2019年12月30日~2020年1月3日の予定

「寺田寅彦(“非科学的随筆記録”)災害随筆集」

大正から昭和初期(戦前)にかけて活躍した物理学者・寺田寅彦(1878-1935)は同時に夏目漱石と親交のある随筆家であり、俳人でもあった。その寺田寅彦が遺した災害をめぐる著{随筆}は東日本大震災を経験した今あらためて注目され、共感を呼んでいる。今回は「天災と国防」(1934)など書かれてから80年近くになる今も自然と人間を見る目の確かさを失わない随筆を選び、朗読する。「非科学的随筆記録」の言葉は、「静岡地震被害見学記」(1935)に記している。


【朗読・選】「寺田寅彦災害随筆集」全5回
朗読 : 有川博(円企画)
テキスト : 「天災と国防」(講談社学術文庫 2011 平成23年発行)

(1)『災難雑考』1
(2)『災難雑考』2
(3)『災難雑考』3
(4)『震災日記』
(5)『小爆発二件』


2019年11月18日~12月27日の予定

「太宰治短編集」

今年、生誕110年となる太宰治。人気絶頂期に玉川上水で心中という衝撃的な最期を遂げた太宰は、死後71年たった今も不動の人気を誇る。生きづらさを抱えながら、常に思い悩み、その弱さや哀しさなどもさらけ出して書き続けた太宰の作品には自身を投影したものも多いが、それらの作品に散りばめられた太宰の心情への共感が、読み継がれる最大の理由といえるだろう。そうした作品の中から、今回は太宰がもっとも得意とした女性の独白体小説を10編選んで朗読する。太宰が「このヒロインは僕だよ」という『燈籠』、大人への階段をのぼる少女の多感で透明な気持ちをつづった『女生徒』、名声を得ることで破局を迎えた画家夫婦の内面を妻が独白する『きりぎりす』、心中した夫の遺体を引き取りに行く妻を描いた『おさん』など、波乱万丈の生涯、そのときどきの太宰の心の機微が浮かび上がる秀作を、ときにはあどけない少女の目線で、ときには結婚に揺れる女性の目線で、ときには子どもの将来を背負った母の目線で、俳優・石田ひかりが朗読し、太宰の複雑かつ繊細な感性と、その世界観を味わいたい。

【新作】「太宰治短編集」全30回
朗読 : 石田ひかり(俳優)
テキスト : 太宰治「女生徒」2018年 角川文庫

『皮膚と心』昭和14年(1939年)28歳の妻の胸にできた吹出物をめぐる、あたたかな夫婦のやりとり。全4回
『雪の夜の話』昭和19年(1944年)戦時中、兄夫婦と暮らす少女が妊婦の兄嫁に見せる健気な優しさ。 全1回
『誰も知らぬ』昭和15年(1940年)41歳の人妻が23年前の春の夜に感じた恋の衝動を打ち明ける。 全2回
『きりぎりす』昭和15年(1940年)出世を機に俗物と化した画家の夫と別れる決意をした妻の潔癖さ。 全3回
『千代女』昭和16年(1941年)18歳の少女が自分の小説が世に出たことを機に激変する周囲に戸惑う。全3回
『恥』昭和17年(1942年)小説のモデルにされたと思う女性ファンと、それを否定する作家の探りあい。全2回
『おさん』昭和22年(1947年)妻と3人の子どもを残して心中した夫の遺体を引き取りにいく妻の心中。全3回
『饗応夫人』昭和23年(1948年)亡夫の友人の無遠慮な振る舞いにも動じない、夫人の真の思いやり。 全2回
『燈籠』昭和12年(1937年)たった一度の万引きで変わった世間の目に戸惑う24歳の女性のゆらぎ。 全2回
『女生徒』昭和14年(1939年)とある女生徒の一日、大人になる一歩手前の乙女の気持ちが揺れ動く。 全8回

