2021年10月18日(月)~11月26日(金)の予定

岡本綺堂「半七捕物帳」

江戸の岡っ引き・半七が奇怪な事件に挑む「半七捕物帳」は、岡本綺堂がシャーロック・ホームズをモデルに作り上げた連作推理小説で、大正6年(1917年)に第1話「お文の魂」が発表されると、生き生きとした江戸の風物や迷信深い世相、人情味あふれる謎解きでたちまち大衆の心をつかみ、以後昭和12年(1937年)まで20年間にわたって全68話が発表された。捕物帳は人気を呼び、半七以後も野村胡堂の「銭形平次」や横溝正史の「人形佐七」など、数々のシリーズが誕生した。今回は捕物帳の元祖「半七捕物帳」から5作品を朗読する。秋の夜長、半七とともに、江戸八百八町にひそむ謎を解き明かしていただきたい。


【新作】岡本綺堂「半七捕物帳」 (全30回)
テキスト:「半七捕物帳」(一)令和元年(2019年)、(二)平成21年(2009年)光文社
朗読: 篠田三郎(俳優)

(1)「お文の魂」(おふみのたましい)全5回 
旗本の奥方と幼子を悩ませる幽霊の正体とは? 実際にあった住職の密通事件をヒントにした話。
(2)「石灯籠」(いしどうろう)全5回 
商家の女主人が殺害された。犯人は娘か? 背後の人間関係から真犯人をあぶり出し変装も見破る。
(3)「お化け師匠」(おばけししょう)全5回 
踊りの師匠が絞殺された。犯人は蛇か? 江戸で流行したマムシ除けの護符から犯人を追い詰める。
(4)「奥女中」(おくじょちゅう)全5回 
御殿女中が茶屋を訪れ、そこの娘を屋敷にもらい受けたいと言う。その意図は? 大名家の事情に迫る。
(5)「津の国屋」(つのくにや)全10回 
長女の急死や女房のケガなど、不幸続きで主人は気力を無くし、次女の周囲では謎の娘の影がちらつく。災いは邪険に扱われて自殺した養女のたたりか? 悪党一味の身代横領という大がかりな悪計を暴く。

<岡本綺堂>
明治5年(1872年)東京生まれ。イギリス公使館に勤めていた旧幕臣の長男で、幼い頃から歌舞伎に親しみ、漢詩や英語を学ぶ。明治23年(1890年)18歳で東京日日新聞に入社。以来、新聞記者の傍ら劇評や小説を発表し、文筆家としても活躍。明治後期から昭和初期に注目を浴びた新歌舞伎の劇作家としても名をはせた。晩年は多くの小説を発表。大正6年(1917年)45歳の時から昭和12年(1937年)65歳の時まで書き続けた「半七捕物帳」は代表作となった。昭和14年(1939年)3月に66歳で死去。

2021年9月13日~10月15日の予定

「柳田国男の故郷七十年」

日本民俗学を確立し、日本各地での聞き取りをもとに習俗や言い伝えを記録した柳田国男は、「後狩詞記」「遠野物語」「海南小記」「山の人生」「海上の道」など、郷土研究の成果を多くの著作に著した。「遠野物語」は、東日本大震災時に三陸大津波の記述が再び引用され、今も輝きを失わない。柳田国男は、晩年に自分の生い立ちから学問遍歴と民俗学への動機を語り「故郷七十年」にまとめている。明治、大正、昭和にわたる日本の地域の歴史、日本人のものの考え方、柳田国男の考えのもとを記した「故郷七十年」を朗読する。「故郷を離れたころ」「母の思い出に」や茨城・布川時代の「ある神秘な暗示」など、感受性の原点がつづられた自伝的エッセイである。


【アンコール】「柳田国男の故郷七十年」(全25回)
テキスト:「柳田国男の故郷七十年」PHP研究所 平成26年(2014年)
朗 読 : 小久保丈二(俳優)

昭和33年、神戸新聞に連載された「故郷七十年」は柳田国男の80歳を超えてからの回顧談で、故郷の兵庫県神東郡田原村辻川(現兵庫県神崎郡福崎町西田原字辻川)を離れてから70年余の道のりが語られる。生家、母への思い、親族のこと、利根川のほとりでの思春期のころ、東京への旅や印象、若き時代の文学の思い出、森鴎外の家に出入りしたこと、田山花袋、尾崎紅葉、島崎藤村らとの交友、民俗学に取り組んだ各地での聞き取りの経験などが豊富に述べられている。

