月に1度は食べる大好物です。
どうしてこれほどまで沖縄に根付いているのか、その歩みを取材しました。

<創業67年ステーキハウス>
那覇市にある、創業67年の沖縄で最も古いといわれているステーキハウスで、沖縄のステーキのルーツを見つけました。
それが、このメニュー表です。
お品書きが英語で書かれています。

<メニュー表>
ここに、沖縄のステーキの始まりと深い関わりがありました。
お店の2代目店主で、創業当時から店を手伝う藤浪睦子さんにお話を伺いました。

「メニューが英語で書かれているのは、創業当時、お店の客はほとんどがアメリカ兵だったからです。沖縄で初めてステーキ店ができたのは、戦後の米軍統治下の頃。沖縄の人たちがアメリカ兵を相手に始めた商売だったんです」。
沖縄にステーキが広まったきっかけは、アメリカ軍の基地の中のレストランで働いていた沖縄の人たちが、基地の外にこぞって自分のお店を出すようになったことだったのです。
藤浪さんは「特にペイデー(給料日)は多くのアメリカ兵でにぎわっていた」と懐かしそうに話してくださいました。

<テンダーロインステーキ>
当時から一番人気という店の看板メニューが、テンダーロインステーキのミディアムレアです。
私もいただきました。
「これぞ、沖縄のステーキ」という味で、噛みしめるたびに赤身のうまみが口いっぱいに広がりました。
店の常連客は「復帰前、ウチナーンチューにとって、ステーキはとても高価で、憧れそのものでした。
本土復帰を境に沖縄の人たちも所得が上がり、次第に手の届く存在になりました」と言います。
今ではすっかり“県民食”として定着し、取材中も、デートのディナーで訪れたカップル、娘の誕生日祝いを楽しむ家族、中には、県外から沖縄に帰省中で「ステーキがどうしても食べたくなって来た」というお客さんにもお会いしました。
ステーキがウチナーンチューにとって欠かせない存在になっているということが感じられますよね。
どのテーブルも、ステーキの香りに包まれ、笑顔の花が咲いていたのが印象的でした。
さて最近では観光客にとっても沖縄旅行で欠かせないグルメになったステーキ。
そんな中、観光客から人気を集めているのが、沖縄産の和牛「石垣牛」です。
実はその育て方がとてもユニーク。

<海で放牧>
この写真、水牛じゃないですよ。
実はこれ、立派な放牧です。石垣島では、海や山で、多くの牛を放牧しています。
ビーチで過ごすことで足腰が鍛えられ、健康な牛が育てられるんだそうです。
エサにも工夫があります。
泡盛の酒かすや、サトウキビの葉などを独自の配合で混ぜたものを与える畜産農家も少なくありません。
島の恵みをいっぱいに受けて育った牛は、柔らかく甘みのある肉質になるそうです。

こだわりが詰まった石垣牛。志ぃさーさんは、一言「うまい!」。
絶賛していました。

<スタジオで召し上がる志ぃさーさん>
石垣牛は、いま、タイや香港など、世界各地から注文を受けていて、ステーキの本場アメリカでも提供されるようになりました。
今まで沖縄のステーキ界が追いかけてきたアメリカ。
そのアメリカで沖縄のステーキが食べられているんですね。
まさに沖縄の誇りです。
全国の皆さんもぜひ、ステーキを食べに沖縄にお越しください。
番組中に紹介した曲
♪かりゆし58 「そばの唄」
♪「涙そうそう」(インストゥルメンタル)
♪DA PUMP 「U.S.A」
2020年1月号
特集1:密着!ホエールウォッチング
ことしもホエールウォッチングのシーズンが到来した沖縄。
遠くアラスカなどの海から、毎年ザトウクジラを中心に200頭あまりが冬を越すためにやってきます。
そんな沖縄では、この時期、クジラをみる「ホエールウォッチング」のツアーが盛ん!
そしてクジラの研究も盛ん!
ということで、今回の前半特集はクジラをテーマにお送りしました。
取材でお邪魔した座間味島……

見て下さいこの息をのむ美しさ……。
砂浜は大きめのサンゴのかけらで構成されている所が多く、波が引くときは、「カラカラカラ……」という独特の音が響いてなんとも素敵な場所でした。

座間味島で生まれ育ち、クジラ歴も30年近くの“ベテラン”です。
「島から出て行って帰ってこない人もいるのに、クジラは毎年帰ってくるから涙が出るよね」という言葉がとても印象的でした。
そしてこちらが番組取材で出会ったクジラ。
大きな尾ひれを水面から出す様子を何度も見ることができました。
この尾ひれの右側にも注目!
小さなクジラの背中が見えますよね?
こちら今月(1月)生まれたばかりの赤ちゃんクジラ。
ずっとお母さんクジラにぴったりとくっつきながら、お母さんの動きをまねて泳いでいました。