<太宰治>
明治42年(1909年)津軽(青森県)生まれ。家は旧家で大地主。母親が病弱だったため乳母に育てられる。東京帝国大学文学部仏文科在学中に非合法運動に従事。一方、心中事件も起こすなど警察沙汰が続いて大学は除籍となる。やがて転向し、本格的な執筆活動に入るが、病気療養中に処方された鎮痛剤を機に薬物依存症となる。30歳で結婚後はいったん落ち着き、新進作家としての地位も定まるが、やはり薬物依存や女性問題の悩みは尽きず、昭和23年(1948年)に入水心中。自殺・心中未遂を繰り返した太宰は5度目で死に至り、遺体が発見されたのは奇しくも39歳の誕生日にあたる6月19日であった。


2019年10月21日~11月15日の予定

「山本周五郎短編作品集」

人間の心のひだを巧みに描き、人情味あふれた作品を数多く残した作家、山本周五郎の短編作品を20回にわたって朗読する。
山本周五郎は、大河ドラマで放送された「樅の木は残った」、黒澤明監督が映画化した「赤ひげ診療譚」、「さぶ」などの大作でよく知られるが、同時に短編の名手でもある。最初の1ページで読者を時代劇の世界に誘い、そしてハラハラドキドキさせる展開、さらにエンディングのどんでん返しが周五郎作品ならではの面白さである。
今回のシリーズでは、江戸庶民の日々の暮らしとその哀歓を描いた作品、さらに「樅の木は残った」のもとになったといわれる作品「晩秋」を紹介する。


「山本周五郎短編作品集」全20回
朗読 : 亀田佳明(俳優)
テキスト :『晩秋』「山本周五郎名品館I~おたふく」より~文春文庫 2018年発行、『人情裏長屋』「人情裏長屋」より~新潮文庫 1980年発行、『肌匂う』「花杖記」より~新潮文庫 1981年発行、『こんち午の日』「江戸味わい帖~料理人篇」より~角川春樹事務所 2015年発行

『晩秋』津留という娘が、父の敵とねらう藩主の御用人に仕えることになり・・
『人情裏長屋』長屋の人たちと一緒に暮らしている武士が、ある日赤ん坊を預かることになり・・・笑いあり涙ありの人情話
『肌匂う』男を惑わす女の忘れ難き色香
『こんち午の日』婿として入った家を必死に守る愚直な男の生き方を描く

<山本周五郎>
1903年~1967年。山梨県北都留郡初狩村(いまの大月市)生まれ。
土砂崩れで生家ばかりか、祖父母など肉親4人を失い、上京していた父のもとに転居。横浜の小学校3年生のとき、担任に文才を認められ、「小説家になれ」と云われたことがきっかけで小説家を志した。小学校を卒業後、東京の質屋の徒弟になり、英語学校や簿記学校に通いながら文学の勉強を続けた。1926年「須磨寺附近」で文壇デビュー。上記で紹介した大作に加え、「小説 日本婦道記」(直木賞に推されたが辞退)や「青べか物語」、「季節のない街」なども周五郎を代表する作品である。


2019年9月16日~10月18日の予定

【アンコール】「永井荷風の浅草」「芥川龍之介短編作品集」

「永井荷風の浅草」
今から約100年前の大正6年(1917年)に浅草でオペラが流行した。その舞台に魅了され、浅草オペラ館に通い詰めたのが永井荷風である。オペラ作家に憧れた荷風が58歳にして、その夢を叶えた時に書いたエッセイから6編を朗読する。

「芥川龍之介短編作品集」
芥川龍之介の短編作品の中から6編をセレクトして朗読する。

「永井荷風の浅草」全20回
朗読 : 鵜澤秀行(俳優)
テキスト :「荷風全集」17、18、19巻 岩波書店1994年


「芥川龍之介短編作品集」全5回
朗読 : 榊寿之(日本語センター)
テキスト :「鼻」1990年 岩波文庫、「蜘蛛の糸」「孔雀」1960年 岩波文庫、「尾生の宿」「沼地」「蜜柑」1999年 角川文庫