<柳田国男>
明治8年(1875年)、兵庫県神東郡田原村辻川に生まれる。東京帝国大学法科大学卒業。農商務省に勤務。明治34年(1901年)、柳田直平の養子となる。法制局参事官、貴族院書記官長を歴任後、官界を去り、晩年まで民俗学を中心とする研究に従事。幼少年期から詩文をよくし博覧強記であった。田山花袋、島崎藤村らと交わり自然主義文学にも関心をもったが、明治42年(1909年)の「後狩詞記」後、次々と民俗学研究における業績を上げ、また研究者の組織化と指導に努めた。「遠野物語」「海南小記」「海上の道」など。昭和37年(1962年)没(87歳)。


2021年8月16日~9月10日の予定

武者小路実篤 「友情」

大正8年(1919年)、新聞連載として始まり翌年刊行された武者小路実篤の初期の小説。大正デモクラシーの自由な気運が高まる中で人間を肯定し理想主義を掲げた「白樺派」の作品らしく、男女3人の友情と恋愛の三角関係がストレートな心理描写で描かれている。大多数の人々がお見合い結婚であった当時、自由恋愛や失恋とはどのようなものか指南書の役割を果たしたともいわれ、リアルな心理描写が若者たちの共感を呼んで100年にわたって読み継がれてきた。


【新作】「友情」(全20回)
朗読:田中宏樹(俳優)
テキスト:「友情」 令和元年(2019年)岩波文庫

主人公は23歳の駆け出しの脚本家・野島。3歳年上の新進気鋭の小説家・大宮と厚い友情で結ばれ、創作面でも互いに刺激しあっていた。しかし、友人の妹で美しく聡明な杉子の存在が2人の関係を複雑なものにしていく。野島は杉子に、杉子は大宮に思いを寄せ、大宮もしだいに杉子に惹かれるが、その思いを断つかのようにある日パリに旅立つ。その後、野島は杉子に求婚するがはっきり断られてしまう。大宮からの手紙には謝罪の言葉と、彼が書いた小説を読めばすべてわかると記されていた。


<武者小路実篤> 
明治18年(1885年)東京生まれ。子爵家の末子。学習院初等科~高等学科を経て、東京帝国大学哲学科に入学するが、執筆活動に熱中して中退。明治43年(1910年)25歳の時に志賀直哉や有島武郎などと文芸誌「白樺」を創刊する。人道主義や個性尊重を唱えた「白樺」は大正デモクラシーの自由な風潮とマッチして一躍、文壇の主流となり、その中心だった実篤をはじめ、同人メンバーは白樺派と呼ばれて人気を博した。代表作は「お目出たき人」「友情」「愛と死」「真理先生」など。小説家の他、詩人・劇作家・画家としても活躍した実篤は、一貫して人生の讃美・人間愛を語り続け、昭和26年(1951年)66歳の時に文化勲章を受章した。昭和51年(1976年)90歳で死去。


2021年7月12日~8月13日の予定

「室生犀星作品集」

「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」…室生犀星の代表的な詩の一節で、詩人として身を立てようと上京した若き日の犀星が、ふるさと金沢への思いを断ち切らんとする切なさを表現したものである。この詩とほぼ同じ時期に雑誌に掲載された初期の小説は、室生本人を主人公に当時の彼の実生活や心のささいな動きを、言わば詩人の目で描いた純朴な叙情性にあふれている。室生犀星の自伝的三部作と呼ばれる初期小説から「或る少女の死まで」「性に眼覚める頃」を朗読する。


【新作】「性に眼覚める頃」/「或る少女の死まで」
朗読 : 谷川俊(俳優)
テキスト
:「或る少女の死まで 他二編」岩波文庫 2003年(平成15年)改版〔1952年初版〕