クジラの鳴き声について教えていただいたのは、美ら海水族館に併設された研究室で働く小林希実さんです。
学生時代から動物の鳴き声を研究し続けていて、今はクジラを専門にしています。

朝から夕方まで船にのってクジラの鳴き声を収集するとても大変な作業。
それでも「これまで聞いたことない鳴き方をするクジラを見つけると興奮しますね!」
とクジラに向き合う姿を見せて頂きました。

特集2:収穫真っ盛り!サトウキビ最新事情
沖縄のしまくとぅばで「うーじ」とよばれるサトウキビは、収穫の最盛期を迎えています。荷台いっぱいにサトウキビを積み込んだトラックが製糖工場に向かうようすは沖縄の冬の風物詩です。まず、生産が盛んな沖縄本島南部の八重瀬町を訪れました。
収穫をすべて手作業で行っているという、サトウキビ農家の野原和文さんは「サトウキビの収穫は力仕事ですね。肩に担いで運ぶので、全身の筋肉が痛くなる。後継者不足も危機的な状況です」と教えてくださりました。

<八重瀬町のサトウキビ畑と野原和文さん>
こうした中、県内で進むのがサトウキビ収穫の機械化です。
本島から東に360キロ、人口1200人あまりの南大東島では100%機械でサトウキビを収穫しています。

<サトウキビの収穫機>
重さ10トン余りにおよぶ巨大な収穫機、ハーベスターが刈り取ります。
運転席にお邪魔すると・・・

なんと!運転手さんがハンドルから手を離しています。
今シーズンから、自動運転による収穫の実証実験が始まりました。
島内に4か所設けた基地局からの電波を使って位置を修正し、事前に入力したルートを数センチ以内の誤差で走ることができます。
島内で農業法人を立ち上げた金川均さんは「ITを活用した“スマート農業”がうまくいけば面白くて楽しい農業ができると思う。若い人も農業をやるような気持ちになって、活力が出るのではないか」と話していました。
本格的な活用にはまだ時間がかかりそうですが、農家の高齢化による人手不足が深刻な中、時代のニーズにあった取り組みだと感じました。

<左から竜田理史アナウンサー、黒糖をかじる志ぃさーさん、池間昌人アナウンサー>
番組中に紹介した曲
♪安室奈美恵「HERO」
♪沖縄民謡「汗水節」
♪ARIAN ASIA(Ryukyu Rock Violin)「島人ぬ宝」 アレンジバージョン
♪森山良子「さとうきび畑」
2019年11月号
はいたい!みなさん、はじめまして!
NHK沖縄放送局アナウンサーの荒木さくらです。
特集1:離島フェアリポート!
今年で31回目を迎えた「離島フェア」。沖縄本島に18の離島市町村が大集合!
離島が一堂に会するこのイベントは、県民のみなさんにとっては毎年楽しみにしている催しとのこと。
さっそく私も行ってきました!

フェアに行った当日(16日)は、晴天!11月とは思えない、汗ばむ気候でした。

番組で志ぃさーさんがおいしそうに頬張っていた、粟国島のもちきび生麺!
粟国島は、那覇泊港よりフェリーでおよそ2時間です。
「離島フェア2019」で優良特産品、優秀賞を受賞したこちらの麺には、「マージン」とも呼ばれる「もちきび」というイネ科の植物が練りこまれています。

特設ステージでは、島じまの芸能を観ることもできました!


つづいては慶良間太鼓。パフォーマンスにも力を入れていました!
1日で沖縄の島じまを巡る、プチ旅行をした気分になりました!
特集2:火災から1か月 首里城への人々の思い

10月31日、火災により焼失した首里城についてです。首里城をめぐる動き、沖縄県民にとって首里城とはどのような存在だったかなど、琉球史研究家の賀数仁然さんと一緒に考えました。
賀数さんは、県民に悲しみが広がる理由について「沖縄戦で焼けてしまった首里城の再建は、かつてコンプレックスを持っていたウチナーンチュが、平成になり、どんどん自信を持っていった1つの象徴だった。その存在を失ってしまったからだ」と分析します。志ぃさーさんも「本土復帰して、芸能やスポーツが認められていく中で、首里城が出来たときには心のシンボルが出来た気持ちだった」と話していました。

番組内では、首里城を舞台にした小説「テンペスト」の作者、小説家の池上永一さんへのインタビューも放送しました。「テンペストは立派な首里城にふさわしいソフトウェア(物語)が必要だと思って書きました。新しい城が再建されたときには、また新しい物語でお祝いしてあげるべきだと思うので、その時は書きます」と話されていました。
再建までには長い時間がかかるでしょうが、首里城のことを忘れずにいたいと思います。

土橋大記アナウンサー、荒木さくらアナウンサー、賀数仁然さん、志ぃさーさん
次回は、来年、2020年の1月31日(金)の放送です。
みなさん、良いお年を!
番組中に紹介した曲
♪DIAMANTES「HASTA MANHA」
♪金城恵子「ヒヤミカチ節」
※過去12か月分を掲載しています。