『永井荷風の浅草』
「歌劇 葛飾(かつしか)情話(じょうわ)の上演について」昭和13年 夢を叶えたオペラ上演中に綴ったエッセイ。
「踊子(おどりこ)」昭和19年。私は劇場のバイオリン弾き。内縁の妻は踊子だ。その妹との同居を機に始まる歪んだ三角関係とその後の穏やかな後半生。
「勲章(くんしょう)」昭和17年。劇場に出入りする飯屋の爺さんは無口な出前持ち。日露戦争で勲章をもらっていたことが判明し、注目の的となるが・・
「草(くさ)紅葉(もみじ)」昭和和21年 東京大空襲後の浅草で昔の繁華を、そしてオペラ館で出会った人々を偲ぶエッセイ。
「心(こころ)づくし」昭和22年 浅草を中心に興行する劇団、その女優や俳優たちの恋模様を描いた小説。
「裸体(はだか)談義(だんぎ)」昭和24年 浅草の戦前オペラ~戦後メロドラマなど、時代と風俗の変遷を考察したエッセイ。

<永井荷風>
明治12年(1879年)12月3日、東京生まれ。高等商業学校(現一橋大学)附属外国語学校清語科中退。
昭和34年(1959年)4月30日没(79歳)。

『芥川龍之介短編作品集』
「鼻」大正5年発表。鼻長き僧の心理と欲望。
「沼地」大正5年発表。展覧会の画に魅入られる芸術家。
「尾生の信」大正9年発表。中国の故事に習い、女を待ち続ける男。
「蜘蛛の糸」大正7年発表。人間の利己欲を釈迦の哀れみの視点で描く。
「孔雀」発表時期不明。思い込みで思慮を失い、判断を誤る愚を、鳥の世界に例えた。
「蜜柑」大正8年発表。列車内で遭遇した少女の行動に本当の温かさを感じる。

<芥川龍之介>
明治25年(1892年)東京生まれ。東京帝国大学文学部卒。
昭和2年(1927年)没。


2019年7月29日~9月13日の予定

林芙美子著「浮雲」

昭和の初めから戦後にかけて、第一線で活躍し続けた女流作家・林芙美子の作品の中から、日本によるアジア侵攻や、戦時下と敗戦後の政治・社会の混沌の中で、木の葉のように揉まれながらも精一杯生きた一組の男女の生き様を描いた代表的長編作品「浮雲」を前編・後編にわたって全70回でお聴きいただく。

【放送予定】
前編   7月29日(月)~9月13日(金)
後編   2020年1月6日(月)~2月21日(金)

「浮雲」前編35回(全70回)
朗読 : 山像かおり(俳優)
テキスト :林芙美子「浮雲」新潮文庫(1953年、昭和28年発行)

1949年(昭和24年)に月刊誌に連載され、足掛け3年をかけて書き継いで完成した戦後の長編大作であり、林芙美子の執筆活動の晩年における、作品系列のなかでも重要な地位を占めている作品である。
物語は、アジア侵攻を推し進めた日本の支配下にある東南アジア・ダラット(ベトナム)にて、任地へ派遣された農林技官富岡と、時期を前後して同じく派遣された事務員ゆき子との出会いに始まる。戦後は日本へ引き揚げ、混乱の東京を彷徨う富岡と、遅れて復員し富岡を求めつつ必死に生きるゆき子を中心に、敗戦の混乱極める社会と、昭和という時代を背景にした人間の運命、生きる哀しみ、男と女のエゴイズムを浮き彫りにしながら、男女の双方の視点を活かして描いている。

<林芙美子>
1903年(明治36年)生まれ~1951年(昭和26年)没。現在の福岡県北九州市門司区の生まれ、(山口県下関の生まれとも)日本の小説家。1918年(大正7年)広島の尾道高女に入学する。1922年(大正11年)卒業すると恋人を追って上京するが、翌年婚約を破棄されて日記をつけ始めるようになり、これが、「放浪記」の原型となった。その後、画学生・手塚緑敏と出会ってから生活も安定し、1928年(昭和3年)に「女人芸術」に「放浪記」の連載を開始、1930年(昭和5年)には「放浪記」が出版されてベストセラーとなった。他の主な作品に「風琴と魚の町」「清貧の書」「牡蠣」「稲妻」など。戦後、売れっ子作家として活動する多忙のさなか、1951年6月体調を崩し、(47歳の若さで)急逝した。
※出生年・出生地には二説有ります


2019年6月3日~7月26日の予定

「満鉄外史」

「満鉄」すなわち南満洲鉄道株式会社とは、日露戦争の終結時に結ばれたポーツマス条約(日露講和条約)で長春以南の鉄道権を得た日本が明治39年(1906年)に設立した半官半民の鉄道会社のことである。

今年は「満鉄」初代総裁・後藤新平<安政4年(1857年)~昭和4年(1929年)>の死後90年にあたる。NHKの初代総裁や、関東大震災から東京を復興させた立役者としても名を残す後藤新平が「満鉄」にかけた思いとは何か?