「性に眼覚める頃」(全12回)
1919年(大正8年)中央公論に掲載された初期中編小説。寺の子として育った「私=室生犀星」の「性」の目覚めと葛藤を描いた作品。

「或る少女の死まで」(全13回)
1919年(大正8年)中央公論に掲載された初期中編小説。私生児として生まれた室生犀星が、その複雑な生い立ち故に、小さな命、弱い者を慈しむ心を何よりも大切に感じていることがうかがえる作品。

<室生犀星>
1889年(明治22年)石川県金沢市生まれ。高等小学校を中退して12歳で働き始めるなか俳句の手ほどきを受け、やがて詩、短歌にも親しむようになる。文学への思いを募らせて20歳で単身上京。生活苦に幾度も帰郷・上京を繰り返しながらも創作を続け、1918年(大正7年)に「愛の詩集」「抒情小曲集」を自費出版。瞬く間に大正詩壇において確固たる地位を築いた。さらに小説家としても活躍。その作風は叙情的な初期作品から、新しい境地を求めた実験的ともいえる晩年の作品まで多岐に亘る。1962年(昭和37年)没。

2021年6月7日~7月9日の予定

「太宰治作品集」

没後70余年を経ても、多くの文学愛好者に足跡を残している太宰治。その彼を偲ぶ『桜桃忌』(6月19日)がやってくる。太宰ファンはこの日を忘れない。幼少のころから生涯を通して、人として、作家として、夫、父、社会人として、苦悩・懊悩し破天荒な人生を送った太宰治。「ヴィヨンの妻」「斜陽」「人間失格」など多くの作品を残したが、今回はおなじみの「走れメロス」や創作作品集『晩年』より「思い出」他を朗読する。


【新作】「太宰治作品集」全25回
朗読 : 高山春夫(俳優)、秋元紀子(俳優)
テキスト :「晩年」新潮文庫(1947年)、「走れメロス」「富嶽百景」岩波文庫(1957年)、「ヴィヨンの妻」新潮文庫(1950年)

「晩年」より『思い出』(全10回)
昭和8年に同人雑誌「海豹」に発表された作者の幼年期、少年期を書いた自伝的小説で「晩年」の中心をなす作品。

『走れメロス』(全3回)
ギリシャの古伝説シラーの詩から題材をとっている。「メロスは激怒した」と王様への反抗から始まり、正義と人間の信頼関係と友情の美しさが力強く描かれ、太宰文学の明るい健康的な面を代表する短編。

『富嶽百景』(全4回)
甲州の天下茶屋にこもり自己を立て直そうとした時期を描いた太宰の自伝的小説。師匠の井伏鱒二の媒酌で結婚した後の第一作で気魄に満ちていて、日本文学の中でも稀な名文章といわれている。

『ヴィヨンの妻』(全6回)
飲み屋の借金を踏み倒した放蕩作家の亭主に代わり、妻がそこで働くことに・・最後にどんでん返しがある。太宰が得意とする女性の文体で語られ、細部の言葉や描写が味わい深い。

「晩年」より『列車』(1回)
昭和8年に太宰治の筆名で発表された最初の作品。書き出しの列車の描写が新感覚派的。

「晩年」より『盗賊』(1回)
「逆行」は昭和10年に発表された4編からなる小品集で、第一回芥川賞の次点作。

<太宰治>
1909年6月青森県生まれ、本名津島修治。裕福な家庭に育つが・・青森中在学中のころから作家を志望、創作活動を始める。弘前高校在学中に芥川龍之介の自殺に大きな衝撃を受ける。1929年に自殺を図る。30年東大に進むが、11月湘南・江の島で心中未遂事件を起こし、その後も重ねて自殺を図る。1935年「逆行」は芥川賞を逃し次点、36年「晩年」を刊行。38年結婚、家庭を設け父となり執筆に励むが、1948年に「人間失格」執筆後、6月13日愛人と入水自殺、38歳、発見された6月19日は、奇しくも太宰39歳の誕生日で今も「桜桃忌」として太宰ファンに供養される。


2021年3月29日~6月4日の予定

有吉佐和子「紀ノ川」

戦前から戦後へ、変わりゆく日本を鋭く描写した有吉佐和子。

「恍惚の人」「複合汚染」など社会派の印象が強い有吉だが、事実上のデビュー作は故郷の紀州・和歌山を舞台に、昭和34年(1959年)28歳の時に発表した長編小説「紀ノ川」で、これは母方の家系(祖母・娘・孫)をモデルにした自伝的作品でもある。流麗な文体で、小説家としての地位を確固とした作品であり、有吉自身をも彷彿とさせる人物の登場で話題を呼んだ。今回はその貴重な作品を50回で朗読する。


【新作】「紀ノ川」(全50回)
朗読 : 藤田三保子(俳優)
テキスト:「紀ノ川」平成28年(2016年)新潮文庫

<生誕90年> 有吉佐和子 「紀ノ川」(全50回)

登場人物は、大地を悠々と流れる紀ノ川のように、たくましくしなやかに生きる女たち。明治期に紀州の旧家に生まれ育った花を中心に、その娘の文緒、花の孫で戦後世代の華子と紡いでいく物語は、明治・大正・昭和と移り変わる時代にのまれることなく歩み続けた母子三代の人生を、たゆまず流れる川の流れに重ね合わせた叙情豊かな作品である。戦争や旧家の栄枯盛衰といった濁流の中で、もがき苦しみながらも母として妻として「家」と共に生きる彼女たち。社会モラルの変化で多くを失っても泰然と命をつないで行く女たちの姿を通して、今こそ生き抜く強さを伝えたい。

<有吉佐和子>
昭和6年(1931年)、和歌山生まれ。東京女子大学短期大学部英語学科卒業。学生時代から執筆活動を展開し、昭和31年(1956年)25歳の時に「地唄」が芥川賞候補となる。この作品で脚光を浴び、翌年は「白い扇」が直木賞候補。そして昭和34年(1959年)28歳の時に発表した、自身の母方の家系をモデルとした長編「紀ノ川」で小説家としての地位を確立した。代表作は故郷の紀州を舞台にした年代記「紀ノ川」「有田川」「日高川」の三部作、一外科医のために献身する嫁姑の葛藤を描いた「華岡青洲の妻」、老いの問題を直視した『恍惚の人』、公害問題を取り上げて自然と生命の危機を問うた『複合汚染』など。高度成長期の光と影を理知的な視点で捉えたストーリーテラーが織りなす悲喜交々の人間模様は大きな反響を呼んだが、昭和59年(1984年)53歳の時に心不全で急逝。

2021年1月4日~3月26日の予定

「谷崎潤一郎作品集」

華麗な文体、変幻自在の語り口、独特の美意識に彩られた作風のため、今も多くの愛読者が絶えない文豪谷崎潤一郎の作品「痴人の愛」は、人間の業ともいうべきエロティシズムに正面切って挑んだ小説として知られる。谷崎潤一郎がこの小説を著したのは、関東大震災の直後、世間が未曾有の災害の後遺症に苦しむ最中の事である。この谷崎潤一郎の耽美主義が発揮された代表作を全49回に亘って朗読する。併せて、谷崎の初期の短編「秘密」、「二人の稚児」を計12回に亘って朗読する。


【新作】「痴人の愛」全49回/「秘密」全6回/「二人の稚児」全6回
朗読 : 山像かおり(俳優)
テキスト :「痴人の愛」角川文庫 令和2年改訂版 (1952年初版)/「秘密」「二人の稚児」二篇とも「刺青・秘密」新潮文庫 令和2年改訂版 (1969年発行)

「痴人の愛」全49回
「痴人の愛」は谷崎潤一郎の長編小説で、1924年(大正13年)大阪朝日新聞に連載、一旦中断後、雑誌「女性」に翌1925年(大正14年)掲載、同年7月改造社から刊行された。全28章からなる。
電機技師、河合譲治は、女性経験のない真面目一徹の青年。その河合が、カフェで出会った美少女ナオミに惚れ込み、理想の女性に育てるため同居を申し出る。我儘で性的に奔放な娘へ変貌するナオミに失望しながらも、その魔性に溺れてしまう河合。この小説は、その河合の狂おしいまでの愛の記録である。一人称の告白体という話法が取り入れらており、谷崎本人も一種の私小説であると認めている。しかし、この小説は、一路破滅へと突き進む主人公の告白を語って見せたという点において、当時の文壇の風潮の中で、極めて独創性に満ちた作品。