菊地寛は後の大東亜共栄圏を夢見、突き進んでゆく首脳陣や鉄道マンをドキュメントタッチに追い、日露戦争の終結から太平洋戦争前夜までの日本の進んでいった道を浮き彫りにしている。

明治39年、日本は関東州(旅順・大連とその付帯地域)を管轄し、ロジスティックの大動脈「満鉄」を保護する機関として関東都督府(かんとうととくふ)を設置するなど、着々と新たに得た中国東北部の植民政策を遂行。しかしその内情は、日露戦争に勝利はしたものの経済的には疲弊し、藩閥政治も色濃く残るなど、露英米など各国の思惑も交錯し、日本は新たな戦争への道に駆り立てられてゆくことになる。

『満鉄外史』は文豪・菊池寛が満州新聞社の依頼により満鉄の歴史を書いた長編で、昭和17年から18年にかけて発表された。歴史書や社史では読むことができない正史の裏側が描かれている。

「満鉄」という言葉は知っているが、その実像を知らない人が増えている令和の世だからこそ、満鉄を軸に日露戦争から太平洋戦争までの歴史の連鎖を見つめ、登場人物たちのリアルな視点で戦争に至った道程を振り返る。

【新作】「満鉄外史」全40回
朗読 : 田中宏樹(俳優)
テキスト :菊池寛「満鉄外史」原書房(2011年)

<菊池寛>
明治21年(1888年)香川県生まれ。京都大学文学部英文科卒業。大正から昭和前期の文学界を代表する作家・劇作家。代表作は『忠直卿行状記』『恩讐の彼方に』『籐十郎の恋』『真珠夫人』、戯曲『父帰る』など。芥川龍之介と久米正雄は第一高等学校時代の同級生で、第3次・第4次『新思潮』(文芸誌)の同人仲間でもあった。作家活動以外でも、文藝春秋社の設立や、芥川賞・直木賞・菊池寛賞の創設、日本文藝家協会の設立など、作家の地位向上や著作権の擁護に貢献した。昭和23年(1948年)に59歳で死去。


2019年5月13日~5月31日の予定

「樋口一葉作品集」

5月から元号は令和となるが、日本社会は高度経済成長期からバブル景気、そして2度目の東京オリンピックへと世の流れは実に早く、日本人の考え方や男女の在り方、表現や伝達方法、そして言葉さえも変わりつつある。

そうした新たな時代の幕開けに、近代日本で女性として初めて作家を職業とした人物、樋口一葉を取り上げる。女性の地位が非常に低かった明治社会で、17歳の時に父を亡くした一葉は戸主となって一家を背負った。それは120年前の明治22年(1889年)、この頃に生活費を稼ぐために小説家を志したといわれ、その5年後に『大つごもり』で脚光を浴びた一葉は『たけくらべ』や『にごりえ』など、日本近代文学史上に残る名作を次々と発表。その勢いは一葉の命とともに途絶えた。しかしこの奇跡の14ヶ月に描かれた社会矛盾や女性に対する抑圧、不合理さに苦悩しながらも懸命に生きる弱者の姿は現代に通じるものがある。

江戸の残り香と文明開化の風薫る明治初頭、近代文学の夜明けを駆け抜けるように生きた樋口一葉。その世界観を和歌のように美しい文章と共に味わいたい。

【新作】「樋口一葉作品集」全15回
朗読 : 外園ゆう(俳優)
テキスト :「樋口一葉小説集」筑摩書房(菅聡子:編)(2005年)

『にごりえ』全5回 明治28年9月に雑誌「文芸倶楽部」に掲載された『たけくらべ』に並ぶ代表作。
『わかれ道』全2回 明治29年1月に雑誌「国民之友」に掲載された。
『たけくらべ』全8回 明治28年1月~29年1月にかけて雑誌「文学界」に断続的に連載された代表作。