「秘密」全6回 (第6回の後半は、次作と重なります。)
明治44年、中央公論に掲載。日常生活に飽きてしまった男が、女装して町に繰り出したり、昔の女の秘密の住居を、目隠しをしたまま捜し出したりする物語。

「二人の稚児」全6回
大正7年、中央公論に掲載。平安時代、比叡山にて幼少の頃より、修行のため女性の存在を知らされずに育てられた二人の少年が、思春期を迎えて悩み苦しむ物語。

<谷崎潤一郎>
1886年(明治19年)東京生まれ。東京帝国大学(現東京大学)中退。1909年(明治42年)小説「刺青」を発表。初期は耽美主義の一派とされ、スキャンダラスな文脈で語られることが少なくないが、その作風や題材、文体は生涯にわたって様々に変遷した。1923年(大正12年)の関東大震災を機に関西へ移住するも、その後も第二次世界大戦後の昭和中期まで、終生旺盛な執筆活動を続け、国内外でその作品の芸術性が高い評価を得た。 1965年(昭和40年)没。


2020年12月31日~2021年1月3日の予定

山田風太郎「あと千回の晩飯」

超高齢化社会と言われ、人生100歳時代とも言われ始めた2020年はコロナ禍の一年でもあった…

そこでこの難しい状況での年末年始「朗読特集」は、老いを笑い飛ばした痛快エッセイを朗読する。奇想天外な「忍法帖」シリーズで一世を風靡した山田風太郎が72歳の時に書き始めたエッセイは、『いろいろな兆候から、晩飯を食うのもあと千回くらいなものだろうと思う』という一文から始まり、自分の体の変調から並ではない飲酒癖や喫煙癖、消えざる戦争の記憶などを、まるで他人事のようにノンビリと語っている。
自分の余命を計算する状況になった山田風太郎が、生きること、老いること、死ぬことを独創的に、かつユーモラスにつづった「ヤマ風節」全開のエッセイ集、その中に散りばめられた言葉は、「終活」以上の輝きで、未知なる道を明るく照らしてくれることだろう。


【朗読特集】山田風太郎「あと千回の晩飯」

朗読 : 中原丈雄(俳優)
テキスト:山田風太郎「あと千回の晩飯」1997年 朝日新聞社

<山田風太郎>
大正11年(1922年)兵庫県生まれ。代々医者の家系だが、5歳で父親が病死、14歳で母親が病死。苦学して昭和19年(1944年)22歳の時に現・東京医科大学へ進学するが、戦争中は勉強もままならず、読書が心の支えとなる。そして在学中に懸賞小説で入選。江戸川乱歩に認められ、次々と推理小説を発表し始める。大学卒業後は、医者にはならず作家の道へ進み、昭和33年(1958年)36歳の時から書き始めた「忍法帖」シリーズで風太郎ワールドを確立。「忍法帖」シリーズは1960年代のベストセラーとなり、一大ブームとなった。その後は戦中戦後の記録「戦中派不戦日記」やノンフィクション「人間臨終図巻」など、小説以外のジャンルでも注目され、平成9年(1997年)75歳の時に刊行したエッセイ集「あと千回の晩飯」も話題を呼ぶ。同年、菊池寛賞を受章。平成12年、日本ミステリー文学大賞を受賞。平成13年(2001年)79歳で死去。


2020年10月12日~12月30日の予定

夏目漱石 「三四郎」「永日小品」

今も老若男女に読まれ続けている我が国を代表する文豪、夏目漱石の前期三部作の中から、執筆されてすでに一世紀以上を経た代表的な作品の一つ。九州から大学進学のため上京した純真無垢な青年の生活模様を描いた青春小説「三四郎」を全52回に渡って朗読する。
併せて、漱石の小品集「永日小品」から6回分を朗読の予定。


【新作】【再放送】「三四郎」(全52回)/「永日小品」(全6回)
※既放送分25本を11月13日(金)まで再放送。残り新作33本を11月16日(月)~12月30日(水)で放送。
朗読 : 押切英希(俳優)
テキスト:「三四郎」岩波文庫 1938年初版の2019年発行版/「夢十夜他二篇」岩波文庫 1986年発行版

「三四郎」(全52回)
「三四郎」は夏目漱石の長編小説で、1908年(明治41年)朝日新聞に連載、翌年5月に春陽堂から刊行された。「それから」「門」へと続く前期三部作の一つで、全13章からなる。
九州の田舎(現在の福岡県、旧豊前)から学業のために上京してきた青年、小川三四郎が都会で多くの人々に出会い、恋愛模様や様々な経験を経て成長していく姿が描かれている。
三四郎は周囲の人々を通じて、当時の日本の状況を批評的に描いた漱石自身の分身という側面もあるが、三人称で綴られた小説である。視線は主人公の三四郎に寄り添い、時には三四郎の内面に入る。「stray sheep」という随所に出てくる言葉に象徴されるように、一見爽やかに見えるが人間の内面を鋭く、批評的に描いている作品である。

「永日小品」(全6回)
「永日小品」は、「三四郎」ののち「それから」が連載されるまでの間、25編の小品として1909年(明治42年)朝日新聞に掲載され、その翌年に出版された。

<夏目漱石>
1867年(慶應3年1月)江戸生まれ。1916年(大正5年12月没)。東京帝国大学(現東京大学)卒業後、松山で中学の教師、熊本五高で講師、その後イギリスに留学、帰国して東京帝国大学で英文学を講じながら「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「倫敦塔」などを書いて評判になり、その後、朝日新聞に入社、「虞美人草」「三四郎」などを執筆。当初は余裕派と呼ばれ、大患後「行人」「こころ」「硝子戸の中」などを著し『則天去私』の境地に達したといわれる。長く胃病や神経衰弱に悩まされる中、前期3部作「三四郎」「それから」「門」、後期3部作「彼岸過迄」「行人」「こころ」を始め多くの作品を残し1916年(大正5年)に49歳で他界した。

2020年8月31日~10月9日の予定

「森鴎外作品集」

近代日本を代表する文豪・森鴎外は、小説家・戯曲家・評論家・翻訳家・陸軍軍医と、いくつもの顔をもつことでも知られる。明治期に軍医として5年ほどドイツへ留学した鴎外は帰国後、多くの外国文学を翻訳して紹介し、また自身も小説を執筆して発表するなど、日本の近代文学の発展に貢献した。その文学的才能が、もっとも花開いたのは陸軍軍医総監を務めていた45歳~54歳の頃で、この間、明治40年(1907年)~大正5年(1916年)は鴎外の「豊熟の時代」ともいわれている。今回はその豊熟期の作品から女性の心理が深く描かれた3作品を紹介する。


【新作】「森鴎外作品集」(全30回)
朗読 : 外園ゆう(俳優)
テキスト:『雁』 森鴎外全集4 平成7年(1995年)ちくま文庫、『最後の一句』『山椒大夫』 森鴎外全集5 平成7年(1995年)ちくま文庫

『最後の一句』大正4年(1915年)全3回
父の死罪を知った16歳の娘が、代わりに自分の命を捧げると奉行に嘆願する、健気で一途な少女の献身。

『山椒大夫』(さんしょうだゆう)大正4年(1915年)全7回
姉弟は母と離され人買いに売られるが姉が身を捨てて弟を逃がす、安寿と厨子王で知られる苦難の物語。

『雁』(がん)明治44年(1911年)~大正2年(1913年)全20回
高利貸しの妾・お玉の恋心が雁の死にまつわる出来事で泡と消える。運命のいたずらが織りなす悲恋模様。

<森鴎外>
文久2年(1862年)津和野藩の典医を務める森家の長男として生まれ、10歳の時に父親と上京。
ドイツ語を学び、東京大学予科に最年少で入学する。大学では医学を学び、卒業後は軍医の道へ。明治17年(1884年)からは軍の衛生学の調査・研究のためドイツへ留学し、帰国後は軍医を務めながら、小説「舞姫」「雁」「山椒大夫」「高瀬舟」、史伝小説「渋江抽斉」(しぶえちゅうさい)などを執筆。医学・文学の評論や小説・戯曲などの翻訳、ヨーロッパ文学の紹介などを行ない、明治を代表する知識人として活躍した。明治40年(1907年)には陸軍軍医総監・陸軍省医務局長に就任し、大正5年(1916年)まで務めた。陸軍を退職した後は帝室博物館総長を務めるなど、亡くなる直前まで仕事を続け、大正11年(1922年)に60歳で死去。


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