<樋口一葉>
明治5年(1872年)東京生まれ。幼い頃から読書に夢中で学問を好むが「女子に学問は不要」という母の反対で女学校への進学を断念。しかし父の意向で「萩の舎塾」へ入門、和歌や古典を学ぶ。八丁堀同心・東京府の役人・事業家など、職を変えて幕末維新期に一家を支えた父は、一葉の向学心を後援したが1889年に死去。17歳で家長となった一葉の暮らしは一変し、母妹との生活費を得ようと小説家を志す。そして作家の半井桃水に師事、1894年12月『大つごもり』で注目される。続いて『にごりえ』『十三夜』『たけくらべ』など文壇からも称賛されるが明治29年(1896年)11月、24歳の時に結核で死去。特に『たけくらべ』は森鴎外や幸田露伴にも絶賛され、『大つごもり』以降、亡くなる年の2月『裏紫』(未完)までの1年2ヶ月は文学上の充実期を迎えていた一葉をたたえ、奇跡の14ヶ月といわれる。


2019年4月1日~5月10日の予定

川端康成作品集「伊豆の踊子」「雪国」

我が国を代表する作家・川端康成は今年生誕120年、一高時代に執筆を始めて100年が経つ。
そして、日本人として初めてのノーベル文学賞を受賞(1968年)して50年が経ったいま、大正から昭和の我が国の文壇に大きな足跡を残した川端康成の名作の中から「伊豆の踊子」と「雪国」を朗読する。


川端康成作品集「伊豆の踊子」「雪国」全30回
朗読 : 常盤貴子(俳優)
テキスト :「伊豆の踊子」岩波文庫(1952年、昭和27年発行)
「雪国」岩波文庫(1952年、昭和27年発行)

『伊豆の踊子』(6回放送)
1926年(大正15年、昭和元年)27歳、1月に「伊豆の踊子」を『文芸時代』に連載。1927年(昭和2年)3月、「伊豆の踊子」を刊行。短編で初期の代表作。川端が一高時代に伊豆を旅した時の実体験をもとに書かれている。
孤独や憂鬱から逃れるために伊豆に旅した青年学生が旅芸人の一座と出会い、共に修善寺、湯ヶ島、天城峠を超えて下田に向かう。
とりわけその中の太鼓を受け持つ少女への印象を軸に、青年と家族で興行旅を続ける一行との交流を伊豆の風景をバックに叙情豊かに描いている。

『雪国』(24回放送)
1934年(昭和9年)川端が35歳のとき、越後湯沢に再訪して「雪国」連作を書き始める。1937年(昭和12年)38歳、6月に「雪国」を刊行。
『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。』で国際的にも有名な名作。
雪国の温泉町を訪れた妻子ある主人公の男とそこで出会った芸者、道中で出会った若い女性を軸に、ひたむきに生きる雪国の女の愛と三人のぶつかり合う情熱がやがて破綻をむかえる・・
1935年(昭和10年)から各雑誌に断続的に断章が書き継がれて、初版刊行時の1937年(昭和12年)7月に文芸懇話会賞を受賞した。その後も、約13年の歳月が傾けられて最終的な完成に至った。

<川端康成>
1899年、明治32年生まれ。日本の小説家、文芸評論家。大正から昭和の戦前戦後にかけて活躍した近現代日本文学の頂点に立つ作家の一人。大阪府出身。東京帝国大学文学科卒業。大学時代に菊池寛に認められ、頭角を現し、「新感覚派」の作家として注目され、人間の醜悪、非情、孤独も絶望も知り尽くした上で、美や愛への転換を探求した数々の日本文学史に燦然と輝く名作を遺した。1968年、日本人として初のノーベル文学賞受賞。多忙の中、1972年(昭和47年4月)72歳で自殺した。
主な作品に「伊豆の踊子」「抒情歌」「雪国」「千羽鶴」「山の音」「眠れる美女」「古都」など。


2019年3月4日~3月29日の予定

「シュリーマン旅行記 清国・日本」

ドイツの考古学者ハインリッヒ・シュリーマンが、ギリシャ神話にも登場する古代都市トロイア遺跡を発掘したことはよく知られている。しかしそのシュリーマンが世界漫遊の旅において、中国(清)や幕末ニッポンを訪れていたことはあまり知られていない。その旅行記「La Chine et le Japon au temps présent」(原題=現代のシナと日本)はシュリーマンの処女作で、150年前の明治2年(1869年)にパリで出版された。

シュリーマンは歴史的な発見となったトロイア遺跡の発掘(1871年)に先立つ6年前、1865年(慶応元年)に世界漫遊の旅へ出た。本書の前半は、その際に訪れた清の旅行記で、北京城の様子や纏足(てんそく)に関する詳細な記述など、中国史上最後の王朝・清を知る貴重な資料としても興味深い。

続くニッポンの滞在は明治に変わる3年前、1865年(慶応元年)6月1日から7月4日までの、およそ1ヶ月間だが、シュリーマンは江戸を中心とした当時のニッポンの様子を偏見にとらわれることなく清新かつ客観的に観察した。旺盛な探究心と情熱で、転換期ニッポンの実像を生き生きと活写したシュリーマンの興趣あふれる見聞記は、幕末から明治へと向かう黎明期のニッポンを見た生き証人の記録ともいえる。

2019年5月に新元号を迎える今、シュリーマンが150年前に発表した本書を朗読することで、我が国ニッポンを客観的に見つめ、新たな時代の幕開けを考えたい。


【新作】「シュリーマン旅行記 清国・日本」全20回
朗読 : 松平定知(元NHKアナウンサー)
テキスト :「シュリーマン旅行記 清国・日本」平成10年(1998年)講談社学術文庫(石井和子:訳)

<ハインリッヒ・シュリーマン>
考古学者・実業家。1822年、北ドイツのノイブコーに牧師の子として生まれる。商才に恵まれ、24歳でアムステルダムの貿易商の職を得て成功、自分の商館を開き、ゴールドラッシュのアメリカに銀行を持つなど国際的な大商人となって巨万の富を築いた。そして41歳のときに長年の夢であったトロイア発掘を実現すべく経済活動を打ち切り、1865年に世界漫遊の旅へ出発。1869年に処女作である本書を発表。1871年にトロイア遺跡を発掘した。


2019年2月4日~3月1日の予定

朗読「織田作之助作品集」

『夫婦善哉』『続 夫婦善哉』『六白金星』『木の都』(全20回)
織田作之助は、1940年(昭和15年)「夫婦善哉」を発表し一躍注目されたが、次作「青春の逆説」は時局に合わないと発禁処分を受けた。戦後にわかに脚光を浴びるが、その作品の多くは、戦前に町の風物・市井の人々の生き様を書いたものだった。「聖戦」が「侵略戦争」と書き替えられる時代の到来に戸惑う知識人が多い中、彼は、庶民の細やかな哀歓を描く姿勢を変えず、ブレない作家として人々に受け入れられた。時代に流されない彼の作品をあらためて見つめ直してみたい。


【アンコール】朗読「織田作之助作品集」
朗読 : 山像かおり((株)フクダ&Co.) 村治学(「六白金星」「木の都」)
テキスト :「夫婦善哉 決定版」新潮文庫 平成28年発行 (昭和21年発行された原版を新装)

『夫婦善哉』(9回放送)
惚れた弱みか腐れ縁か、ダメな男に尽くす蝶子。気は悪くないが浮気者の柳吉は転々と商売を替え、挙句に蝶子が貯めた金を娼妓につぎ込んでしまうのだった。柳吉の親からは結婚を認められず、転変の運命をたどりながら二人は大阪人の生活力の強さと天然の明るさで切り抜けて行くのだった。

『続 夫婦善哉』(5回放送)
蝶子と柳吉の二人は戦時下の大阪を離れ船で別府に渡る。別府でも相変わらず苦労の連続だった。阿呆らしいほどの修羅場も夫婦の絶妙の才覚で乗り越えて行く。最後に、実家に置いてきた柳吉の娘から「結婚式に二人で出て欲しい」と速達が届いた。蝶子は「娘さんが、わてを認めてくれたんや」と嬉しさのあまりその夜は眠れないのだった。<2007年(平成19年)未発表だった「続・夫婦善哉」の原稿が見つかり刊行された。>

『六白金星』 (5回放送)
主人公の楢雄は、家族の中で無能者扱いを受け孤立していた。見返そうと烈しく格闘する若者の姿を描いた作品。

『木の都』 (1回放送)
懐かしい大阪の街。故郷は変わり、昔の面影は消え行く・・

<織田作之助>
1913年大阪市の商家に生まれる。三高時代から文学に傾倒、1939年「俗臭」で芥川賞候補になる。戦時中は発禁処分を受けたが、戦後、「世相」などで人気作家にとなる。短編の名手と言われ50数編発表。1946年暮れ、ヒロポンを打ちつつ「土曜夫人」を執筆中に喀血。翌1947年死去、享年33才。7年間の短い作家生活だった。


2019年1月7日~2月1日の予定

「伊藤左千夫作品集」

維新近くの江戸末期に生まれ、明治後半に作家、歌人として活躍した伊藤左千夫の作品の中から現代にも通じる人の情愛や人間への思いを描いた代表作「野菊の墓」のほか「浜菊」「姪子」「守の家」を朗読する。


「伊藤左千夫作品集」全20回
朗読 : 林真里花(円企画)
テキスト :「野菊の墓」新潮文庫(1955年、昭和30年発行)

「野菊の墓」
1906年(明治39年)伊藤左千夫43歳の時に雑誌「ホトトギス」発表された純愛小説、自身最初の小説で代表作にもなっている。想い合っていた若き男女二人が家族の反対に会い思いを遂げず、女は意に添わない相手に嫁ぎいだ。それが原因で女は体を壊し、その死に瀕してようやく男も母親も双方家族周囲もみな後悔するという悲恋悲哀の物語。

「浜菊」
1908年(明治41年)「ホトトギス」に発表された作品。今も昔と変わらぬと思って地方に在住する若き時代の知己を訪ねる男が、時代、時間は人を大いに変えていくことを知るに至るとともに、実は深層では知己の妹に思いを寄せてもいたという男の裏の欲望をも描いた短編作品。

「姪子」
1909年(明治42年)に発表された短編作品の一つで「アララギ」に発表された。郷里の千葉・成東地方の方言を用いて純朴な姪子や周囲の人々が描かれている。

「守の家」
1912年(明治45年2月1日・この年に大正となる)「アララギ」に発表された作品。可愛がった子守と可愛がられた子の情愛が、時を経て別れても変わらぬという思いが伝わってくる小品。

<伊藤左千夫>
1864年9月上総国武射群殿台村、現在の千葉県山武市の生まれ。本名、幸次郎。歌人、小説家として明治後半に活躍した。家業は農家、明治法律学校、現在の明治大学を中退。その後、錦糸町で牛乳の製造販売をするかたわら、短歌に傾倒、正岡子規に師事。子規没後は、短歌雑誌「アララギ」の中心となって島木赤彦、斎藤茂吉などを育て、茶道にも通じていた。
1903年に発表した「野菊の墓」は漱石に評価される。代表作は他に「隣の嫁」「春の潮」など。
1913年(大正2年)に脳溢血のため死去。


2018年12月31日~2019年1月4日の予定

「芥川龍之介短編作品集」

昨年度放送した芥川龍之介短編集を5回にわたり再放送する。(初回放送・2017年1月16日~2月10日)
お聴きいただく作品は龍之介の短編から芥川が作家としての地位を築いた『鼻』のほか『蜘蛛の糸』『孔雀』『蜜柑』『尾生の信』『沼地』。

「芥川龍之介短編作品集」全5回
朗読 : 榊寿之 アナウンサー (日本語センター)
テキスト :「鼻」1990年「蜘蛛の糸」「孔雀」は、1960年の岩波文庫版、「尾生の信」「沼地」「蜜柑」は、1999年の角川文庫 版

『鼻』
「鼻」は芥川初期の短編作品。1916年(大正5年)に発表された。「今昔物語」「宇治拾遺物語」の「鼻長き僧のこと」を題材に人間の心理欲を捉えた。この作品で夏目漱石から絶賛され、作家としての基盤を築いた。

『沼地』
「沼地」は1919年(大正8年)に発表された短編で、展覧会で遭遇した絵に魅入られる「私」を通じて、鋭く対象をつかもうとする芸術家の姿、作品のありようをとらえた作品。

『尾生の信』
「尾生の信」は1920年(大正9年)に雑誌「中央文学」に発表された短編作品。中国の春秋時代の故事に基づき、女を待ち続ける男を通じて、人が持つ一途な気持ち、頑なさ、愚をも描いている。

『蜘蛛の糸』
「蜘蛛の糸」は芥川初めての子供向け短編小説で、1918(大正7年)年に発表された。人間の利己欲を釈迦の哀れみの視点で描いている。

『孔雀』
9行(文庫)の小品で執筆時期がはっきりしない。思い込みで思慮を失い、判断を誤る愚を、鳥の世界で著した。

『蜜柑』
「蜜柑」は1919年(大正8年)、「新潮」に発表された短編作品。発表時は「私の出逢ったこと」がタイトルだった。列車車中で遭遇した少女の行為に接した体験による、ほのぼのとして温かさが伝わってくる作品。

<芥川龍之介>
1892(明治25)~-1927(昭和2)年。東京生まれ。東京帝国大学英文科卒。在学中に菊池寛らと『新思潮』を創刊。大正5年25歳の時『新思潮』に発表した「鼻」が夏目漱石に激賞され、新進作家とデビュー。『戯作三昧』『地獄変』『奉教人の死』『枯野賞抄』で我が国、大正文壇での代表作家の地位を確立した。1927年に自殺した。
 


2018年12月31日~2019年1月3日の予定

朗読特集「華日記 ~昭和生け花戦国史~」作 早坂暁

明治維新から150年を振り返ると、ほぼ中頃に戦争があった。これは、その戦後の復興の中で家元を頂点として巨大な権力構造を形成し、熾烈な争いを繰り広げた華道界を舞台とした人間ドラマで、昭和の華道史を通して戦後日本の虚像と実像、社会と文化を浮き彫りにした、1990年新田次郎賞受賞作である。

そもそも室町時代に成立したとされる生け花は、今でも草月流・池坊・小原流など数々の流派が存在し、親しまれているが、その長い歴史の中で、終戦後に猛烈な生け花ブームの嵐が巻き起こった。新興のエネルギーが古い流派を打倒しようと燃え上がり、古い流派は死力を尽くして防衛する、それは戦国時代さながらの様相であった。

戦後、生け花新聞の編集長をしながら生け花評論を書いていた早坂氏は、まさに生け花の戦国時代に身を置いていた。そして『華日記』のあとがきで、“もし外国人に「ひとつだけ日本を見せてほしい」といわれたら、私は生け花を見せるだろう。生け花は最も日本的な特性を端的に具現しているものだから”だと語っている。

2019年5月から新元号を迎える今、日本は観光立国を推進しているが、真の日本らしさとは何であろうか?
早坂氏の一周忌を機に、華道界を切り口として昭和を描いた代表作『華日記』を朗読し、彼が最も外国人に見せたいと考えた生け花から昭和という時代を振り返るとともに、日本文化を見直し、早坂氏へのはなむけとしたい。


朗読特集「華日記 ~昭和生け花戦国史~」全4回 作 早坂暁
朗読 : 藤田三保子(俳優)
テキスト :「華日記」早坂暁/勉誠出版(2009年)

<早坂暁>
1929年(昭和4年)愛媛県生まれ。2017年12月16日没(88歳)。海軍兵学校時代に終戦。復員後に日本大学芸術学部演劇学科~同大学院へ。卒業後、新聞社編集長や生け花評論家を経て、放送作家・脚本家・作家となる。代表作は『七人の刑事』『必殺シリーズ』『夢千代日記』『花へんろ』『ダウンタウン・ヒーロ-ズ』『華日記・昭和生け花戦国史』など。あたたかく真摯な目で時代と人間を見つめ、ひたむきに生きる人々を描き続けた88年の生涯であった。体内被爆者を主人公にした『夢千代日記』(主演:吉永小百合)は、1981年、1982年、1984年に3部作でドラマ化、1985年に映画化された。


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